2021.12.30
先日「マトリックス レザレクションズ」を観てきた。
社会学者:宮台真司さんのような一流の映画批評は出来ないが、
個人的には大変面白い内容だった為、映画批評に挑戦してみる。
近年において、加速化するメタバース化と人々の劣化。
この我々の現実と地続きな錯覚を覚えるほど、この映画は、上記両軸の考えうる生末を描写したもののように思えた。
一見、ただの「マトリックス」ファンに向けたメタフィクションに思えるが、過去の作品を振り返り、かつ本作品のトリニティの存在と言動を鑑みると、上記の錯覚を覚えるどころか、本作品を通じて、この映画の創作者は現代社会に警鐘を鳴らしているように思える。
映画の冒頭では、キアヌにとっての前作のあらゆる事実(仮想)と真実が、逆に描写される。
つまり真実が架空であったと。
序盤では、心理カウンセラーにより記憶が忘却したキアヌをカウンセリングするシーンが続く。
この前作を踏まえた逆の描写により、今思えば、映画の序盤で、おそらく映画の創作者が、鑑賞者に対し、仮想の事実性をより錯覚させ、現代社会の幻想としてのリアリティ、あるいはメタバースの幻想としてのリアリティを刷り込んでいたのではないだろうかと思う。
つまり前作を背景とした序盤における上記のキアヌの描写は、鑑賞者を徹底的に仮想の事実性に埋没させ、そこからいっきに「真実に突き抜けるための決定的に大事なもの」についてのインパクトを与えようとしたのではないだろうか。
それだけこの作品を通じて鳴らす警鐘が非常にシンプルでありながら深刻なものであることが伺えた。
この作品は、物語/登場人物の言動/映像、この3つが織りなす描写を通じ、「現代社会の問題」を明確に示し、かつ、これに対する「答え」を実に見事に描いている。
今回の作品では、「真実に突き抜けるための決定的に大事なもの」の鍵を握るのが「トリニティ」である。前作からの存在と言動がこの作品での役割を大きく引き立てていることは言うまでもない。
だからこそ、作品の中盤まで、鑑賞者を徹底的に仮想の事実性に埋没させる効果もまた大きい。
だからこそ、真実に突き抜ける衝撃も絶大であった。
この映画の創作者が、鑑賞者に問うていることは以下の3つではないかと思う。
1つめは、人は何に閉ざされているのかあるいは閉ざされていくのか。
2つめは、人は「閉ざされ」を何によって超えるのか
3つめは、人は「閉ざされ」にどのように向き合うのか。
この3つ。
1つめの問い。人は何に閉ざされているのかあるいは閉ざされていくのか。
これは作中において、マトリックスの設計者、いわゆるテクノロジストがこう言う。
人を支配できる唯一のもの。それは「感情」であると。
現代社会においては、人々の劣化が加速している。まさしく感情の劣化である。
人々の感情が劣化し没人格化していく。まさに現代は、人々のBot化が急速に進んでいる。
社会の空洞化、共同性の消失、損得勘定、知識参照の軽視、倫理の軽視。。加えて
インターネット、スマホ、システム化、仮想化、自動化。。
上記により、人は感情が劣化し、劣化した「感情」によって閉ざされている。
現代社会において、この人々の感情の劣化が急速に進んでいる。
この映画では、まさにこの人々の感情の劣化について警鐘を鳴らしていると言える。
★「感情を取り戻せ」
2つめの問い。人は「閉ざされ」を何によって超えるのか。
つまり閉ざされた感情を覚醒させ、事実(仮想)から「真実へ突き抜ける決定的に大事なものが何か」
である。
ネタバレになってしまうので、詳細に語れないのが残念だが、作中において、まさに、事実(仮想)から真実へ突き抜ける決定的に大事なものとして、事実(仮想)の中にいるトリニティが、赤いカプセル (真実)を飲んでいないにもかかわらず、「愛」を通じて、事実(仮想)から解放され、真実と向き合う姿が描かれる。
ここは本映画の醍醐味の部分なので、これくらいにしておく。
★「性愛は真実である」
3つめの問い。人は「閉ざされ」にどのように向き合うのか。
作中において、トリニティが、事実(仮想)の世界において、ビルの谷間から見えた夕日の美しさに心を奪われるシーンがある。
その夕日を見ながら、その果てにあろう真実の世界を重ねて見ていたのかもしれない。
今いる場所は紛れもなく事実(仮想)の世界であるのに。
豊かな感情を取り戻したとし、その事実(仮想)の世界がデタラメであっても、美しきものも存在する。
このデタラメな現代社会であっても、愛する人(や愛する仲間)とともに生きるという明確な「答え」が存在するということである。
★「愛する人・愛する仲間とともに生きろ」
今回、この映画をみて、映画の創作者が意図した鑑賞者に対する3つの問いとその答えを上記のように感じた。
驚いたのは、この3つの問い及び答えについて、
社会学者の宮台真司さんが、数十年も前から
既に同じ警鐘を鳴らし、
既に同じ答えを明示している
ということである。
僕は宮台さんの知見に触れていたおかげで、
単なる「マトリックス」ファン的なメタフィクションの印象に留まらず
本作品を通じて、この映画の創作者が訴求していると思われる警鐘を受け取り
熟考することが出来た。
改めて社会学者の宮台真司さんに感謝の意を表する。
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