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すべての生は死を前提に存在する

更新日:2021年3月6日

2021.3.3

ナビゲーター :青木理さん(以下、青木)

ゲスト :宮台真司さん(以下、宮台)

 

青木

j wave jam the world アップクロスのコーナーです今日火曜日は

私、青木理がお送りしてまいります

今夜は火曜日お待たせの月一企画月市美和台です

社会学者で、東京都立大学 教授 宮台真司さんにお話を伺います

宮台さん こんばんは


宮台

はい こんばんはよろしくお願いします


青木

宮台さんに質問が結構たくさん来ててですね

あの、とっかかりに少し時事問題的なというか最近の政治の問題に

触れたいということもあってなんですけれども

ラジオネーム「リバー ティ」さんからです

宮台さんへお聞きしたいと。

神保哲夫さんってあのビデオニュースドットコムの神保さん

宮台さんも一緒にインターネットのテレビで出演されていますけれども

神保さんがねこんなツイートしたそうなんですね

そもそも山田真貴子氏に批判の矛先を向けていること自体が

作為的に見えます総務省本体は放送免許の問題に目が向か

ないようにしているのではないかというようなことを神保さんが

この指摘してるんだけれども

この辺宮台さんがどうも思われいるのかなんていうのもあります


宮台

まったく正しいですね。神保さんのおっしゃるとおり(笑)


青木

もう一通、ラジオネーム「毎日が月曜日さん」なんですけれども

菅総理の長男だが総務官僚を接待しなければならなかったのは

総務省が放送の許認可権を握っているからですよね

政府が放送局の許認可権を持ってる国なんて先進国では日本だけだそうです


宮台

はい 全くそうです


青木

最近日本は先進国ではないという気もするんだけれども


宮台

ありません


青木

日本が先進国だと思っているのは日本人だけかも知れませんなんていう


宮台

まあ それは頭が悪い日本人だけですね


青木

というメールも来てるんですけれどもまあこのまあ

東北新社によるその菅首相の長男が勤めている会社による

総務官僚の接待って、いま大きな大問題になってますけれども

まあこのあたりちょっと宮台さん軽くそのどんなふうにお

考えになっているかっていうのをちょっとお聞きします


宮台

本当に軽くということであればね東北新社があの衛星放送事業に

参入する時のコストですよね

これを下げてもらうためにや行政に便宜を払ってもらう

そのために

東北新社がすがジュニア側から総務官僚を

接待し、でそれによって実際に衛星事業に参入するに際する

コストが下がったということがあるということがあるというね。

そういうことなのであの本当に権益まみれですよね

あるいは権益があるに人間たちが接待を受けていることから

これはもう収賄です


青木

はいこれどう思いますその僕ずっと疑問なんですけどね

その90年代くらいに大蔵省接待汚職なんかがあって

まあその公務員国家公務員倫理法とか倫理規定とかできて相も変わらず

官僚たちはこういうことをしているのかそれともやっぱり首相の長男だったら

こうなったのか


宮台

僕の知る限り総務省を除いては非常に倫理的に厳格化した状態が続いています

でまぁ総務省っていうのは菅利権でもあるし

基本的にあの権力に最も近いところであるが故に

まあ好き勝手やったと。

で、そのとばっちりを受けた菅ざまーみろっていう話ですよね


青木

これはだからアレですか

つまりその権力にすりよっていれば守ってもらえるって言う

ような

まあこの最近の政治と官僚のゆがんだ関係がやっぱりここらへんに現れてるっていう。


宮台

表れています

まさにそうですよね

自分のポジションさえ安泰であれば倫理も規則もへったくれもないっていうのが

総務省の上層にいる人たちで

総務省の官僚全体がそうだと思われるのはやっぱり僕も困る

基本的に権力に近いところにいる人間たちがこういうクズぶりを晒したということ

ですよね

もうこれがまさに日本の劣等生そのものであるということですね


青木

まぁこれもそうなんだけど

もう一個だけその最近でこうみんなが注目していて

まあある意味でこう待ち遠しく思っている人もいると思うんですけれども

この緊急事態宣言の解除をするか否か

かあの関西圏などはご存知の通り解除されたんですけど

1都3県ですか

がどうなるのかってあたりもこう一つの大きな注目とになってるんですけれども

これは宮台さんどんなふうにご覧になってます?


宮台

流れ覚え出して欲しいんだけど

日本のワクチン接種がね

もうほとんどの国が12月1月に始まってるのに

(日本は)まだ始まっていないのはなぜですか皆さん

それはGOTOをやっていたからですよ

GOTOをやっていたので政策が取れなかったということで

ワクチンに関する様々な準備が遅れたんですよ

だからこれは菅のせいなんですね

まずそのことをよく押さえておいてほしい

後もう一つ

先進国だけじゃなくて

すべての国を含めてクラスタ対策をやっているのは日本だけだと

いうことも考えてほしいんですよね

実際は保健所は人が足りないということで

「感染者がいたらどこでマスクをはずしていましたか」

そうすると家以外では飲食店ですよね

「そのときに誰がまわりにいましたか」

で、その人に保健所が電話して

そのときマスクしてましたか

「してねーよ くってんだから」

そういう問題なんですよね

そういう意味でいうと

保健所がどれだけ検査したのか

どれだけクラスタを追尾したのかってことによって新規感染者は

変わるということがある

しかしそれとは別問題として

これヨーロッパで毎年話題になっていることだけれど

ロックダウンあるいはですね外出規制によって感染者が減ったのかどうかについては

たくさんの感染症の学者さんたちが

疑義を呈しているそれはなぜかというと新型コロナ以外の4種のコロナ株の

まあ季節性の簡単に言えば移り変わりってがあるんですよね

そうすると12月から2月にかけてまずピークがあり

その後も8月にゆるいピークがあるとたまたま去年ですね

まあ諸外国のロックダウンがそれに重なっていたので

ロックダウンが効果があったように見えているが統計的に分析すると

ロックダウンにはほとんど硬貨がなかった可能性もある

っと言ってる人をかなりいて実はそれがヨーロッパで

外出規制に対して抗議する若者たちの

暴動が起こっている理由なんですね

日本ではそうことが全然の報じられていない

それがなぜかっていうと

やっぱりテレビの影響力が

強いんだけれど

あのテレビが事実上デタラメなんですね

それが背後にあるということですね


青木

ただその、これね

変異株なんかも出てきているわけですし

そのロックダウンに宮崎さんがおっしゃるようにどこまで効果があったのかっていう

議論ももちろんあるしそれも分析しなくちゃいけないんだけれども

せっかく減ってきてるわけだから、そのせいかどうか別としてね

ここで1歩踏み込んでその広範な検査とかねってのを

どうしなくちゃいけないと思うんですけれどもそれほどやる気配ってのは

もう全くないですよね


宮台

変異株は非常に重要じゃね

もしかするとワクチンの効きとか

あるいはワクチン以前の問題として感染力

はどれだけあるのかとか症状がどれだけ強いのか変わる可能性があるんです

ところが日本は PCR全数調査に向けて動いていないので

もうすごく荒いサンプリングをしてその中にどれだけ

新型ウイルス・変異ウイルスがいるのかっていうことを探してる

だけなんですね

なので変異ウイルスの広がりにちては全く分かっていないということですね


青木

なるほどね

でね

あの全然話が変わるんですけれどもせっかくこうやって

宮台さんと月に1回じっくり話をするという機会があって

ちょっとあのこのまあもう無残な政治の状況とかですね

こうその場その場で刹那的にに話しているのもちょっともったいないなぁという

気がしてですね

この月イチ宮台の前になってくると

宮台さんが最近書かれた論考であるとか文章っていうのを送ってくださって

ものすごい長かったり、ものすごい難解だったり

ちょっと読み切れなかったりする時もあるんですが

今回も読めるものに関しては読んできてね

ちょっと僕この話を宮台さんとせっかくだからしたいなと思っている

テーマがあってですね


これどちらかに書かれたんですねあのすべての「生」・いきるですね

全ての生は死を前提に存在するという文章を宮台さんが。

これインタビューなのか

書き下ろしなのか話されていて

ものすごく人間の根源的なお話であっていきなりこんな話になるのも

ちょっと不思議な感じもするんだけれども

大人になるほどやっぱり死ぬのが怖いということをを思うと。

もちろん僕も思うしリスナーの方々もそう思うと思うし

ひょっとするとリスナーの方々の中にも

ひょっとすると、死というものが関わるような病気で

病気て闘病されている方もいらっしゃるかもしれない

あるいは子供にそのお父さん死ぬとどうなるのなんていうふうに聞かれて答えに困っ

ているような人もいるかもしれないんですが

だからおそらく時代がどんなに変わっても

この死っていうのは人間の永遠のテーマだと思うんですけれど

これについて書かれた文章がちょっとそういう非常

印象的だったんですけれども生は死を前提に存在するって言うこの文章の

エッセンスも含めて宮台さん

この話をしたいんですけどいかがですか


宮台

はい わかりました

もっとも言いたかったことはね

あの僕の人生62年の経験から言うと死を怖がる人間には

すごくエゴセントリックつまり利己的な人間が多い

っていう経験あるんですね

なぜなんだろうかっていうことを結構若い頃から

まあ考えてきてはいます

でそれはつまり

死を恐れざるをえないぐらい分断され孤立している状態にあるんだということが

まずあると思うんですね

共同体の中に生きていれば、人は死んでいるから生まれてくる

死と生が表裏一体だということは

もう当たり前のようにして染みついているはずなんですね

でがそれが染みついていないというのはまずおかしいということ

あともう一つですね

自分の死を恐れる人間は人類がまるで永続するかのような幻想に陥っている

これってトンマですよね

あの実はあの地球の歴史についてはもうある程度

仮説が固まりつつあります

で単細胞生物を含めた全ての生物が

まあ地球から一切なくなるのが約10億年後なんですよね

でまぁ簡単に言うとちょうど6億年前

からマントル対流がマントルつまり

プレートテクトニクスですねこれが水を引き込む

ようになっているんですよね

でどんどんなものを引き込んでいくので

プレイドの移動がまず止まります

プレートの移動が止まるとマントル対流が止まります

マントル対流止まると地磁気が失われます

そうすると大気と水が引きはがされます

そうすると灼熱地獄になって

まあ残念だけどもうすべての生物は死滅するんですね

ところで皆さんもご存じのように

僕らのような

ー多種多様な生物が生まれるようになったのっていうのは

5.4億年前のカンブリア紀に起こったんですね

その直前にエディアカラ生物群っていうふうに言いますけれども

まぁ初めて

まあ巨大な 巨大っていっても細胞じゃなくてもっと大きいね

手のひらぐらいとか

あるいは

30センチ四方とかってね 

そういう生物が生まれたのっていうのは

ほんのちょっと前なんですよね

そこから考えると

まぁ5億年のさらに2倍のところで結べて滅びると

いうことでいうと

まぁ事実上の僕たちが生き物として認識しているものを

まあ多細胞生物な出てきてからの歴史を見るともうすでに3分の1が経過していて

残りの2/3ですべて死滅する

しかしですね人類が外に脱出するだろうという人がいるんだけれども

脱出すると思います

しかし残念ながらですね

宇宙も転びるんですね

まずね今すでに宇宙が滅びつつあるということからいうと

地球のような生物をその

育むことができる惑星を持つことができる恒星

っていうのはL型G型恒星といってあの中型の恒星なんですね

例えば太陽がまさにL型なんだけども

100億年の寿命を持つんです

しかしですね

今この時点で言うと太陽が生まれたのっていうのは

46億年前なんだけれども46億年前からと比較するともうすでにですね残念ながら

十分の一しか太陽のような星が生まれなくなっていて

今後もどんどん生まれなくなるので

宇宙は生命を育めなくなります

でさらにですね宇宙は突然ですね60億年前から加速膨張っていうのを始めたんですね


青木

加速膨張?


宮台

途端に膨張するんじゃなくてその膨張の速度が加速しているんです

でその結果従来のですね熱的死を迎えて全てスープになるっていう

議論はちょっと楽天的で

今最も有力な説はビックリップって言われるもので220億年後にはですね

まあ原子のあるいは量子のレベルまで含めてバラバラにあるっていうことがまあほぼ

分かってきたということなんですね


青木

それがビッグリップ理論ということですね


宮台

そうですね

138億年前にあのビッグバンで宇宙始まったとされているわけだけど

その2倍たたないうちに宇宙が終わるということですね


青木

138億年前にビッグバンが起きて宇宙が始まり

で60億年くらい前からはその加速膨張を始めたと。


宮台

はい


青木

で、220億年前は果てしない年月あるだけれどもしかし

宇宙もその最近最新のビッグリップ理論によれば

なくなるだろうと。

宮台

そうです

で、僕はこの子どもたち3人いるんだけれども

まああのテレビはパソコンでねそういう宇宙・地球の寿命について

論じているものたくさんあるんですね

なのであのだいたい小学校に入るぐらいになると

地球も終わるし宇宙も終わるんだっていう番組を見せるんですね

でなぜかって皆さん思うかもしれないんだけど

それは単にあの個人の死に浅ましくこだわるって言う態度を捨ててほしいということが一つ。

後もう一つはね

どうせ終わるものがなぜ存在するのか

例えばこの宇宙っていうのは時空のことを意味しているんだけど

宇宙が終わるっていうのは時間と空間が消えるということなんですね

なぜ消えることが確実であるものか存在してるんだろう

なぜその時空間に地球があり我々がいるんだろうってことを考えてみると

奇跡っていう感覚が浮かんでくるんですね


青木

なるほど


宮台

僕がクリスチャンであるってこともあるけれども

この奇跡には何か理由があるんだな

どんな理由があるんだろうという想像をしてほしい

っていうふうにまず子どもたちにバトンを渡すっていうことがあります


青木

あのね 宮台さん

ここまでちょっと話をちょっと伺いたいことことがね

まぁ要するに

その僕なりに本当に子供っぽく、ちょっと解釈すれば

その人間の生っていうものはもちろんだけれども

その地球にも

それからが太陽系にもあるいは宇宙そのものにも要するに寿命があると


宮台

確実なんですね それが。


青木

その前提で今 宮台さんがおっしゃった

個人の子に浅ましくこだわるのはやめるべきだという話は分かるんだけれども

でもそれを別にそのこの奇跡であるこの生きるってことを生ってこと生命っていうもの

軽んじるということではなくて

むしろこの奇跡ってモノの大切さみたいなもの

を噛み締めろという。

こういうことですね


宮台

そうです。

そういうことになるわけです

でね

実は我々にとって死は必要なんですよね

まず死がなければ進化はないんです

さらに地球の持続可能性を考えてもね

人が死んでくれないと新しく生まれてこられない

更に一人だけ自分だけ長寿を望むとか言う人がいるけれど

そうやって人が長寿になればなるほどね

地球の人口はどうしても増えてしまうわけですよね

なので僕に言わせると長寿を望む、これ程度問題だけどね

たとばえ人々が90年で死ぬとすると、まぁ20~30年中にはね

お金を払えば140歳くらいまで生きるだろうというふうな説もある

しかしそういう人間って明らかにエゴセントリックなんだと思う。

あの基本、死んでくれるから生まれるんですよねで

あとはもう一つね考えてほしいことは

死は、僕たちの日常の前提なんですね

で僕は子どもたちに伝えるのはね例えば僕は妻と出会って3人の子どもができたと。

しかしねこれは誰か死んだからなんですよ

誰かが死んでいなければその人が妻と出会って

僕と結婚しなかったかもしれない

あるいは誰かが死んでいなければ

僕はその人と出会って妻と結婚していなかった可能性もある

それにそれだけじゃなくて妻はね二十歳以上若いけれども

ぼくがいま死ねばねは立つも若いから

新しい出会いで新しい家族を作ることができる

そしたらそれがすごく幸せな家族になるかもしれないでしょ

そういうことを考えると死はまさに僕たちの日常そのものの前提になって

いるんですよね

なのに死にたくないなんて言っている人間って

何をを見てるんだってことですよね

もちろん地球・宇宙を見てないだけじゃなくて

僕たちの日常が何によって支えられているのか

まさに死によって支えられているということ

をまったくわかっていないということですよね


青木

あの、そこでね、僕は聞きたくなっちゃうのは

先ほど宮台さんもうちょっと話になられましたけれども


その人間の生と同様宇宙も地球も寿命があるんだと。

ということが究極的には言えるということになってくると

先ほど宮台さんがちょっと触れられたその宗教っていうもの

をどう捉えるべきなのか


宮台さんはクリスチャンで宗教的価値を今でももってるわけですよね

その中で宗教っていうものをどういうふうに捉えていくべきかことと

もう一つ宮台さんが

おっしゃってて、これもたぶん宮台さんの

興味の範囲にかかってるのかなって気がするんですが

近代社会っていうのが本来は日常的にあるべき死を

どっちかというと

クレンジングして

見せない・隠す・触らないって

いうような方向に進んできていることが

ひょっとすると

死ってものに対する恐怖心というかね

こうあるいは逆に言えば

浅ましさみたいなものにつながっているのかなっていう気も

するんですが


宮台

まず自分が死ぬこととは別に

親しい人が死ぬことはとても悲しいですよね

なのでかなり古い時代から、それはいつからということは分からない

もしかすると火を使うようになったころからかもしれない

そうすると200万年の歴史があることになるけれど

それで死んだ人がいく場所として、古い社会は水平に考えるので

あの山の向こう側っとかね、あの海の向こう側っていうふうに

最初考えるようになったってのがわかっているんです

なので一つの宗教のルートだっていうふうに考えることができます

従って、どんな宗教でも必ず死について明示的に言及するんですね

死について意識するためには宗教はすごく役に立つということができます

しかし僕は個人的には

宗教を死の悲しみを解説する処方箋として子供に渡すということはしないほうがよいと

思っているんですよね

それは昔と違う点があってね

昔はある共同体・社会があると誰もが同じ宗教的共通前提にあった

しかし今は違うんですね

人それぞれ全く違った前提の中で生きている

そうすると、例えば子供が小さいときに両親から宗教を受け渡されてその宗教を

信じるようになり

その宗教の内側で死の問題を解決したつもりになったとして、しかし成人するまで

あるいは成人して以降に、その宗教を捨てる可能性がありますよね

そのことをよく考えるべきでね。

大人になって神様なんてしないって考え方に子供が変わったとき、

そのことについて責任がとれるような

態度をとるべきというのが僕の考え。なんですね

で、もちろん僕はクリスチャンなんだけれどそのクリスチェニティを子供に押し付けることは

一切せず、今の地球物理・宇宙物理の枠の中で、最も確からしいとされている仮説を話し

あるいは、実際にそれについてつくられた数多くの動画をみてもらうと。

例えば、恐竜が滅びていないと僕たちって、ココにいられないわけだけど

で、これは皆さんご存じのようにですね、メキシコ湾あたりに

巨大な隕石が、ふったことによって生じた大絶滅の結果なんですよね

大絶滅って良いことんですね

なぜかというと大絶滅によって生じた生態学的なニッチで

進化の大爆発が生じることによって、今日の生態系があるからです

少なくとも6回の大絶滅があったってことは定説になっています

そういうことを伝えるんです

だから人類が絶滅したところで、あたふた考えるべきことではなくて

その生態学的なニッチに進化の大爆発が生じるんですよ

なぜかというと、人間が地球で最も様々な環境資源をオキュパイ(占拠)してきたから。

なのでそれがいなくなれば僕たちが知らない現象がそのあと生じることは間違いない

もちろん地球は10億年もすれば生命はいなくなってしまうけれども

どうせ人間の寿命なんて人類の寿命なんて1000年もないかもしれないわけですよね

しかし、だから。良いんです。


青木

しかし、それだとさっき宮台さんがおっしゃったみたいに

宗教の役割ってのは死を乗り越えるってもあったかとおもうんですが

ある意味、死に対する恐怖みたいなものを乗り越えるためのものでもあったりして

宗教ってものが人間の道徳や倫理みたいなものに結び付いていくことで

オテント様がみているから悪いことをしちゃいかんのだみたいなことがあった

ところがすべてのものに寿命があるんだ、地球にも宇宙にもあるんだって考え方は

死への恐怖ってのは柔らかくなるかもしれないけど、なにかこう刹那的になるというか

人間の生きざまというか、人の生き方が刹那的になりかねい気がするんですが

そんなことはないですか


宮台

それは生き方が間違っているからです。


青木

(笑)


宮台

さっき冒頭に申し上げたように

もともと死って共同体のものだったんですよね

人を看取ったし、自分も看取られたんです

しかし日本人の多くが生き方を間違っているので

在宅で死ぬ人にうち行政統計では5人に一人以上は孤独死という話になってる

世界でこのような孤独死が話題になってる国、生じている国は日本だけなんですよね

つまりそれは人を頼りにする代わりに、市場マーケットばかりをたよりにして

「国は何やってるんだー」「財政政策はどうなってるんだー」ってギャーギャーさけんでいる

そういう人間が次々孤独死していくんですよ

基本、孤独死がいやだから絆をつくれと僕は言いたいのではない。

そういうものは絆ではない

それこそまさに利己主義そのもので、そうではなくて

正しい生き方をしていれば、死は怖くないんですよ

自分が看取ったように、自分も看取られる

そういうふうにして人類は何万年も何十万年もやってきているんですよね

誰もが恐れずに受け入れてきたことを自分だけが恐れていることがもしあるとすれば

それは生き方が間違っているんです。


青木

そういう意味でいうと、後半もう一個お話を伺いたかったんですが

死っていうものがね

孤独死ってケースが非常に増えているんでしょうけども

自宅とか家族とかといっしょじゃなくって

病院でなくなるとか、あるいは

昔は葬儀とかも地域の共同体でみんなで送り出した葬儀が

葬祭業者にゆだねられて、資本論理に巻き込まれていくと。


僕らメディアも、死ってものを隠そう隠そうとかって

災害のときとか戦争のときに、見る人のショックを考慮するなどの理由があるんだけども

死ってものを見えなくさせられていくってことが

ある意味で死ってものに対する現実感のなさ

あるいは死ってものを遠ざけていくっていうようなところにつながっちゃってるんじゃないでしょうか


宮台

まさにそうです

さきほどね 青木さんがクレンジングっておっしゃったけど

クレンジングはよくないんです

絶えず死を目撃できる状況。これが良いんです。

僕は今、父がものすごく弱っていて、施設にいるんだけども

老衰が始まりかけているという状況なんですね。

昨日も病院にいくなど。。


老人だけがいる病院ってのも

最近みてるんですよね

そうすると、この人たちか家族いるのかなとか

今コロナだから家族これないということになっているんだけど

それがどんなにツライだろうなと思うんですね。

そういう終末期を迎えた人たちをたくさん見るってことがあると

やっぱり僕たちはいろんなことを考えるんですね。

僕もこんな風に死ぬのかな。別の死に方がいいのかな

こうやって考えるんです。

絶えず絶えず目撃出来る環境が必要なので

僕からすると、クレンジングってのは絶対にダメなことなんですね


青木

宮台さんがおっしゃった最初の話に戻ると

生命ってのは人間ももちろんだけども、全ての生命、太陽系にも宇宙にも寿命がきて

我々はいずれは消え去るんだと。

だからこそ、例えば僕がこうやって宮台さんと話をして

いろんな方がいろんなところで聞いてくださっているっていうこの奇跡を

噛み締めなくちゃいけないんだよってこういうことですね


宮台

いや、ホントそうです

劇場版鬼滅の刃でね、煉獄杏寿郎が「人はいつか死ぬからこそ、儚く美しい存在だ

ってセリフを言うでしょ。

こどもたちがこれを見たっていうのはすごくいいことなんですよね。

だから自分がこうしていること、誰かと出会っていることも、ホントに奇跡なんですよ

どうせ終わるのになぜ存在するのかを考えるだけで

誰もがわかることなんですね

どうせ終わるんだってことをはっきりわかるようなそういう環境の中に

子供たちが育つことがとても重要

クレンジングされた大人たちだけがヘタレになっていくんだということを断言していいんだと思います


青木

宮台さん ありがとうございました














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