「若者はどこから来て、どこへ行くのか。若者とは何か。キリスト教青年会の歴史から学ぶ」
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後半編(1/3h)はこちら↓
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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~はじめに(本番組の紹介)
(阪田さん)
こんにちは
(宮台さん)
今日は誰がきいてるの?
(阪田さん)
実はよく分からないですが(笑)
いまだかつてない3000人以上の方が。
いつも言って月一回
去年の五月ぐらいからキャンプ部屋トークっていうのをやってまして
細々と、平均視聴者数30ぐらい再生回数はもっといってるけど
リアルでは多分二人とかもありますね(笑)
いつもギャラリがたくさんいる風に喋ってるんですけど
いない時もあるみたいな
今回ちょっと訳あってキャンプ部屋、一応ファイナルっていうか
それこれからお話ししますけど一旦区切りなので
宮台さんと過去二年ですかね、我々はキャンプ実践ですけど
ずっといっしょさせていただいて
で。一回キャンプ部屋に今年来てもらったんですが
サインをもらい忘れたんで今そこに!(後ろの壁に。)
はい。で、一応このキャンプ部屋が解体っていうか
あの一旦区切りになるんで
その前に本当に明後日九月八日にここあの完全撤収しなきゃいけないんで
その前に立てこもる(笑)
さっき宮台さんが提案されたんでちょっと一波乱が起こるかもしれませんが(笑)
その前にどうしてもやっぱり宮台さんに来て欲しくて
急遽お願いして今日来ていただきましたありがとうございます
(宮台さん)
ちょっと、立てこもりについてね、説明するとね(笑)
1968年から69年、正確に言うと
67年から60年代で、すでに学園闘争があったのね
大学紛争とも言います
中学高校にも飛び火して僕がいた中学高校では73年まで紛争が続いたのね
その時に紛争の成果としてあのーいわゆるですね
かなり部室が部屋がたくさんあるサークル棟とか学生会館
そうしたものが獲得されたんです
で、そうしたところはもちろんサークルも入ってるけど
やばいセクトやカルトも入っているっていうんで
大学当局に目をつけられて学園闘争が下火になった10年後
70年代それからどんどん撤廃、簡単に言うと破壊されていくってことがあって
で、それでいろんなね反対運動が80年前後起こり
で、その時の記憶があるんで、みんなでピケを張ってですね
要するにバリケードですが結集せようっていう風に
呼ばれても抵抗すると。(笑)
で、一番最後の方にあったのはね
東大の駒場キャンパスの、寮ってのがあったんですよね
三つ寮の大きな建物があって
そこは事実上サークル棟のように機能してたんだけど
その寮を廃止するっていうときにま一悶着ありましたよね
その東大の駒場寮っていうんですが
駒場寮は大学当局に電気止められて水も求められて
どうしたかって言うとあんまり大きなことは言えませんけど
近くの電柱から電気を窃盗して明かりを付けてましたよね
でその時の東大の駒場寮の何て言うんだろ、記録というかですね
本当はあの記録ではなくてそれを舞台にした映画があるんです
劇映画で塚本晋也のバレット・バレエってですね
でこれはその両委員会が協力して
あのロケ場所を提供し電気も提供してるんだけど
その電気は窃盗だったっていうね
まあの与太話ですけれども
昔は場所を明け渡せって言われて
みんなで逃走したっていうことがあったということですね
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~スペースからプレイスへ
(阪田さん)
はい。で、まーあのキャンプ部屋って我々が呼んでて
名前も変なんですけど
キャンプ部屋って。だけどその方が印象に残るかなと思って、キャンプ部屋っていう風にして。
YMCAってキリスト教青年会っていうものの英語バージョンで
青年っていうのは今の我々の定義で行くと35歳ぐらいまでのいわゆる若者みたいな。
で、戦前とか戦後直後はやっぱりすごいキリスト教関係が強くて
その牧師を中心に青年指導者っていうか若者を集めて何かやるっていうのが
YMCAなんですけど
今でいうと大学生がそれに中心になってるんですが
大学生が集う場所がないっていうことがありまして
でこの会館が新しくなってあの若者が集う場所がないからなんか作りたいなって思ってて
コロナのどさくさで、ーここ本当はあの教室なんですけど
日本語を教えたりなんかその学校としての教室なんですけども
一部屋開かないかっていうこと、たまたま使えるってなったので
じゃあそこを使わせてほしいって。
はじめから期限付きで作ったってのはあのキャンプ部屋の起源です
それが去年の五月で、不思議なことが起こって
これ全部自分たちでこのあの壁とか床とか全部作ったんで
最初は本当に真っ白な教室だったんですけど
あのそれまでは呼んでも来なかったですよ
みんなこの辺の人たちは(笑:カメラに写っていない人たち)
あの用事がないとこなかったんですけど
あのーこういう場所作るよって言ったら、みんな呼んでなくても来るようになり
で、座って立たなくなったんですよね
なんかずっとここにいたいですとかって急に言い始めて(笑)
夏前ぐらいに完成したんですね。
そこからあのー寝泊まりしたりっていうこともあるし
ここで映画を見たりとか本当にいい場所になっていったんです
で、コロナが開けて、学生がここ教室としてもう一回使おうっていうことになったので
それは当初の約束通りではあるから
しょうがないですねっていうことで、今に至るということなんですけど
今日その若者論っていうかあのYMCAが若者とずっと一緒にやってきた
っていうことで、考えた時に、
始まりは不可抗力っていうか偶然で始まった部屋なんですけど
実際若者がそこに集っていい場所だっていうふうになったにもかかわらず
その事実があんまり影響力がないっていうのが今のYMCAの一つの特徴かなっていうふうに思います。
(宮台さん)
ちょっと学問的に補足していいですか
あの部室とかねサークル部屋とか、こういうそのキャンプ部屋の居場所感。
そこにいたいなっていう気持ちを起こさせる感覚ってどうして生じるのかっていうと
乱雑なカオスがあるからなんですよね
で、この問題はね、80年代に入り、イーフー トゥアン(※)が、空間から場所へ
※1930年中国で生まれる。中国系アメリカ人。
オックスフォード大学で修士号、カリフォルニア大学バークレー校で博士号取得。
ウィスコンシン大学マディソン校教授。70年代に現象学的地理学の旗手として颯爽と登場し、
今日では、世界的な第一人者として知られている ~「BOOK著者紹介情報」より~
スペースからプレイスへっていうことを言って、それを80年代90年代にベアードキャリコットっていう人がさらに学問的に定式化しました。分かりやすく言うとね
こざっぱりとした綺麗な場所っていうのは入れ替え可能なんだよね
どこに行っても同じってことはそこにいる自分たちも入れ替え可能だと感じられるわけだよね
ところがエントロピー増大の法則的にですね
自由に使わせてもらっていると
どんどん乱雑になって乱雑になっていくと他の場所とだんだん違ってくるんですよね
その分入れ替え不可能な場所になっていきそこにいる自分たちも入れ替え不可能な存在だと感じられる
ということで、そこが居場所っていうことになるんですよね
それが学問的にとても実は皆さんにも覚えてほしいことなんですよね
整理整頓しましょうとか綺麗に掃除しましょうとかってよく大人たちは言うけど
それは頭が悪いからで、ちゃんと学問ある人間は程々汚くしましょうっていうですね
以上です。
(阪田さん)
ま、かなり乱雑ですね
これでも必死に今日半日かけて奇麗にしてるので。
だいぶ隣の教室に相当荷物出して。
でもそれはやっぱり居心地いいですよね
本当に綺麗なんですよ
僕なんかいまだに毎回トイレでたら方向間違いっていうか
どっちに行ったらいいか分からない
そのスペイスからスペイスへっていうことで
そういうお話をずっと聞いてたので
やっぱ特に日本は血縁で伝承していくというよりは
その土地に紐付いた記憶とか場所に紐付いた記憶から
色んなものを受け取るっていうお話も聞いてたので
今ここにサインをしたり、これは一応キャンプ部屋解体なんですけど
次の部屋をもらったのでちょっと小さくなるんですけど
そこに移設っていうことになるの、それは初めから思ってたんです
どうせ解体する部屋だから壁とかそういうのは痕跡を残して持っていこうと。
でそこに来ればまその人たちを知らない人が来てもなんとなくやっぱり感じるものもあるし
やっぱかつてはあったんですよね
あのYMCAの会館にもそういう場所がたくさんあって
そこに行けばOKだったっていう場所がありましたよね
だから何ていうんですかね
ここにいる学生たちは月一回子どもたちを
今日はちょうどその下見で沢を歩いて帰ってきたんですけど
今度二週間後に小学生をそこに連れて行くんですよね
その結構準備がたくさんかかるんで、月一回の活動のためにその企画会議を二回やってで
現地下見を一回やって、準備を一回やって本番に臨むですけど
そういう若者たちがたまる部屋があったんです。今までは。
そこに行けば過去のミーティングした人のノートがあり
過去どんな活動したかの写真があり
それこそ乱雑な部屋だったんでギターも転がってれば
誰の洋服が分からないものも転がってるみたいな
その時はやっぱ手書きだったんですよね。手紙が。
だから必ずここに来て誰かは手紙を書いて
だから人が集まってきて、用がなくてもそこに人が集まってきて
いろんなものが伝承されていて。
そういうコロナでも全くなくなったので今年意図的に復活しようということで
手紙は手書きに戻したんですね
こういう場所があれば
偶発的にあの人が出会って何かが起こるっていうのがあったので
それは本当に実際これはなくなっちゃいますけど
あのこれを感じた学生たちはその記憶とか場所っていう意味が
痛いほどよくわかったと思うので
なんか他のことっていうね
の活かしていってほしいなっていうのは思うんですけど
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~記憶と記録
(宮台さん)
一般的にね
あの記憶と記録っていうのは映画でもよく出てくる主題なんだけど
あのね人間ってあの記憶できるものってキャパシティ限られてるのと
その人が死んじゃうと記憶が失われるってことがあるので
実は記録つまり文字を使って、何かを書くとかっていうことを
今までやってきたわけですね
文明以降ということなんだけれども。
だからそういう意味では
記録を大切にするっていうこと。
記録を大切にすることで記憶が伝承されて
記憶が伝承されることで何が良いか何が悪いのかっていう
感覚、共通感覚も伝えられていくということがある訳ですよね
最近のね、インターネット化で確かに文字情報増えてるんだけど
残念だけど例えば、その記録の多くは人によって違った形でアクセスされてるよね
みんなそれぞれがアクセスする文字情報って全然違うし
だから共通の記録ではないんですよね
さらにそれによって、昔だったらですね共通の記録によって
共通の記憶が伝承されるっていうこともないので
皆さんが、ある社会について、あるまとまりについて
過去から現在に至るものをですね
物語として語られるっていうこともなくなっちゃったんですよね
だから砂粒のように断片化し孤立化しつながれず
だから全部フラットになっていくっていう流れが
今までの2,30年の流れですね。残念な流れです
(阪田さん)
なんか実際にその手書きに戻すとかここに実際来るとかっていうのがやっぱりしんどいっていうか
それが大変っていう若者も一定数いて、それを完全に戻してしまうと活動する人間が今度いなくなってしまうから
そういう意味で感度があるっていうか、ある程度そういうのにコミットする人間にとっては
ちょっと難しさが残るんですよね
全部その昔に戻せってなるとやっぱそれこそ昭和でしょみたいな話になって
逃げていってしまうっていうこともあるんですよね
でも普通に言ったら、宮台さんがおっしゃったように
その方向にどんどんどんどんフラット化になってるので
やっぱりそれは抗わなきゃいけないっていうか
あの分かってる人間がなんとかこう持ちこたえなきゃいけないんで
そういう意味では僕はYMCAはまだチャンスがあるっていうか
今こそ活躍しろよっていうような思いがあるんですね
やっぱりいつでも社会とその若者の間に立ってどっちかと言うと
若者を擁護し、失ってはいけないもの、これなんじゃないかっていう価値観みたいなものを
こう提供してきたっていうのがあの日本でいうと、
YMCAの歴史なんじゃないかなっていう風に思うんです
なのでね本当に何か一時だったからね。一年半
僕はでも無くなった方がいいかなって最初から思って
これがそのままいい場所だよねって言って受け入れられるよりも
あの劇的に亡くなった方が
やっぱりインパクトとしては強いし、めっちゃ悲しいんだよねこの辺は(カメラに写っていない人達)
やっぱり泣いてましたね。ここがなくなるんですかって。
この辺にいるのはOBでも卒業生なんですけど(カメラに写っていない人達)。
今日は若者論というかみなさん若者当事者なので
若者って
この宮台さんの「サブカルチャー神話解体」っていう
題名だけでは分かりにくいかもしれないですけども
現地の人にはちょっとレジュメっていうか
僕が書いた文章、紙で渡してますけど。
今の授業でも社会意識と社会構造っていうので主に授業をされている内容でもあるんですけど
すごい情報量ですよこれ、歌とか漫画とか
(宮台さん)
そうこれ二段組で、原稿用紙で860枚ぐらいあります
(阪田さん)
連載をずっとされてたんですかね
その第一章と最終章第五章そうでしたっけ
そこがインタビュー記事になってそこがその全体を説明しているような箇所になるんですけど
これはなんだ我々に言ったらその例えば今キャンプどうしたらいいかとかって話してますけど
そのキャンプどうしたらいいかって言ってることそのものが
その時代の特徴に飲み込まれてしまってるっていうか
共振っていう風に宮台さんの本には書いてあるんですけど
何て言ったらいいかな我々で言ったらなんだろう
最近の保護者の変化とか
なかなか自分のことを喋れないとか
そういうものに
我々が分析しようと思っているものを見ようと思ってるもの自体が
そのコードの中にっていうか共振の中に入ってしまっていると
それは全然批判的に考察できてないんじゃないかっていうことで
そこから離れろ
そんなような導入なんですよね
だから音楽とかそういうものがいろんなコミュニケション媒体があるんだけど
それが時代的な特徴に飲み込まれた分析なんであれば
の本当のことは言っているとは言えないから
そこから離れようっていうのが最初のメッセージで
そこにシステム理論っていうのを宮台さんは導入していて
統計的な手法とルポ的な手法とそれにシステム理論を使って
その二つを駆使して分析されていることなんですよね
だから我々で言うと何ですかね
やっぱりキャンプにも統計ってなんかあんまり馴染まないっていうか
統計的にいろんなものが出るとキャンプで普段僕らが大切だなと思ってることって
割と数字で簡単に弾かれたりするじゃないですか
なんか対象から離れた手法でやることに意味があるんだっていう
そんなようなことだと思うんですよね
それで僕今回YMCAの歴史を明治から一応このYMCA100年っていう本があるんで
もう一回読み返して、宮台さんのそのサブカル神話解体をもう一回読みながら
システム理論をなぜ使うかっていうことで
我々が例えばYMCAだったら何かを共有していたから青年達が集まって何かをしていたっていう
ことではなく、共有したと思えていたからそのことが達成されてたというか
あったんだっていう
僕の理解ではそういう理解なんですけど
そういうまぁ思えていたっていうような水準で音楽とかカルチャーを見抜くと
こういう特徴があるんじゃないかっていうそれが書かれている。
(宮台さん)
ちょっと難しかったかもしれないけど
みんな自分のことを反省するでしょう
それって反省になってるの?ってことです
簡単に言えばだって反省するのも自分じゃん。だったらね
自分の反省なんて自分にできるってことですよね
自分がトンマだとします
トンマな自分を反省するその自分はトンマでしょ
だったら反省になんのかよって問題ですよね
これはあの一人の人間の問題でもあるけれども
社会の問題でもあってね
ある社会がある社会の部分的なゲーム
例えばサブカルチャーがどんなものなのかってことを反省する
その言葉も所詮その社会あるいは
そのサブカルチャーと同じ視座同じモードで行われていたら
トンマがトンマを反省するのと同じ。意味がないですよね
なので、どうやってずれをもたらすのかっていうことだから
自分が自分を反省するのではないような
新しい様式をずれをどうやって持ち込むのか
そこで統計を使ったりとかフィールドワークを使ったりとか
あるいは時代時代で視座ものの見方が違うよね
それぞれ時代Aの見方、時代Bの見方、時代Cの見方で例えば時代Aを反省するとどうなるのか
とかっていう風にして、次々にずれを発見していくことによってね
正しい反省に近づこうっていうのサブカル神話解体の構想なんですね
デザインなんですね。
難しい?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~コモンセンス(共通感覚)
(阪田さん)
あのー読んでても難しいです
やっぱ授業を聞いてると、あーなるほどなって思うけど
やっぱり自分の言葉でもう一回喋るまでにはなかなかならない
だから数理的ってことなんですかね?
(宮台さん)
もともと数理社会学者でしょう
でま新制東京大学で三人目の博士語を取ってるんだけれど
僕元々数理社会学やりたかっただけじゃなくて
数理社会学でもやっとけとお前は数学できるからそしたらポストが見つかるぞ
って言って実際数理社会学者の振りを三年間したら
東大にポストが見つかったっていうね
そういうことがあったので、じゃあ見つかった以上
あとは好きにさせてもらうっていうことでその最初の僕のやりたかった勉強というか研究が
要するに戦後あるいは正確に言うと明治以降のね
人々のコミュニケションあるいは文化がどう変わってきたのかっていうことを
科学的に分析するっていうことなんですよね
それは今日の問題・主題に関わるんだけどさ
昔はみんなねもっと繋がってたんですよ
日本人っていうとああ日本人ってこういう感じだよねとか
あるいは若者世代っていうのは若者世代ってこういう人たちだよね
っていう共通感覚・コモンセンスがあったんですよね
そういうコモンセンスがあった時にはさっきの自分が自分を反省することの難しさっていうのも分からないわけ
みんな同じような視座で同じようにものを感じたり考えたりするからね
日本人ってそうだよねって話をするとみんなうんうんと頷いてくれる
あるいは若者ってこうだよねって言うと、みんなうんって頷いてくれる
でもそういう時代ってね
実は1970年代後半に突然終わるんですね。77年なんですが
突然終わって以降、自分たちがどういう社会を生きているのか
例えば日本を生きてるってどういうことなのかとかあるいは漫画にはまってるとか
アニメにはまってるっていうのは何にはまってることなのかとか
だんだん分からなくなってきたんですね
それを分析する言葉もどんどんなくなってきちゃったんで
じゃあ新しい話法、ナラティブ、ナラティブっていうのは
ある場所からある角度で語ることなんだけど
それを提供しようっていうことで
サブカル神話解体が書かれたんですね。
この分析の面白いところの一つは統計を使っているところなんですよ
そうするとね統計で色んなことがわかるわけ
この分析の最初にね大学生を五つの人格類型に分けてるんですよ
人格ABCDEってやるわけ。実際に名前が色々付けてあるからね
でも面白いことに。いいですか
単に人格が別れるってわけじゃなくて人格の類型によって
どういう漫画を読むのかその漫画を読む履歴がどう変わるのか
どういう音楽が好きになるのか
どんな宗教にはまるのか
どんな人間関係を生きようとするのか例えばどんな恋愛関係を望むのか
っていうことがある程度決まっちゃうんだよね。人格類型によってね
だからもともとサブカルチャー神話解体っていう本の本プロジェクトの名前はね
情報による世界解釈、ま簡単に言うと
これは人格の類型によって世界解釈が変わるよっていう意味なんですけど
そういうプロジェクトだったんですよね
もう一度言おうと、みんな漠然と音楽漫画映画テレビあるいは恋愛宗教
そうしたものがあると思ってるけど
実際にはその人がある人格の型を持っていることによって
どういう漫画どういう音楽どういう映画どういうドラマどういう宗教もろもろ
どういうことにはまるのかっていうことがある程度予測できるということなんだよね
これを連載してる時に、のちに親しくなるめちゃくちゃ親しくなる中森明夫っていうね
当時の有名な小説家でありメッセージリストであるやつがもう最悪の文章が出てきたと。
全ての表現を。。。何て言うんだろう
僕はホメオスタシスセルフって言ってるけど
「自分を防衛あるいは自分を安定させるために
漫画や映画その他情報を使っているだけだっていう風に。。そんなことを書いている」
と、表現の真正性を汚し物だーみたいにして怒り狂っっていう時代があって
「いやその通り行く人を怒り狂わせるために書いてるんですけど」っていうのが
僕の答えだったんですね
意味わかります?言ってること。漫画が素晴らしいってみんなが言うと
僕はいやその漫画が素晴らしいんじゃなくてそういう漫画が素晴らしいと思うあなたの人格のパターンがあるだけだよね。っていうふうに言ってるわけで。
嫌な感じするでしょう
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~パターンの外にでる
(阪田さん)
感情的にはすごく嫌な感じですね。。(笑)
これすごい大規模調査ですよね
三千人とかのサンプルを三回繰り返して
宗教の、宗教社会学のところでも4パターンっていうのを類型伝えてる
宮台さんがよくおっしゃるのは、人間はパターンだからっていう
僕もそれから最初は凄い聞こえが悪くて、でも本当に深く考察していくとやっぱりそのパターンはありますよね
ユングとかも型とかいう話をしているし、シュタイナーのであれば気質っていうこともあって
それをもっと細かく類型してるっていうか分類してる
でもそれはやっぱ自覚して初めてそこから抜け出せるっていうか
(宮台さん)
型の自覚がポイントなんです
阪田さんがおっしゃった通りなんですよね
よく世代論とかっていうと嫌がるでしょ
所詮、パターンで、あなたはこのパターンパターンって言われるのを嫌がるでしょう
それははっきり言って頭が悪いからなんだよね
頭がある程度働けば
「そうかパターンなのか」っていうことが分かることで
初めてパターンの外に出ようっていう意欲が生まれて、人は自由になるんだよね。ある程度ね
型を知らないで、型を自覚しないで自由を求めるやつは頭が悪いですね
反論があったら言ってね
恋愛も全部パターンなんですよ。全部っていうと大げさだけれども
ほとんどの恋愛性愛の営みはパターンですね
僕はすでに恋愛の本を五冊出してるけどもそれも型の話ばっかりしてる
それは多くの人は型の外に出てほしい、型にはまってる自分をよく自覚して。
それでいいのかってことを考え直してほしいからなんだよね
(阪田さん)
マヤ暦も型、占いみたいなものっていうのも型だし
今年ちょっと大学生に話したのはキャンプも型なんですよ
そういう意味ではいろんな型があって
型の組み合わせでキャンプのそのスケジュールが決まったり
その型があるから逆にできることもあるっていうかその型に乗るから喋れることもあるし
できることもあるっていうその型を意識するってすごい大事ですよね
(宮台さん)
ちょっと学問的に言っておくと
さっきの話し。型を意識する人間もパターンです。わかります?
パターンって自覚したときにどう反応するのかっていうのも、またパターンなんですよね
なのでパターンの分析のパターンだっていう、このある種の無限退行っていうんですけど
影踏み的、影踏み鬼的なね、それは終わらないですよね
厳密な意味ではパターンあるいは型の外に出るということはできません
でもその反省に反省を積み重ねているというプロセスがあれば
単にその一次元の型、二次元の型にはまってるやつに対して
その型の型の型の型を分析してるやつは
こいつら不自由だなという風に見えるわけよ
それが大事なんだよね。皆さんも恋愛したり友情の関係を結んだりして
嫌な目にあって失恋したり友情破綻したりするでしょう
それは自然な営みでどこにでもあるけど
それが一つの型にはまった感情の働きの帰結なんだってことが分かるとどうなりますかね?
普通のトンマは、そこでこの恋愛関係を終わらせるけど
私はパターンを知った、そのパターンの外に出る道も知ったので
この関係を終わらせないっていう選択ができるのね
で、それが僕の言う自由です
(阪田さん)
すごいタイムリーな話でいうと何て言うんだろう
あの現役の人少ないんですけど
そのミーティングっていうかその我々結構ミーティングするんですけど
そのミーティングが長引く問題が世代が若くなればなるほど顕著になってきてるけど
それもなんかある種のパターンっていうか
パターンにかなり飲み込まれてる感じがするんですね
僕らから出ると。あの何て言うんだろう
逆のパターンではその経験ないやつは早くしゃべれよとか
ある程度分かってるやつは深い話しろよっていう
それもなんかパタンっていうか先輩後輩があって
そういう風なもんだっていうものが自覚されてれば、割と楽に話せるっていう
昔はそういう方を別に型と意識しなくてもあったと思うんですよ
先輩はこうある後輩はこうする一年生にまず喋らせるみたいな
そういう型が結構あったけどそれに今飲み込まれてる
~~~~~~~~~~~~~~~~~実存の問題、陥没した視座
(宮台さん)
じゃあちょっと一般的に言うとね
皆さんちょっと一部ディスる事になるんですけど
最近の若い方々になればなるほど、単純に言うと
自分はどう生きたら良いんでしょうとか
自分の生きづらさはどうすれば生きづらくなくなるでしょ
っていう視座がいつも張り付いてんだよね
自分をどうしたらいいんでしょうね
ところが例えば20年、30年前だと社会をどうしたらいいんでしょうねとか、
この組織をどうしたらいいでしょうっていうことに集中した議論ができたわけ
でも今の皆さんの多くを覆ってる傾向は、社会もいいけど組織もいいけど
まず自分の問題でしょみたいなことになってる
でも自分の問題って分かるでしょう
人それぞれ違うんだよ
ある人間が喋り出して自分の問題を例えば僕に相談しているとすれば
一部のやつはあー俺の問題と同じだなと思うけど
それは一部なんだよ
そうやって自分中心的にま自分の問題、実存の問題というふうに言うけど
それをみんな語り始めるので、みんなが関心を持つみんなを支えている共通の土台
についての話に移れないんで、そこで話が長くなるんだよね
そいつらがある程度自分の話を、そいつらってごめんね
皆さんが話をある程度、話聞いて気が済んだ状態にならないと
共通のプラットフォームの話移れないわけよ
面倒くせえなと思うんだけど
皆さんが悪いんじゃないで。まあ仕方そうなってるんだね
(阪田さん)
でもそれもある種のパターンだとすれば
あの抜け出してるっていうか
今の話はあの無人島で起こったんですよね
余島っていうキャンプ場も一応無人島なんですけど
でもそこは建物が人が住める環境がある無人島ですけど
更に指導者のトレーニングでカヌーに乗って別の無人島に行って
そこは本当に何もない
あの砂浜で焚き火を囲んで三時間。20人しかいなかったんですよ
で、そんな別にややこしい話をしてる訳じゃなくて
一人一人今日の感想を言ってください
って言ったらなんか最終的に三時間ぐらい潮が満ちてきて
波打ち際に座ってた人はだいぶまで時間があったので
潮の満ち引きが狭いから結構その時は塩が緩慢が激しい時
話が始まった時はわりと海は遠くの方にあったんですけど
それぐらいやっぱりこう何て言う
喋りづらいっていうか本当に何でもない話ですけど
それが出てこないとどうしようもないっていうのがあるんで
こっち側としては深めるポイントがもうないっていう。
(出典:YMCA余島日記HP)
(宮台さん)
じゃあちょっとねそれに関連することだけどね
あの本当にこの10年顕著になった傾向があってね
それはレクチャや講演をするでしょう
で、はい質疑応答タイムですってやるじゃん
ほとんど出ないんだよ
はいじゃこれで店仕舞いしますって言って
レクチャが終わるとぞろぞろぞろっと来て質問があるんですけどだ
だったら質問タイムにしろよこのやろうっていうことなんだけど
結局要するに人が見ているところで質問するのが嫌なんだよね
たぶんこんなバカなこと質問してるのとか
目立ちたいの、みたいに思われたくないっていう
いわゆるキョロ目状態
これが皆さんを覆ってるるわけだよね
後で質疑応答タイムになるかもしれませんけど
その時に話すんだよ
いいですか?人にどう思われる方がいいじゃん別にそんなに大事な人間なの?恋人なの?親友なの?
っていうことですよね
だって知らない人間たちが集まった講演会とか
さして親しくもない連中が集まってる大学の講義でさえその状態。
これは最近のパターンですけど。おかしいでしょう
なんでそんなどうでもいいやつのことをヒラメキョロメで気にして
質問をみんなの前でできなくなっちゃうの?みたいなことです
だからそうするとそれまで重要なことでね
質問ってみんなの前でやってくれることによって
僕の答えは公共的になるんですよ。だってみんなが答えを聞くわけだからさ
でも一人でそうやっていや実は本当に質問があるんですけど
だから言ったろ。質問タイムでやれよって事です
はい公共性の観点から重要なのね
(阪田さん)
でもそれはやっぱなかなか実感としてないんだと思うんですよね
だから僕がいつも言うのは自分の経験とか体験っていうのは言葉で外に出すことによって
人の財産になる可能性があるわけじゃないですか
だからしゃべった方がいいし、公共的なんですよね
でもそれだけでは乗り越えられないんだと思うんですよ
そこに、まあYMCAで言ったらミッションみたいなものが
もし強くあれば多分乗り越えれる壁なんだと思うんですけど
でもそれがやっぱり年々乗り越えれなくなってきてる
昔は使命感でもっと行けたんですよ
子供のためだったらお前がやれよって言えば
あの勇気出してみんなの前でしゃべるとかっていうのは割とあったと思うけど
昨今っていうか本当にこの一年二年っていうのがそれは急激に変化していますけど
子供の前に立つっていうことでちょっと足りないっていうか
「とは言っても。。」っていうような感じがあるので難しいなっていうのが感想ですね。やってて。
この夏減ったのは睡眠時間と飯食べる時間かな
それで劇的に減りました。過去三年と比べると。
それは本当にみんなが悪いっていう意味じゃなくて、ま、悪いですけど(笑)
直接的にはね、睡眠が奪われてるんですけど、それは本当にね
時間が忙しくなりました
(宮台さん)
年長世代のね僕らから見ると
僕らの時間が無駄遣いされてる感じがしちゃうのね
例えばこういうことだな
この間の御殿場のセッションの時も話したことだけどさ。確かにみんな生きづらいんだと思うよ
でもね昔はさ今よりもはるかに人間同士、若者同士、仲良かったんで、悩みをもっと話したんだよ
だからいろんな悩みが一つの型であるということも認識できたし
悩みの解決も型であるということも認識できたし、その認識もシェアできたんだよね
だから同じような悩みを持つやつが自分以外にもたくさんいて
処方箋は基本的に同じことなんだよねっていう風に思えた
でも今の皆さんたちの多くは学校で大学で仲良くないんですよ
なので、本当に深い悩みはほとんど話せてないわけ
そうするとまあ僕はこのサブカルチャー神話解体でね
陥没した眼差し、陥没した視座って言ってるけど
辛いのは自分だけだ、生きづらいのは自分だけだって思いがちなんだよね
でもさっき言ったように
所詮人間って限られたパターンの組み合わせなんで
生きづらいのは自分だけだなんてわけねえだろってことです
お前みたいなやつは腐るほどいるんだよっていうことなんですよ
なのに、自分の悩みは自分にしかわからないっていう前提で
「私はみんなよりも生きづらい人間なので
その公共的になれって言われてもできません」みたいなのがでてくるわけ。
ヤレヤレ、こんなやつのために時間使うのかっていうのが僕らの感覚になるわけ
(阪田さん)
だから僕、今年ちょっと実験的に、かなりちょっと複雑に考えて
キャンプを一回やったんですよね
それはやっぱりそのいつも宮台さんおっしゃるけど
若者のせいじゃないと。当事者たちだけのせいではないって言った方がいいかもしれないけど
やっぱりYMCAっていう意味で考えると我々が守らなきゃいけない
プラットフォームってやっぱ若者と一緒にやるってことなんですよ
で、若者も使えなくなったから
あの使える人間と子どもたちとキャンプしようっていうのは
我々が守ってきたプラットホームを手放すことだから
それはできないと。
で、キャンプをやるってなるとやっぱりキャンプが成功するかどうかがみんなの目的になるんで
この夏起こりそうだったのは、この大学生世代を犠牲にして
キャンプを成功させるということはできるんですよ
つぶしてというか、とにかくやれって使い捨てみたいに潰す覚悟で使って
キャンプを成功させるということはできる
でもそれをするとYMCAの根幹にかかわるからそれができないと。言った時に。
キャンプの目的はここの世代をある種救うっていうか
ここの世代にとって意味のあるものにするものだっていう
ちょっと違う線を引いたんですよね
で、そうするとそれを潰しにかかったのはやっぱり年長者のある種の
そのちょっとよくわかってない年長者なんですよね
で、宮台さんのように世界はそもそもそうなってるだからお前はやれよ
っていう、そういう枠組みに対する投げかけだと問いを止めれるから
若者結構できるんですけど
自分の実在をぶつけてくる人がやっぱ多いですよ
年長者っていうのは、俺たちの頃はこう回してたとか
もっとキャンプ回さなきゃだめだろうとか
なんか伝達事項がうまくいってないとか
その僕頭すべてどうでもいいことで
今回は違うだろうって。そこじゃなくて
この若者世代がどう世界を見てて、で
何生きづらさっていうか辛さを感じてて
そいつらをを犠牲にしてキャンプの成功っていうのはあり得ないんで
そこを生かしたままキャンプが成功に向かうっていうのは
どういうことなのかを見ようと
そういうちょっと複雑なキャンプをしたんですよね
だからなんかこれはもし見てる方でその青少年指導者がいらっしゃったら
それは何か一緒に考えてほしいなっていう風に思うんですけど
やっぱり若者だけをどうにかしようと思ってもダメで
小学生とかまだ感情が豊かな世代に救われるっていうのが一つあると思うんです
大学生とかちょっと社会に疲れちゃってるような
若い世代が子供によって救われるっていうのが一つあって
でもう一つ年長世代によって潰されるっていうのがあるから
そこのなんかサンドイッチというか、レイヤを考えてやんないと
そのプラットフォームを手放すことになると思うんですよ
もう若者が集まらなくなると思うし、潰れていってしまうから
だからそういう風に今年実験的にやったキャンプはやっぱりいろんな感想を生んだし
あのーまあなんていうんだろう全体的に見るというか
一般的に見たらうまくいったようには見えてないと思う
僕から見ると
もう着眼点が全く間違って若者を食いつぶして
キャンプやってもあんまり意味がないっていう風に思うんです
だから年長者問題が僕は、年長者まで年長者が全員が悪いわけではないんですけど
宮台さんのような視点で若者をエンパーメントするっていう
その規範っていうか、
なんか節度みたいなものがないと
ちょっと難しいなっていうのを感じた夏ですね
(宮台さん)
生きづらさ問題にね、引きつけていうとね
さっき申し上げたことだけどね、生きづらさをぶつけられて
いや君の生きづらさはこうすれば解消するよみたいに答えていくこと
これって、その人にとっては意味があっても、多くの場合多くの人にとって
時間の無駄遣いで公共的なんですね
でもそれに対してね例えば僕は1980年代後半から10年ぐらいまで
当時のブームでバックパッカーだったんですよね
インドとか東南アジアとかもあるわけだよ
それで凄く驚くのは僕らよりもはるかにですね
近代化文明化合理化テクノロジ化。。度合いの低い国に行けば行くほど
子どもたちの目がキラッキラ輝いてるんだよね
で、なんで俺たちその文明化された科学化された場所にいながら
こんなに子どもたちあるいは若者達を目が死んでるんだろうと思う訳。
同じように僕は中学や高校でね、大学から派遣されて見本の授業っていうかね
大学に来てくださいねの授業なんだけど、そういうのをやるんだけれど
いや本当マジでね、中学高校生の目は大学生よりもはるかに輝いてるんだよね
だけど、だいたいね、大学二年生が分水嶺で、大学二年生になると
目は殆どの場合死ぬんですよね。でこれパターンでしょう
しかもね集合的なパターンなんですよ
で、なんでそういうことが起こるのかっていうこと?
それをまず考えてもらうとどうなるか分かる?
「そうか自分は自分の悩みを悩んでいたけど
それが一つのプラットフォーム、一つの大きなあの本当はその外に出ることができるはずの
ゲームに閉ざされているから起こっている悩みなんだな」
ってことが分かったりするわけだよ
で、これは視座の転換なのね、なのに駄目な劣化した年長者一部は
そうした転換をせずに、「何故俺たちの時にできたことができないんだ、この野郎!」
になっちゃうけど、できないんだよっていうね
なぜできないかって、おまえよいろんなところ旅行したことないのか
うちらの国では若いやつはもう死んでるんだよって、
この問題をどうするのかっていうことをまず考えろよお前ってことですね
~~~~~~~~~~~~~~~同じ世界で1つになるということ
(阪田さん)
あの、やっぱコロナの2年間って
その、目がね、死んでいくのを加速させるっていうか
僕らはこの夏前かなちょっと気づいたのは、そういえばこの二年間大学一年生二年生が
どうやって過ごしてきたのかなって、詳しいことは全然聞いてなかったなって思って
まあ、ニュースとか巷ではね、そのコロナ世代とか、ZOOM、オンライン世代とか
いろんなこと言われてたけど、その実在として本人たちがどういうふうな
その二年間を過ごしてきたかって聞いてなかったなと思って聞いたんですよ
結構詳しく。それはあの結構たくさん喋ってくれたんですけど
やっぱり一つはもう大いなる期待ハズレですよね
大学一年生のタイミング、2020年が。大学一年生の人にとってみたら
普通に考えて一番持ち上げられる世代じゃないですか
何て言うんでしたっけ、オープンキャンパスに行くと、ま、こんな大学生活が待っていて、みたいな。
大学で大体田舎から出てくる人は神戸は都会だって言って、
月見山っていうあのなんか暗い所に済まされたりするんで
それで幻滅したりするんですけどそれはま差し引いても、もうなんか
そういうキャンパスライフみたいなのがあるよって言われてて
蓋開けたら全部オンラインで、特に田舎から出てきた人にとってみたら誰も知らないし
学校からの大学からのケアもそんなにないしっていう
ただでさえその期待水準願望水準というのが低い
その若者の目が死んでるっていう意味では低いのに
このコロナでやっぱりその大いなる期待はずれがあった
で、それが大学一年生だった人たちですよね
で、高校三年生もおそらく同じように
日本ってこう卒業式結構大々的にやるので
で、それはあのーまあここにいるその彼女が言ってたことだけど
面白かった、というか面白いって言ったら失礼なんですけど
あの2020年のほうが感染者数が少なかったんですよ
だけど厳しかったんですよね。対応が。
全ての行事が中止になったし、オンラインにすぐなった訳ですよね
で、2021年は感染者数が多かったのに2020年よりゆるかったんですよね
で、その期待はずれっていうか、なんでだろうっていうのもやっぱりあって
2021年にちょっとね、持ち直しただったら
あのイベントを一回やってあげたら良かったんだけど、それは意外と信頼してた
部活の顧問もなんかお前らの世代は大変駄目だったよ、残念だったよね
で、それだけで終わってしまうっていうことの落胆
だからなんかちょっと目を出してこう顔を出して、これに期待してもいいのかなって思い出した若者
がまコロナのそのどさくさっていうか、社会に顔を出した瞬間にやっぱすごい引っ込んでしまったっていうのが
あの僕は聞いてて思ったことですね
その時になんか我々はちょっと不真面目だったのかよく分かんないですけど
不要不急の外出をしなさいとかって言ってたんで
それはやっぱり若い時に不要普及かどうかは分かんないから
あの若い時は不要か普及かよく分かんないけど出歩いて
世界観を広げるみたいなね、いう世代のはずだから
まあそれはぜひ皆さん大学生してくださいねっていう風に言った。
もっと丁寧に聞いてあげなきゃいけないなと思いました
今年その二年間どういうことが起こったのかっていうことですね。
(宮台さん)
ま、不要不急論はね
僕がものすごく初期の頃から言論で馬鹿げているって言ったでしょ
で、皆さん誰かと友達になるとか関係結ぶ時に緊急で必要なことで集まって友達になるの?
そんなやついるのかよってことです
で、若い時にいろんな人たちと友達なり、いろんな繋がりを得てね
で、これは単にね知識的な合理性ってことじゃなくて、「あっ 自分のようなやつ沢山いるなあ」とか
「自分と違うやつがこんなにいるな」って、要するに社会の見取り図を書いていくっていう意味でね
友達を作るのは大事なんですよ
で、その意味ではね、不要不急のことをやってもらわないと友達はできないので
ということであの不要不急のことこそが若い人には必要でね
なので、もうあの既に言ってるからまあ言うけど
一応あのー大学の授業一時期2020年で全部オンラインでやれってことになって
集まるなっていうことをやってましたけど、うちらのそのゼミでは
スペイン料理屋の二階でパティーやるので集まれでもちろん強制でもなんでもないので
自己責任ですよって言ってやったら大体集まってくれました。
当たり前だよね。みんな集まりたくてしょうがなくて
その時初めて僕の顔を見て宮崎さん実在するんですね
って奴がいたんですよ。当たり前だろ馬鹿野郎(笑)って。
(阪田さん)
それぐらいあの間接的というかね。タイミングっていうのがなかったんですよね
それもみんな忘れちゃってますよね
当然我々もマル激はもう何回も見たし、こだまさんの番組とかを見て
そのコロナがどういうものなのかっていうのはもう徹底的に勉強して
月二回ぐらいのペースで大学生にガイドライン出したんですよ
こういうもんだからこういう風に気を付けて、活動を続けて欲しいっていう風に。
徹底的にやりました、で、その上で可能な範囲で活動は続けてほしいって思いを持ってやってたんで
なんか滅茶苦茶速かったんですよ、うちはもう台湾にすぐ問い合わせて
台湾はSARS、MARSやってるんで台湾のガイドライン取り寄せて
日本語訳してガイドラインを早く出してやってたんで、の当時の様子を学生に聞くと
YMCAはその部分だけ止まってなかったっていうような感想ですね
あとは全部止まってたボランティアの募集も何も全部止まってたけど
なぜかYMCAだけが活動をやってたって言ったら不要不急の外出をしろって言われてびっくりしたと。
でもそういうのができましたよね。今考えてもちゃんと状況を把握すれば
完全に止まる時期があったにしろ、あのわりと早い段階で活動は再開できたっていう風に思うので
まそれも特にYMCAなんかやっぱちゃんと検証した方がいいですよね
若者と社会の間に立てなかったっていう空白がやっぱりどうしても生まれているので
それはやっぱり猛烈に反省して、なんかしょうがないよねみたいな話で対面がいいよねとか言ってましたけど当時。
そういう問題ではなくてあのやっぱそこを止めてしまったっていうことの反省は猛省にしたほうがいいっていう風に思いましたね
(宮台さん)
ま、だからその点で不要不急の外出はするなとかさ、あの頃な感染を防ぐためにマスクを着用して手を絶えず消毒代とかってこれね、全部皆さん今、インターネットの時代なので疑って掛かってほしいんですね
2020年の末の段階だとですね、ジョルジョ・アガンベンっていうですね
イタリアの哲学者思想家がロックダウンは誤りである。なぜかと言うと
コロナがロックダウンによって沈静化したというデータは全くなく、四種類の季節性コロナと同じカーブを描いていると。であればね
先程申し上げたような理由で、若者たちからね、集りの機会を奪うのは致命的だという風に考えるべきだと。
で、あるいは、2021年以降ですね
次第に分かってきたことはコロナ最初インフルエンザと同じようにね、皆さんご存知だと思うけど
要するに飛沫感染と接触感染だと思われていたんですよ
でもあのそうではないってことが分かってきて
2020年に入る前の段階で、CDC、アメリカの感染研その他ですねさまざまな機関が
ほとんど全ては空気感染、エアロゾル感染っていってマスクでは防げない、防げたとしても一割以下
のものだっていうことがあの公式に表明されるようになったんですね
それで多くの国ではマスクは要りませんね
あるいはあの手の消毒もいりませんよと、こう、なったのね。
でも日本だけが相変わらず手の消毒とマスクなんですね
いや無意味じゃないですよ。インフルエンザを防げます。コロナにはあんまり関係ないです
コロナはエアロゾルなのでひたすら換気が大事なんですね
なのでみんなが集まっているような、換気のいいところだったならば
消毒もいらないしマスクもいらないですよね
っていうことはすぐ調べれば分かります。すぐ調べれば分かるのに
日本人はやっぱりヒラメキョロメなので残念だけど、みんなマスクしてるのに
自分だけしないのがやばいんじゃないかなみたいになっちゃうわけね
社会の隅から隅まで金太郎飴のように同じこのムードがあるので
日本人だけいつまでたってもマスクをしています
微笑ましいと思いませんか
(阪田さん)
食堂が静かなんですよ。キャンプ中に。なんでかなって。
黙食慣れしてるから。
みんな?あれどうした?なんか今日あった?
って言って食堂行ったらそう思ったんですけど、やっぱ黙食慣れしてるからで。
我々のキャンプ場って海辺っていうか無人島なんで、アガンベンじゃないですけど、尊厳の話は
結構たくさんして、ままずマスクしたまま海に落ちたらかなり危ないですよ
全然呼吸できないんでもう死ぬ本当にもう奢れるっていう感じ失速するようなものがでだけど
やっぱ子どもたちみんなマスクちゃんとしてる。それあの海に突然落ちたとき外せる?っていう話をするでしょ
だからそのコロナよりも怖いものがあるっていうのがまず一つですよね
海沿いを歩く時は絶対外しなさいって
もう一つはやっぱあの僕はそのはっきり尊厳という言葉で今回子どもたちには喋りましたけど
あの人間は命を奪われるっていうことも
もちろん大きなことだけど尊厳を奪われるっていうことも
もしかしたらそれ以上に大事なことなのかもしれない
マスクしたまま人と会うとか
黙食を続けるとかそれが必要な時はもちろんあるけども
その尊厳ということもちゃんと考えて欲しい
それはま余島っていうね
我々がやってるキャンプ場の開設以来のテーマでもあるんで
人間の尊厳は何か考えろっていうのが
あの戦争から帰ってきた人の我々に対するメッセージなんで
そういうよりね、言葉で伝えるようにしたんですけど
でもその黙食の流れっていうかね(汗)
(宮台さん)
昔の映画やドラマを見ると
取り調べの時にさ、刑事さんたちが
犯人に、容疑者二活動に詳しいんだよね
で、なんでかつ丼食わせるのかわかりますか?
二つ理由があってね
一つは血糖値が上がると人間は無防備になってね
あの簡単に言うと、自己防衛の壁が薄くなるんだよね
なのでいろんなこと喋りやすくなるってことがある
要するに
あのーこれはねあのデートするときに男にとっては重要な問題で
女がすごい不機嫌な時ってね
実は男よりも女の子が血糖値の低下に敏感なんですよ
なのであんみつとかアイス食わせると突然ご機嫌になるんですよ
なので、不機嫌な女にね
どうしたのこれが悪いのか悪いのかそうじゃなくてまずソフト食えよ
これは実際、実践的に正しいです。経験的に本当にそう言えます。
あともう一つね
あの人間はものを食べる時に他の動物も同じなんだけど
ものを食べる時には無防備になるんですよ
当たり前ではね、ものを食べるっていうのはすごく受動的で
むき出しの状態です。ある意味でね。
なので、ものを食べる時にはもともと血糖値の問題とは別に無防備になりやすいんですね
だからそうなった時に、「事件のことだけどさ」、っていう風に話し始めると
思わず喋っちゃうってことがあるの。
これはね黙食問題がいかにね
特にあんまり親しくない者たちの間で非常にまずい理由が分かるでしょうね
一緒に飯を食って喋る時ってそうじゃない時に喋るよりも深い話ができるし
フランクつまり、より開かれた状態で喋れるようになるんですよ
これも実はサイエンスなんです
コロナ感染もま優先順位としてね、大事な問題だと思うけど
それだけが大事なわけじゃないでしょ
さっき言ったように飛沫感染接触感染じゃないから、本当はその判断をあやまってるけど
コロナ感染が接触感染飛沫感染だったとしてもそれも重要だけど
特にでもあんまり親しくない若い人にとってはね
飯を食う時に話をするっていうことがやっぱりすごく大切なんですよね
なので黙食さえしてればいいんだっていう風な単純な考え方は
全部疑わなきゃいけないんですよね
なぜかと言うとそのダメージが副作用がすごく大きいからです
(阪田さん)
この夏、コロナになって三年目。
我々のそのキャンプとしては、本数募集した規模は、ほぼコロナ前に戻ったんですよね
一つ良く良かったっていうか、その反動としてやっぱりコロナがあったからよりキャンプ体験をさせたいっていうような親も多かったし、キャンパーが気合い入ってるのが多かったし
(出典:YMCA余島日記HP)
全然キャンプのこと知らない方も聞いてると思うんで
一応説明をしておくと、400人ぐらいの参加者が来て、キャンパーが来て
一番短いのは二泊三日から一番長いのは11泊のキャンプまで
キャンプ場で我々が言うなレジデンスキャンプっていうんですけど
キャンプ場のレジデンスに泊まって、町ではない全く何もない無人島ではない
フロントカントリーって言われてるようなところで過ごす体験をする一番オーソドックスなキャンプから
カヌーで小豆島の離れ小島なんで小豆島一周80キロをカヌーで漕ぐっていうキャンプとか
シーカヤックで無人島に行くキャンプとか、エクスペディションってわれわれ呼んでるようなものですよね
それを幅広くっていうか年間でやってるんですけどほぼ出来た夏だったんですね
で今皆、宮台さんおっしゃってた、「深まる」っていうことで言うと
もともと深まりをあんまり求めてない短期のキャンプから
あのまあ本当に長期のキャンプとかそういうエクスペディションっていうのは
あの色んな意味でプレッシャーがすごいかかるんで、キャンプの後半になると本当に深い
感じになっていくってい、そういう風な実践をやってるっていうことですよね
キャンプ長にカヌーの話をしてもらいたいと思います。
一番この夏特徴的だったと思いますので。
(山本さん(キャンプ長))
80キロやっぱすごい距離なので
6泊7日かけてやったんですが、やっぱり約十年かかって備品だったりいろんな協賛を受けたり
トレーニングを積んでやってきたんですけども
あの結果的に最後はその皆さんがよく共同信頼性というか
本当に、1手1手ではなくて全ての手がひとつの体となって海を渡っていくような感覚で
余島最後ゴールした時もその何でしょう
少し広がって芝生とかに座ってされてるんですけど
あっちで笑ってる声もうれしいし
そこで話をしていることも一緒に話してるような
同じようなこのなんていうの感覚の中にいていつまでもこれが続いたらいいなっていう感じで
それはやっぱり80キロの距離もあったんですけども
(出典:YMCA余島日記HP)
全部自然が与えてくれて本当にひっくり返りそうなかなり厳しい海もあったし
最後に実は八十キロで渡りきれず
どうしても一つ岬が超えなかったので船運んできたんですね
でそのときに
子どもたち私たちで一キロぐらい船運んで、一キロ先に置いたんだけど
まだ海には出れないので
まだ余島に入る阪田さんに車で迎えにきてもらって子供は残り2.5km歩いて
船は車で運んで、行って最後余島に帰ってくると、阪田さん始め
そこでキャンプした人たちが迎えてくれたんだけど
その時にも同じように自分たちが80キロを自分たちが濃いだんだけども
でも自分たちだけが漕いだんではなくて一緒に旅してたんだというような感覚と
私なんかはその十年二十年この浜で、この人とここではこんなことがあった
あのときはこの岬を渡れなかったっていうのが
全て時間感覚狂うというか、という全く同じに6泊進みながら、こう余島にきたときに
夏の初めでしたが、そのときの感覚のまま、今もなおその感覚が続いています。
(宮台さん)
分かります
僕の言葉だとね同じ世界に入って一つになられたんだと思うんですね
さっきのこの部室みたいなこの汚い部屋の話もそうですけど
これってやっぱりあのただの清潔なね、機能的な部屋にいた時に感じられないような
同じ場所にいるっていう感覚があるでしょう
つまり、この入れ替え不可能な場所を自分たちは共有している
つまり同じ世界に入ったよねっていう感じがする訳ですよね
だから同じ世界っていうのは
物理的な空間ではないんだっていうことが分かりますよね
そうではなくてま生態心理学の言葉で言えば
いろんな雑多な事物の全体にコールされているんだから
例えば同じように非常に高い負荷の中で頑張ってきたとかね
あんな困難があったよねでそれを乗り越えたよねーとかっていうね
その全体がさっきの記憶を形作りますよね
共有されている記憶なんだよね、なので単に
物理的な空間が同じか同じじゃないかということではなくて
共有された記憶でその物理的な空間がさっき言った場所
同じ場所になるんですね
それが同じ世界同じ世界に入るということですよね
これは実はすごい深い問題でね
それが少し話題にしてることだけど、若い人たちがどうして繋がれなくなったのかとか
あるいは若い人たちが多くはどうしてですね、つまらないこと
僕らから見ると、「えーそれってどうでもいいんじゃね」みたいなことにくよくよ悩むようなったのか
なんで若い人同士が悩みを話せなくなったので自分の悩みは自分の悩みだけだとかっていうふうに
思うようになっちゃったのかってね
これは全部同じ世界問題なんですよ
僕らが例えば僕の世代、僕は1959年生まれなんだけど
小学校時代って1960年代の半ばと後半なんですね
僕は団地の子だったけど地元の小学校に行けば団地の子もいればお百姓の子もいれば
店屋さんもいれば、自営業のお店の子もいれば、医者の子もいてヤクザの子もいるわけね
そういうのは雑多な、つまりカテゴリが違う人間たちと、しかも年齢も違い性別も違うっていう中でね
一緒に夜遅くまで遊ぶ、よそんちでご飯を食べる、お風呂に入る
あるいは場合によっては泊まってくるみたいなこともまれ、泊まるのは例外的だったけどね
あるいは同じ秘密基地ごっこをする、ドッジボールをする、ゴム跳びをするで
このカテゴリを超えて一つになるっていうね
僕は黒光りした戦闘状態で遊ぶって言ってるんだけど
僕らの世代はそれがあるんですよね
カテゴリを超えて同じ世界に入って一つになったっていう経験があるんですよ
実はキャンプ実践が目指しているのもそこなんですよね
カテゴリが違っても同じ世界で一つになれるよということなんです
で、それはある種の体験の共有によって可能になるんですよね
で、キャンプ実践をしていい感覚いい感じ
同じ世界でひとつになったなっていう感覚を得たのであれば
そこから日常を振り返ってどうして自分たちはこんなにばらばらで同じ世界に入れず
一つになれないんだろうっていうことを反省し
で、だったらキャンプ実践ではないにしても
日常の中で同じ世界で一つになるための工夫ってないだろうかっていう風に考えてほしいですよね
で、僕らが一番まずいなと思ってるのは、生きづらい人たちがキャンプに来ると
「いや~いい時間でした~」って言ってそれがレクリエーションになっちゃうっていうことだよね
これはアート論にも関係することなんだけどリクリエーションってさ
「元に戻す」という意味だよ。リ・クリエーションでしょ
疲れたやつをフルに作らせて元に戻してまた疲れる場所に戻すんだよね
だからこれはあのブラック企業に満ちた生きづらい社会を補完するレクリエーション
になっちゃうじゃん
やっぱりこれはまずいんだよ、だめな社会を補完するために駄目な社会で疲れたら
「レクリエーションの場にきてください、そしたらま週末のサウナみたいな感じですっきりして
またブラック企業に戻ります」
そういう問題じゃないだろうっていうことなんですよね
だからレクリエーションやエンタメとは違ってアートっていうのはね
普段の自分たちの生活が、生き方が、生活形式が間違ってるんだってことを気付かせる
そういう意味で、私の、私たちの毎日の生活は駄目なんだっていうことを気付かせるという意味では
人を傷付ける営みなんですよね。
なので皆さんもキャンプ実戦でやすっきりしたとか言って戻るんじゃなくて
私たちの日常はここまで駄目だったんだなっていうふうに反省し
”傷ついて” つまりアート体験と同じ ”傷ついて”
日常に戻って今までとは違った生き方をしなきゃなぁ!っていう風に思うことが大切なんですね
(阪田さん)
そうですね
だからその居場所どまり論っていうかね
それはまたちょっと後半戦ということで言及したいんですけど
今年のっていうか、宮台さんから3月かな、広島で一緒にセッションやった時に
宮台さんの言葉をもらってキャンプで我々が良きことを体験するのはそれが社会で失われたものだからだっていう、その失われたものの記述の方がやっぱり大事で、そういう意味でその週末のシャワーにならないようにって、でもこれは意外と実践では難しくて、あのー僕が一番薪割りの例を出しますけど
薪割りのための薪割りはやっちゃいけないってことなんですよ
これはその実践者にとっては多分相当難しいと思うんですよね
薪割りのための薪割りができないっていうことは
どういうことかって言うと、お前は薪割りする資格ないとか、お前はオノは使えないとか
お前はそもそもこの資格の仕事に携わる資格はないっていうことを
我々だったらキャンパーなど、多くの皆さん、参加者に言わなきゃいけないってことなんですよ
でも体験だからあのーみんな一回は薪割りしましょうねっていうのは、薪割りの為の薪割りだから
それはその良くないっていうことですよね
スキーのためのスキーも駄目だし、カヌーためのカヌーでもない。
だからさっきの山本さん(キャンプ長)の話で、カヌーを最後持ち上げて運んだっていうのは
何にも悪い話ではなくて、水の上をこげない環境なんだったら船は背負って移動したらいいんですよ
で、そういう風に昔の人は設計してカナディアンカヌーっていうのをやって背負えるようになってるんですよね
だから、陸に上がってカヌーを運ぶっていうのは全く正しい使い方
だけどカヌー体験をさせなきゃいけないってなれば
あのーどんな荒海でも渡っていうかそういう判断になると思うし
だからこれで実践では多分相当難しいはず
すごい断らなきゃいけないから、オノが使えなかったらクサビとか、金づちで割るっていうこともできるけれども
多くの場合断らなきゃいけないからk、この話はね、ぜひ実践したいなって思う方は
気合いを入れてやってほしいなって思うんですよね
レクレションから脱するっていうのは、意外と現場の人にとっては大変だと思います。
(山本さん(キャンプ長))
海を渡れないって判断を、我々スタッフで判断したときに
やっぱり一瞬不安を覚えました、
カヌーよく持ち上げて運ぶっていうことに子供達はどうするだろうかと思ったんだけど
ま、勿論、伝えて運び始めた時に今ここにいる指導者の言葉ですけど
カヌーでこぐ姿と、船を持って歩く姿が全く変わらなかった
素晴らしいなと思いました。
(阪田さん)
その共同身体性とかって不思議なことが起こって、その時僕はキャンプ場で
このトリップをバックアップしてる立場なんですよね
で、他のキャンプかをやってたんですけど、朝六時ぐらいかな、
その時ふと僕は海に降りたんですよ、キャンプ場から海に降りて本当にふと海におりて帰って来る方角
こっちからそろそろ順調にいってたら見えるだろうなっていう方角を見た時に
まこれ海の言葉で渋いっていうんですけど
かなり渋かったんですよね、これカヌーではちょっとこれ超えれてないんじゃないかなっていうような海だったから
山本さん(キャンプ長)ともう一人、森本さんっていう人のグループラインに、渋いですねって送ったんですね
そしたらすぐ電話掛かってきて
あの渋いから迎えに来てほしいと言われたんですよね
僕ライン読んだんだと思ったんですけど、後で聞いたらラインは読んでない
なんかほぼ同時に渋いですよね
っていうのと渋いから来てくれてって。
来てくれって意味は僕らはもうすぐわかるであの船を陸で運ぶからっていう
だからあれは何て言うか、本当に不思議なことが起こるっていうか分かってるっていうか
(山本さん)
荷台で来てくれてあっという間にそこまで来てくれて、子どもたちが良し行くぞって
もう一回漕ぎだして、時間間隔がくるってっていくというかどうでもよくなっていくから
(宮台さん)
同じ世界に入って一つになるっていうことは今の山本さんの話にもあったようにね
同じ一つの流れに乗るっていうことなんですよね
一つになるっていうのはなんかスタティックっていうのは止まってる感じだけど
実際のイメージは僕よく初期ギリシャの哲学の話を出して説明するけど
みんなが同じ流れに乗っかっているっていう感覚なんですよね
この感覚は、今、山本さんがおっしゃった時間感覚の変容をもたらすんですよ
皆で同じ流れに乗っているっていうのは物理的な時間よりもあのずっと濃密で
ものすごい長い時間一緒にいたように見えるけど
実際には短時間だったっていうことが起こるんですよね
つまりこれ圧縮的な体験っていう風に言いますけれど
同じ世界に入って一つになる=同じ流れの上に乗っかってるま
これフローとかっていう言い方もあります
ミハイ・チクセントミハイ(※)っていう人の言葉ですけど
※出身のアメリカの心理学者。「幸福」、「創造性」、「主観的な幸福状態」、
「楽しみ」の研究(いわゆるポジティブ心理学)を行う。フローの概念を
提唱したことで知られる。 ~ウィキペディア~
同じフロー、同じ流れに乗るということでさまざまなあの身体的な経験、時間的な感覚が全部変わってくるんですね
面白いですよね
(阪田さん)
本当に体験した人じゃないと分かんないんですよね
(山本さん)
なかなかでも十五年間、キャンプ長してその感覚はなかったですね
初めてって言っていいぐらいの感覚でしたね
(阪田さん)
一番わかりやすい
やっぱり時間感覚ですよね 三時間が一時間とか30分のように感じるとかいうことですよね
で、それはキャンプやってればまあ注意深ければっていうか
敏感であれば似たような感覚はたくさんあると思いますし
僕らはそれちょっと予行練習を数年前にしてて、キャンプ場の中で軽トラック使ってるんですけど
看板の関係で桟橋から半分落ちてたって事件が一回あったんですよ
船で、こう桟橋に向かってキャンプ場に帰っていくんですけど
なんか遠目にどう見てもあの軽トラック半分をお尻が落ちてるなっていうのを。。
で、みんなちょっとその時気分よく。。僕はお酒飲まないんですけど
休みの日だったからいつもカヤック一緒に行ってる四、五人か、どう見ても落ちてますよって言って
そっからは早かったんです、軽トラを挙げるまでが
本当に同じ世界を、誰が言葉で指示するわけでもなくチェーンブロックとワイヤ持ち出しサイドブレーキとか
もう数分で軽トラを引き上げたということがあって、その練習があったので今回早かったです
そういうのも何て言うか何て言うんだろう、ネタになるっていったら変だけど
そういうできごとに。。なんていうんですかね
だからそういう風、体験に甘んじないっていうね
そこで止まらなければキャンプ体験ってのは本当にいいものだと思うんですけど
やっぱり今年一年、特に僕ら頑張ってきたのは、キャンプが居場所で終わってしまわないように
でもまたくさんキャンプやってるんで、居場所が必要な人も絶対いるじゃないですか
居場所の段階が必要な人っていうか、だからそれはあのー全然否定するわけじゃないですけど
やっぱり場所を超えたところで、キャンプをしていきたいなっていう風には思っているっていうことですよね
でそういう意味ではまコロナがあって、それはたくさんメッセージとして出せたし
キャンプに来る人もだんだん分かってきたっていうことですよね
来年以降とか今後のそのキャンプの我々が今抱えている課題は、一般募集のキャンプっていうのと
ま、これはお金払ったら参加できる人がいるんだけど、自分で応募したら参加できるキャンプと
誰かその紹介者がいないと参加できないっていうキャンプの二通りでやってるんですけど
えっとなんていうんですかね、いいやつが集まればいいんですけどっていうキャンプがあるんですよ
っていうのはあんまりそのやっぱりカヌートリップ80キロみたいに体とか精神に思いっきり負荷をかけれる
キャンプって逆に限られてくるから、限られてくるというのは
それを嫌がる人も多いって耐えられない人もいるし、年齢もどうしても上になってしまうから
それは今、紹介制でやってるんですけど、紹介制だけだと、ま、これ後でまた話出ると思うんですけど
どうしても最初からもう深さっていうか、深い話になり得ない人がいるんですよ
それはなんていうんだろうな、特に今年に関しては中学生男子です中学生以上男子なんですけど
小学生はまだ大丈夫なんですよ、感覚で動いてるか感情で生きてる生き物だから
深さにすっと入っていくんですけど、中学生ぐらいになって少し理性的っていうかになってくると
急激にま特に男の子が駄目になるんで、その中学生男子が参加するプログラムで身体的負荷がかからない
場合ま身体が大人になってきてるので、ある程度ことが出来ちゃうですね
浅い中でできてしまうっていう。。それが今年のま僕やったキャンプの一番難しかっところで
その紹介性の限界がもう今来てて、来年はもう招待制にしようかとおもってるんです
それは極端な話、僕と山本さんと森本さんとか五十嵐さんとかが
お前いいやつだなって言われた人に限り参加できるっていう、まあだから仲間の伝承性の中にいる人しか参加できない
キャンプっていうのを、これは一般募集じゃないわけですけど、やっぱ一本はやんなきゃいけないなっていう風に思うんですよね
そうするとまある種、最高の世界っていうか、あのみんなが目指すべき世界みたいなものがキャンプ中に見えると思うので
そういうのをブログに書いたりま映像で残したりっていうのは、数あるキャンプの中で一本はやった方がいいっていう。。
これなんかすごいなんか難しい感覚なんですよ
だからつまりそのシーカヤックって一瞬なんですよ
死ぬとしたら一瞬なんですねもう命を奪われるとしたら一瞬で
その時にあこいつはなんか信頼できなかったなとかっていうことではやっぱダメなんであのー本当にね
途中で帰ってきちゃうんですよ、シーカヤックが、もうこいつらと無理だなと思ったら帰るしかない
えーこれ以上の船旅はもうできないっていう判断をするしかなくて、で、その時にまだまだいけるやつがいっぱいいるけど
フローライダー的な人たちの比率が変わってしまうと、トリップ続行ができなくなるので
それはまそういう意味では公共的ではないなっていうから
そういう、ある種特殊な仲間を作る能力って、今の人たちにとって特殊能力みたいなもんだと思うので
そのカヤックをこぐ技術っていうよりは、仲間と同じ体で何かをするっていう特殊能力がある人たちとやるキャンプっていうのを
やっぱ一個は作りたいっていうのがこの夏終わって一番思うことなんですよね
(宮台さん)
ま、僕のゼミもね、学外の非正規のというか、モグリの参加ができるようになってるんですね
でも今からね、20年。。。ゼロ年代は途中まで千客万来オープンtoALLだったんですよ
ところがそれだとま色んな意味で回すことができなくなったので、つまりま単純に言うとね
ゼミの従来の水準が維持できなくなったので、紹介制、つまり紹介者がいないと入れませんというふうにしたんです
それでも最近はやっぱりゼミのクオリティを維持することができなくなったので、紹介者はある程度ゼミに長くいた人で、しかも推薦文をちゃんと書いて簡単に言うと紹介制じゃなくて、もう招待制にシフトしたんです。
これは今年からの話ですけれども
だからどこでも同じ問題が起こっているということですよね
大変ですね皆さんね。
(阪田さん)
うんそうです
やっぱりある程度のクラスタっていうか、カテゴリに意図的に分けてでもやっぱり捨てることはよくないで
こういう風になればいいなっていうふうに思いますけど、今までみたいにさっきの感想感想を言うのに
三時間問題みたいにやっぱり全員に同じ投げかけであの今感じてることを言ってください
っていうのはなかなかちょっと大変なので。。
(宮台さん)
うんだからどの界隈でも起こっている
昔は万人に来てくださいでもあった。それがそれがだめになって紹介制になった
しかし紹介制でもダメになって招待制にならざるを得なかったっていうね
この変化は金太郎飴のように、どこの界隈でもよく起こってると思うんですけど
その理由も皆さんちょっと考えてみてほしいですね
社会が良くなっているでしょうか?便利になってますよ??
だって誰と合わなくても友達いなくてもですねインターネットとアマゾン宅配があれば生きていけますからね??
本当素晴らしいよね??
社会は日進月歩で良くなってると思ってるやつらがいっぱいいるわけよ
でも僕は申し上げた千客万来は無理。招待制じゃなきゃ。紹介制ももう無理。
招待制じゃなきゃっていう風になっちゃうのは何故
それって社会が良くなってるから?ありえないでしょってことですよね
(阪田さん)
なんでクオリティが下がるんですかってコメント入れてくれてる方がいますけど
これ下がるんですよ。どんな説明したらいいかちょっと分かんないですけど
ま、上の人間はいいですよ。これ大丈夫。
そこが居場所になってる人間はどっちかに引っ張られやすいですよね
その自分の価値観ははっきりしててどこに行っても価値貫徹できる人間は一部ですよね
その人たちは大丈夫
この間の層がいて下を引っ張る人たちが多いとそっちに引っ張られるわけですよね
そうすると全体の我々だったら旅が成り立たないっていうか
もうちょっと根本的な問題でこいつらとはやりたくないなって、つまり冷めるんです。僕ら。
僕らは、やっぱ仕事でも行ってるから例えば波で誰かがさらわれたとかってなったら
もうこっちの命かけて助けに行かなきゃいけないじゃないですか
で、そういう風にお互い預かっていいなと思ういいやつだったら行きたいし
あの一緒にもう一個、無人島行ってみようかってなるけど、こんなやつだったら別にいいかなっ
そこは逆に僕らは感情に素直になるようにしてるんですよ
それを隠していくとそれはやっぱり自然ってそんな甘くないので
それでなんか天候が荒れたときに絶対に回収することはできないっていうか
守ることはできない
だから、少しでもここにもこいつらとは無理だな、つまんねえなっていう感じが起こったら
やっぱりそれは連れていけないですよね
別に全部のキャンプをそうやってやってる訳じゃないんですけど
それはやっぱりカヌートリップとかシーカヤックっていうのは、そうじゃないと見せれないもの
それがまフロー体験って、それジョー・マイヤーっていう人が言ってることなんですよね
委ねストリップの醍醐味はフロー体験だ。と。
やっぱそこに身を置き続けるためにはある一定の水準というか。ものをクリアしといてくれないといけない
それは事実なので。そこですかね。僕が思う。なぜクオリティが下がるのかっていうので。
(宮台さん)
似た話をね、ちょっと別の角度から話すとこんな感じだよね
今、多様性の時代って言われてるけど実際多様性は広がっているだろうかっていう風に考えてほしいですね
さっきみたいに小学校に行くといろんなやつがいて、家庭環境もばらばらで、なおかつ異なる年齢集団の間で
しかも性別も取り混ぜて一緒に遊ぶことができた
子供たちの成育環境に目を向けてみると昔の方がはるかに多様だったんですよ
なので、こっから非常に大事な問題だけどね
同じ世界に入って一つになることができる人たちって、お互い何でも許し合えるですよ
さっきトラブルのケース。実際、遭難しかけた時にどうするのかってこともそうだけれども
いわゆる親が言うこと、学校が言うことから見た場合に、全然外れたことを
それぞれが突拍子もなくやっていたとしても同じ世界で一つになっている連中って許し合えるですよね
でも今はどうですかってことです
同じ世界に入って一つになることができないから何かって言うと
「ルールに反している規則に反している! 許せない!私はルールを守っているのに守ってないやつを見逃すのか!」
みたいなクズが湧いて湧いて湧きまくるわけ。親を含めてね
それが今なんですよ
それはだから僕がよく言う言葉の自動機械、言葉の自動機械、法の奴隷、損得マシンが沸く背景にあるのはね
同じ世界で一つになることができてないから、そうした経験を想像することもできないからなんですよね
だからそんな状態でダイバシティ多様性とか行っても絵にかいた餅で
その意味で我々の共通感覚や共同身体性が劣化しまくった状態での多様性なんてのはありえないということです
同じ世界で一つになる。そういう経験をした連中あるいはなれるとお互い思いやってる連中においてしか
多様性はあり得ないっていうことですね
これはあのグローバル化を前提としてね
あの母語というか言葉も違い国籍が違う人間たちがお互いに認め合うことができる
その条件は何なのか多様性教育をするから。
バカじゃないのそんな問題じゃないよ
カテゴリ、ルーツが違っても同じ世界で一つになれるねっていうことを体験したやつにしか
真の多様性への開かれはないです
(阪田さん)
でもそれもなんかねコロナで加速したなっていう気はしますけど
YMCAのキャンプ場って、基本、条例よりも古いって言ったら変ですけどめっちゃ古いですよ
100年とか50年以上っていうことが多いので、だいたいその条例とかってあとから足されることが多いから
でもやっぱ今年そのたき火っていうか煙っていうのは与島でもね、ちょっとちょっと怒られちゃったんですけど
でもやっぱり消防の人はわかるっていうか、火の怖さの良さも分かってるから
ちょっとうまくやってくださいねって感じですけどやっぱり警察にね。
(宮台さん)
タレ込まれちゃうとね。だからそれがうまくやってくださいってことですね
うまくやるっていうのはま例えば近所に事前に挨拶するとかね
そこに招くとか何でもいいけど、分かりやすく言うと
同じ世界で一つになる可能性を想定し合えるような人間たちは寛容なんですよ
だからそれを想定し合えない連中は、
「何で煙が出てるんだ!」「何で音が出てるんだ!」っていうふうになりがちなんですね
でそういうクレームが来ると周りも消防も動かざるをえないね。
うまくやってくださいってやってくださいですね
(阪田さん)
あと、環境が変わったのは周辺環境ですね
キャンプ場のある場所だいたい避暑地だし、別荘地みたいなところが多いので
その周辺に薪ストーブのある生活みたいなのに憧れて、要はあのなんていうんでしたっけ
新しく新住民ですよね、新住民的な人がキャンプ場の周りに住み始めてるから
そこが気になるんですよね
なんであそこは火たいてんだって
百年前から炊いてるよって話なんですけど
でもそれが分からないか、ここも古いですよ
この場所にこれぐらいのがあるのも古いですけど
こないだそこ騒いでたら怒られたよね
騒いでたらちょっと怒られて。でも昔からここ騒いでたはずなんですよ
だって若者が集うたしバスケやってもらったし
色々賑やかにやって、その時から色々言われたんですけど
でも隣のね今マンションに住んでる人は、そういう歴史も知らないから
若者ってもうノイズなんで、なんで若者が騒いでるんだみたいな
いや若者だからでしょう。っていうのがもう通じない社会に生きているっていう。
それが宮台さんがさっきおっしゃったじゃあそういう社会良くなってるのかって言われたら
まあ窮屈になってるだけだよねっていうこともいえますよね
だからまあ同じ世界に入るっていうの本当にキャンプではわかりやすい。
言葉にしやすいっていうのはあると思いますね
(宮台さん)
僕はね、二十年前から社会が悪くなっているずっと言い続けてるでしょ
でもね割と最近になるまで大学生の多くはむしろ反発して、いや社会良くなっていると答えるやつがいっぱいいたわけ
大学の答案ところでもね
さすがに2020年コロナで日本だけが東アジアで大失敗したりとかオリンピックもね
当初から実は大失敗だったんだけど、今回ね、理事が逮捕されたりとか
場合によっては元首相も逮捕されるかもしれないことになってここまで失敗してね
目に見える報道だけ見てもやっぱり日本の社会ってどう見ても良くなっていないということが出てきて
やっと日本社会は良くなっていないよねっていうことに大学生の過半数が同意するようになったんですよ
この二年のことなんです
それまではね
皆さんの世代は間違いなく社会良くなってます日本が良くなってますって答えてるわけ
で、僕は、頭ここまでポンコツになって大丈夫かなと思いましたけど
やっとそういう意味でね。あの本当のことが分かるようになった社会は
圧倒的な勢いで悪くなってるということを若い人も納得できるようになったっていうのはすごく良いことだと思うんですね
だからやっと僕が昔出した本部タイトル「社会という荒野を仲間と生きる」っていう言葉の意味が
分かっていただけるようになったっていうことですね
(阪田さん)
本当に我々にとってみたらこうやって撮ってみたらキリスト教があるし
荒野を仲間と生きるっていうのは本当にイエスを感じる言葉なんですよ
僕はそれすごい勝手に気に入ってるというか
僕がイベントの中に思い切り使わせてもらってるんですけど
やっぱキャンプやってて荒野ってウィルダネスって訳したりもされるんですよ
アメリカ的なその考えで言うとやっぱり荒野に出るっていうのはキリスト教的な意味でもあるので
荒野で仲間と過ごすっていうのがキャンプだったりもするから
だからそういう意味でいろんな実際今やってますけど。
(宮台さん)
ちょっと休憩した方がいいね
今から十分ぐらい休憩します
6時20分なので。
(阪田さん)
なんかありますか(カメラに映っていないギャラリーに対しての発言)
(宮台さん)
社会良くなってるでしょって言ってくださいよ(笑)
(阪田さん)
もしかして三時間ぐらいかかるかもしれないですよね(笑)
~~~~~~~~~~~~~森のようちえんの実践及びアフタケア
(阪田さんのキャンプ運営メンバーの女子大生)
なんていうかずっとその流れが切れなかったからすごく心地よくて
そこに。キャンプはどんどん変わってくる。子どもたちも変わるけど乗ってくるリーダいたり
乗ってくる子どもたちがいて、その中で来たからこそすごく今がしんどいというか(笑)
それを感じたときにきっとその子供たちもそう感じたのかなって思って
あの一緒にキャンプした子たちが帰った時に
明日から塾や、明日から何だって。。
で、きっと帰って今まで以上にしんどくなるって言ったらあれなんですけど
でもそこで大学生、私とかだったら私は本当に半年後の予定は何も決まってないんで
四回四回なんですけど、ちょっとまだ何も決まってないっていう中で
どうしていこうかなって、どうしたらいいのかなって考えながら進もうって、今はその力を
このキャンプでもらったって思って進んでいこうってなるけど
子供たちは今どう感じてるんだろうっていうのをすごく思ってて。。。
(宮台さん)
どうしたらいい?
それはねアフタケアが必要なことなんですよ
僕も関わってる「森のようちえん」っていう実践があってね
これ子供たちが自由奔放に森で遊ぶ大人たちが何も介入しないっていうねそういう実践なんです
でそれこそさっきの同じ世界に入って一つになるという経験をしまくるわけです
ところが今、質問してくださったような問題がその後出てくるわけ
「森のようちえん」の卒園生は小学校に入ってかなりの確率で不登校になるんだよ
その小学校があまりにつまらないから規則だルールだ
みんな一斉になんとかだみたいなね
ありえないことを強制されてる感覚がするから
不登校になっちゃうわけ。なので森「森のようちえん」を批判する人はね
「「森のようちえん」ってそれを卒業してからむしろ子供たちに困難を背負わせちゃうでしょう」
って。
それはまあある意味事実なんですよ。なのでそれをどうしたらいいのかっていうことだよね
なので僕がま提案しているのはね。「森のようちえん」を卒園してもいつでも戻ってきて
その在園する子供たちと一緒に遊ぶとか。OB同士で一緒に遊ぼうとかっていうことができるようにするということ。
もっと言うと家の子供達は「森のようちえん」ではないけど完全自由保育の幼稚園にいて
やっぱり小学校に入った時にその分辛いだろうなっていうふうに思われるということが予想されたからね
僕は僕の大人たちに向かってる言葉と同じでこの社会はクソで、小学校もクソなんで
あそこがいい場所であるということは奇跡だから上手くなりすまして、しかしミイラ取りがミイラにならず
「なりすまし」が「なりきり」にならないようにして、あの小学校を生き抜く
同じように中学校・高校・大学・社会もそうで、そこに適用して
同じ色に染まるという風に生きることが堕落であり間違いなんだっていう風に
やっぱりはっきり伝えるようにしてるんですよね
むしろ「森のようちえん」的な空間で、自由奔放に遊び同じ世界でひとつになりフローに乗った
そういう経験のある人間たちは仲間を見つけ自分と同じように同じような意味で生きづらいっていうふうに小学校中学校高校を感じてるやつを見つけて繋がり、場合によってはこっそり色んなことをやっていくっていうね
それを促すってことだよね
だからそういう意味でのアフタケアが必要。
あるいはそうしたアフターケアをすることが「森のようちえん」的なあるいはキャンプ実践的なことをやる場合におそらく必要不可欠なことだと思いますね。
(阪田さん)
「森のようちえん」でなくてもただでさえ、今、小一プロブレムって言われていて
幼稚園から小学校に上がる小学校側からすると大変な子達が来るっていうことですよね
それは僕はだからあんまり大きい声では言えない仮説としては
その幼稚園保育園っていうのはやっぱ女社会っていうかその女の人が携わっているのが多いので
普通にっていうかやっててもやっぱり感受性が豊かだしその共通感覚っていうのはある程度あると思うんですね
だから宮台さんよくおっしゃるけど、女の子ってあったら、アーキャーって言って手つないで、久しぶり~って。
それで終わりっていうかそれでほんとに同じ世界入ってるっていうね
男はそれ理解できないからなんで手つないでんのみたいになってしまう
やっぱ小学校に上がるって僕はそういうことだと思うんですよ
だからそこのギャップもさらにあり
「森のようちえん」でなくてもやっぱり今そこのギャップが激しくなってきてるから
YMCAとして小学校やりたいなって僕は思うんですけど
小学校でなりすましはっていう風にコメントも入ってますけど
小学校六年生まである程度自由にっていうか子供を育てられたら
中学校高校っていうのはあのなりすまして生きていけるって思うんですけど
小学校をすっとばして抜かれてしまうと
やっぱそのかなり生きづらさを感じるのは多いんだなっていう風には思いますよね
だからまちょっと後半の話になるかもしれないですけど
今、我々で言えば「森のようちえん」を今年から始めて森の学校は二年前からやってるんですけど
その「森のようちえん」はどっちかって言うと、YMCAにキャンプでくる大学生の子たちって小学校の先生になったり
幼稚園保育園に就職していく人が多いので、その若者たちが月一回「森のようちえん」に来て
森の中でイベント型のあの「森のようちえん」をやるっていうことで、その社会に馴染み過ぎるのを防ぐっていう
そういう居場所をこう作っていって、小学校を変えるっていうのは難しいと思うし
ハードルが高いと思うんです本人たちにとって。オルタナティブで六年間行くとかっていうのは
だから月一回行けるようなものを、キャンプ実践だけじゃなくていいと思うんですよね
宮台さんのようなワークショップも、それと連動してとか学童とかと連動してとか
そん時にどれぐらいの規模感で、どんなような人が何人ぐらいいてやれば、そこがうまく共同体で
子育てできてるなっていういう風に、その冒頭の話ですけど思えるのかっていうところを考えていかなきゃいけない
こういうのが共有されればいいやじゃなくて、その、思えてるからですね
我々は一緒に育っていってるんだって思えてる状況をどう作るのかっていうのを考えています
(宮台さん)
あのホームとアウェイとかね
ホームベースとバトルフィールド
みたいな概念で考えると分かると思うんだけど、あの週末あるいは月一回二回のね
今イベント型のキャンプとか「森のようちえん」実践があるね
これはそこをホームとしてねあるいはそこをホームグラウンド、ホームベースとして
学校、小学校や中学校高校をアウェイとして、あるいはバトルフィールドとして、位置づけてもらえるでしょ
僕は、97年から結構重い鬱になって沖縄に沈潜した、離島に沈潜したっていうことがあったんだけど
そのときのその僕の心の構えがそうなんですね
僕のホームグラウンドはこの離島であって、期間としてはむしろ長いけど東京、内地に、つまりアウェイに出張してきてると思うと。
だから所詮その内地なんていう本土では自分は旅人であって、したがってそこに適用する必要は全くないと辛くなったらホームに戻ればいいっていう風に思うことで、そのことによってかろうじてあの自分が鬱にならざるを
得なかった、詳しい話はできないけど、当時、この社会クソだなっていう風に実感していたその内地の糞社会を
なんとか生き延びることができましたので、期間としてはそういう学校社会にいる期間が長くても
短い期間、ホームだと思える、ホームグラウンド・ホームベースだっていう風に思えるところがあるかどうかってすごく大事なんです。ものすごい大事なんですね。僕のその経験からもね。
(阪田さん)
そういう意味で考えると、可能そうっていうか実現可能性があると思うんですよね
だからマクロの実践は難しい。ミクロにっていう所で思考を止めずに。
そのミクロってどういう風に実装できるのかなっていうのを
まそのフロー体験までいったっていうことはやっぱりそこまで考えてしていきたいというかね。して欲しい。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~休憩~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
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