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体験デザイナーの為の教養

~宮台真司さんのアーカイブから学ぶ~

YMCAキャンプ100周年 宮台真司講演会・勉強会

2020/6/20


■体験デザインとは

・体験デザインとは、体験をデザインすること

 知識を伝えること・情報を伝達するということと対立している

 何が真実であるかを伝えるっていうこととその真実を知ったときに何に動機づけられるかということ

 は違う

 真実を知ったところでだからどうなんだっていうふうにスルーする形もある

 真実を伝えるというよりも、内なる光を受け渡すという言い方がある。

 プラグマティズムという。これは、プラグマティストたちが言い始めたこと。

 何が真実なのか何が正義なのかがわかったところで微動だにしないやつもいれば激しくそれにコミッ

 トして動く奴もいる

・上記において。教育の課題が一つだけあるとすると、この動機付け、内なる光を伝達するということ

 だとプラグマティストは言った。

・まず思想史的な前提からいうと、上記があって、その内なる光、真実や正義、愛にコミットする、

 真剣に関わるということをそういう力を可能にするものは何なのか

 プラグマティストたちはそれを経験・体験から考えた

・ジョン・デューイ(アメリカ合衆国の哲学者)というプラグマティズムの祖が、内なる光をを受け渡す

 のは体験であると名言した。これが体験デザイン


■体験デザインのデザインとは何か

・もちろん設計する構想するという文字通りの意味があり、

 例えば、建築デザイン。自宅ならば、住まいに快適に住まうという体験が設計されている

 建築家も体験デザイナー、まちづくりにかかわる都市計画課も体験デザイナー

 レクチャーするのも体験をデザインしている。

 映画のディレクターも体験デザイナー。

 作曲家も体験をデザインしてる。

 子供たちを外に連れ出すということも体験デザイナーとして関わっている。

(子供達にある体験を与えようとすることを目的として、子供たちが体験するためのリソースを動員し

 ていくということ)

 デートも体験デザインである。

相手からみて(なりきり,becoming)、空間的にも時間的にも系列からみても、

 実りある体験になっているのかということを考える

 つまり何事も体験デザインである。

 これを自覚できる人間が体験デザイナーになる

 誰かに何かを伝える言葉の営みも体験デザインである

多くの人はこれを自覚していない。こういう人を言葉の自動機械と呼んでる


■体験の内実(クオリア)

・宮台さんが話すことで、宮台さんのオーラ・雰囲気などを皆が受けとっている

 それが体験の内実。体験の内実のことをクオリアという。

・自然主義的観察と意味論的観察は重ならない。両者は全く違った時空にある

・クオリアが共有されているかどうかは自明ではない。

・同じ言葉をきいても、同じ部屋空間、同じ場所を共有していたとしても、体験質が同じであるは保証

 されていない

・ここでクズについて定義しておくと、クズとは、言葉の自動機械、法の奴隷、損得マシンのこと

 これは人類学の深い知見に基づいた定義。

 一般的に、言葉の自動機械、法の奴隷、損得マシンは重なる。

 クズという言葉は差別的な言葉。クズとはいやな奴らのこと。

・しかしポイントはインクルージョン。包摂。

 クズへの対処の戦略は2つ。

 a)1つはくずを生み出さないためにどうするのか

  育ちの過程でデザインを通じて対処しておく。

 b)2つめは成人後のクズへの対処

 

■クズ化の背景

・80年代半ばから、コミツトメントの低下、性的な退却がはじまった

 95年にオウム真理教の事件が起こる。そこで監視カメラ化が起こり、人々は不信ベース不安ベースで

 他人をみるようになる。

 性教育が不安教育に代わる。(不安化)

 背景にあるのは地域と家族の空洞化。

・両親が愛し合っていないと思う子供たちは愛し合うことができなくなる可能性が高い

 両親が愛し合っていると思う子供たちは愛し合うことができる可能性が高い

・3段階の郊外化の歴史がある

 a)第一の郊外化は団地化(集合住宅)。1960年代。

  団地化(集合住宅)は地域の空洞化。家族の内閉化 (専業主婦の一般化)

  地域の空洞化によって、地域が提供していた便益、それを主婦が提供するようになる。

  地域が空洞化し、家族が埋め合わせた

 b)第二の郊外化はコンビニ化1980年代 家族の空洞化。システム(市場・行政)による代替え

  家族が空洞化し、システムが埋め合わせた

  システムとは市場である行政。システムの最たる例がコンビニ弁当が挙げられる。

  コンビニが圧倒的に増大していき、女性の社会進出が増える。

  85年は男女雇用機会均等法の施行年で、男女共同参画という言葉が始まった年でもある。

  コンビニ化は家族形態の多様化を支援し、女性の社会進出の後押しをした

  これに伴い子供の孤食が増大する。

  このあたりからテレクラが登場する。電話が個室化したから。

  85年に電電公社NTTになり電話が買い切り制になる、コードレスフォン化していく

  そしてTVの個室化する。

  TVについては、クイズ番組がまず淘汰される。家族みんなでみることを前提にしているから。

 c)第三の郊外化はアジール化(地域・家族が空洞化と併せて)

  家でも学校でもいい気でもない場所(治外法権的空間)が出来て、そこに魂の置き場所をみつけるこ

  とが出来る匿名メディア、匿名ストリート(かっこつけ地帯)、ネット空間、ゲーム空間 仮想現

  実の空間。子供遊びの環境がまったくかわってしまった。


■言外法外損得外の力と消失の変遷

・郊外は80年代半ばに、新住民化によって、安心便利快適化する。

 法外の享楽、法外のシンクロなどがいっきに消える

・昭和において、外遊びの力として以下が養われた。

  a)シンクロ(友達が蜂にさされる。すると、自分も同じ痛みを感じとる。これを共同身体性という

   相手の体におこっていることが自分の体にもおこってしまう)

  b)アフォーダンス(自分以外の他やモノに体が勝手に誘われていく。計算した行動ではない)

・しかし、安心安全便利快適の環境となって行く中え、外遊びの環境が遮断され、危険が尾曾美が禁

 止されることによって、上記のシンクロ・アフォーダンスされることが奪われてしまう。

 こうしたことが80年代に進んだ。

 最後に残ったアジール(治外法権的空間)も90年代後半に入ると消えていった

 どこもかしこも、安心安全便利快適の環境にかわっていった。

・子供たちは家族性形成する動機付けが減っている。

 家族をつくろうと思わない。家族はどうせこんなもんだろうと親をみて思ってるから。

親が悪いのではなく、そういう親になってしまったのは、歴史のプロセスの中で進行してきた

 不可逆の流れ(システム化)によって、安心安全便利快適の環境の中に閉じ込められた結果

 言外法外損得外の力を使う、そういう時空間がなくなったから

・そうした人間は家族を作れない、家族をつくってもすぐに離婚する、下手に継続しても親がクズだ

 と子供にもクズが移るのでクズの大量生産再生産が起こる。

・それが現在である。



■自然の流れとしての社会のクズ化

・言葉の自動機会、法の奴隷、損得マシンが一番システムに適用できる

・逆に言えば、言外法外損得外でシンクロできる人間は、システムからすると、コストやノイズにな 

 る。

・であるが故に、システム化が進めば進むほどクズ化が進むのは当然の話。

システム化は止められない。なぜなら、システム化の背景にあるのは安心安全便利快適の欲求。

・この欲求は昔から人間にあるもの。故にシステム化はさけられない。

 すると逆転現象が起きる。

 人間にとって道具であったシステムは、逆にシステムにとって人間がとりかえ可能な労働力になる

・これは誰が何が悪いわけではない。あくまで自然の流れとして起こっている。


■小室直樹氏の薫陶

 社会がダメになればなるほど人が輝く。輝きうる。

 社会がどんどんダメになっていったとしても、だからなんだ。

 むしろ自分は輝けるかもしれないと思えばよい。


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