2023.5.19 RethinkJapan
波頭さん
本日の ゲスト宮台真司さんですもう このリシンクでの対談は3度目で社会現象だけではなくて思想だったり 政治経済あるいは文化芸術まで社会学者としても特に守備範囲の広い方で思想性の強いお話をしてくださいます。
安倍元首相の襲撃事件 だったりその後宮台さんご自身も学内でそういう暴行に遭われたりとか、かつて日本 ではなかったようなその荒れた事件が多発してます。
こういう中で 日本ってこれからどうしていけばいいんだろうということを今日いろいろとお話を伺おうと思ってます。
私も楽しみにしてまいりました
日本っていうのは今、まあ調子いい国とは誰も思ってない でしょうけれども、どれぐらい調子悪い かっていうともう本当に歴史的なレベルです。
国連の加盟国地域が190ある中で25年から30年失われた30年って言いますけれども、最も 成長してないワースト5の1つです。
この間日本というの はどういう経済政策とってきたかっていうと法人税減税、富裕層減税、をしてその分 消費税で国民からごっそり巻き上げてる。
完全に植民地経済ですよね
宮台さん
日本だけがなぜか 産業構造改革ができない。
その理由は 既得利益を動かせないからで既得に気を動かさないその方向の一つが、いわば法人減税を消費税で穴埋めする、従来なら退場を迫られる重厚長大産業の正社員の地位を守るために固定費を下げるべく若年層からどんどん非正規化していくといったようなですね。
非常に今 反社会的な行動を 企業がですね軒並み取ることによって、既得権益を動かさないということを達成した。
所得の健全な分配が行われないので国内市場は縮小する、なにせ日本は今でも内需8割ですからね
国内市場は縮小すると。
その中で利益を上げるために はですね 固定費を下げるしかないし、そのためにはもちろん工場その他を移転するということもあるけど非正規雇用を使うとか、外国人を使うとかっていうことやっていく。
別にそれが悪いって いう風に言ってるわけじゃなくてですね。
全体として他の国と比べて相対的なバランスがかなり崩れている。
極端になっているところにやっぱポイント がある
波頭さん
その点では、私は日本のの責任がすごく大きいと思う
自民党の得票率って3割か4割なんですよ
それでこんだけ圧倒的に多数の議席を占めてるっていうのは単純に野党の選挙戦略か稚拙なんですよね
現在の政治に対する批判票の受け皿に誰もなろうとしてない
宮台さん
同感です。例えば今回の中統一地方選では国民民主党がもうほとんど存在がしなくなるぐらいまで壊滅しましたけど国民民主党が別れたのは原発問題なんですよね。
民主党政権下でさえですね。
原発についてネガティブなことを民主党幹部が言うことがなんとなくタブー感のもとで、手控えられているっていう状態が長く続いていたのもよく知っているわけですね。
さらにいわゆる宗教母体 である連合っていうのがありますよね。
どうしても宗教母体の 移行を気にしたことしか言えないということが起こるんですね。
原発利権がどうあれ原発をねいついつまできっぱり止めると、すでにそれを表明したメルケルのように言えば、票が取れて、票が取れるだけではなくて、政権を維持でき、政権を維持できればそこから先のタイムスケジュールは自分たちでコントロールできるんだからっていう風に言ってきたんですけれど、それこそまさに空気の支配ですよね。
そんなこと言える空気じゃありませんっていう風に、党幹部が言うような状態で、非常に恥ずかしいなと思いましたね。
波頭さん
勝つための 政策とか勝つためのメッセージっていうの は全くないですね
宮台さん
民主集中性ってですね、昔は細胞って言ったようなスモールユニットでですね。
代表を選んでそれを上の隊に送り込んで、そこで代表を選んで上のところに送り込んでって言うんだけど、結局、前任者や上からの推薦ってのがあって、それが非常に影響力を持つところで選ばれていくっていうものなので、残念ながら、民主集中性って民主制からは全くほど遠いんですね
波頭さん
もう全て権力の統治の。。
宮台さん
おっしゃるとおり。カエサル戦略なんです。
けれどもね基本、上の 方にいる人たちの意向で実情全て決まるんですよ。
80年代を予告編として90年代以降は激動の時代でね。
従来 想定していなかったような、様々な 移民問題とかテクノロジー問題とかあるいは気候危機地球環境問題とか、 いろんな問題が出てきている時に、そんなね不破哲三さんの空気を読んでいるような党幹部の集合知、つまりその程度のしょぼいものでね。
問題が解決できるはずなんて、まず科学的に考えてないんですよね。
今僕たちが生きているような乱世においてはですね、できるだけ多くの専門知識あるいはジェネラルな知見を集めて、知恵を集めていろんな問題について、柔軟に対処していかないとどうにもならないんですね。
なのに、未だに日本共産党ってレーニンをマルクス主義として数えているでしょ。
これは 戦間期からの欧州マルクス主義そして以降のユーロコミュニズム(※)の流れから言えばちょっとありえないことなんですね
※1970年代イラリア・フランス・スペイン等の共産党がとった共産主義
イタリア共産党名前変えました。
これは名前を変えればいいって問題ではなくてね、やっぱり従来の機関決定第一主義をやめるって事が重要で、これからの新しい社会主義って呼んでもいいのかな、新しい本質を継続した運動って いうのは、要するにミュニシパリズムスペアリズム(※)、それぞれの地域はそれぞれの事情を抱えていてそれを知っているのは、そこに住んでいる人たちでその人たちが知恵を集めて共同体自治を行う。
※共同体自治主義:その地域に住んでいる人主導で行われる政治的活動
その動きを機関決定で封じてはいけない。
むしろスモールユニットの民主制とそれを共和させるための工夫っていうやり方でですね。
新しい、それも共産主義とは呼べないものだと思いますが、民衆のために政治をするっていうねことなのだという風にですよね。
これはいわゆる従来の中央集権的な社民主義、社会民主主義 とは違う 民主的社会主義っていうものなんですよね。
中央集権的なものから単なる分権ということじゃなくて共同体・自治的なものに市民が参加する分権ですね。
こうしたものに 移行していかないと実はユーロコミュニズムの流れを見ても完全にアウトオブデート(時代遅れ)なんですね。
波頭さん
私はね、ユーロコミュニズムのことが、もう少し語られるべきだと思うんです。
なぜかというとね。
戦後の資本主義体制がニッチもサッチも行かなくなって1980年から フリードマン中心の新自由主義が
ざーっと世界に広がったかのように喧伝されてますけど、実はね81年フランスでミッテランですよね
フランスは新自由主義に乗らなかったんですよ明らか。
にまさにユーロコミュニズムの 原点をあそこでフラッグを立てて、皆さんご存知のようにしょっちゅうストがあり、デモがあり、しながらも実は経済成長率、ドイツとそんな20年で見たらあんまり変わらない、イギリスと比べたら変わんないんですよ。
だからちゃんとまさにコミュニズム的なあるいはコミュニティを 重視する再分配と非中央集権型の社会を作ることによって、 ちゃんとやっていけるっていうモデルがあるんだから、圧倒的な再分配で生きていく、心配をなくす、幸福度ランキングというのがありますよね。
日本ってそこでも50位60位70位で、日本ってのも全部から全くこう勝負になってない。
その中の 大きい一つが現行の政策現行の政権に対する対抗軸がないっていうことで、やっぱりね民主主義じゃないですよね。
対抗軸がないっていうこと自体が。発展のしようがない。
宮台さん
すごい一般的な話で言うと。例えば将来をね 国なら国が保証しますっていう風になっていたら、我々は 将来不安がない。
例えば子供の大学教育まで無償化します。。。ちなみにほとんどのヨーロッパの国と大学。
教育すごく安くて、僕のゼミからもね 留学したいってやつがいるとですね。
英語理解できるの?いやできないと 言ったらいやそれでもねドイツとかベルギーとかオランダ行けよ
無償のところじゃなくてもね年間だけ 5万円ぐらいですよ、ほぼ無償です。
だから英語で学ぶでも学ぶにもアメリカに行くんじゃなくて ヨーロッパだよねっていう風に言うぐらい。
つまり 簡単に言うと将来が不安だからあるいは将来の教育費が 不安だから蓄財しなきゃいけないとか
投資 しなきゃいけないとかっていうねそういういわばストレスがたまるような心配をしなくていいんですよ。
その幸福度にこの問題がすごく関係して いると思いますよね。
「将来を保証する、 将来の心配をしなくていいからお金を使ってください」っていう風に言えること
それが 統治戦略としては、経済活性化と幸福度上昇の基本的な方向性なんですよね
なんで野党がそういう骨太な話ができないで、当たり前だけど年金受給額を減らせば年金財政は破綻しないし、当たり前で、それと同じ理屈ですけれど、要するに財政が破綻しないから、だから何って問題で、財政が破綻しないと国民が幸せになるの?
そうじゃなくてね、財政出動でも何でもいいけどそれを使って何するの?ってことが問題ないですよ
何するの?国民 の将来不安を減らし、減らすためにはいろんな戦略があります。
将来不安を減らし、その分どんどん使ってくださいと。いう風に言えばいいだけでしょ?
こんだけ国民が不安な状況 でたくさんの貯蓄額がね貯蓄に回さなきゃいけない額がある中で
給料をちょっと上げて消費が良くなりましたとかそういうレベルで話をしていいのか?
このポンツクが!っていう感じなんですよね
波頭さん
ちょっと乱暴な言い方すると、財政破綻して、構造改革要するに執着する既得権自体、壊しちゃえばもう1回ゼロスタートできるんで、ある種のその財政破綻から行く加速主義的な97年、韓国どんどん立ち直り素晴らしかったんですからね。
それ考えたら、破綻破綻って脅されてそれでますます富裕層は声太り、それで貧乏な人はますます削られっていうのって、本当になんか脅しに屈してますよね弱者がね、これ守ってあげなきゃいけないの野党なんですよね。
野党も一緒になってますからね。
経済の側面だけじゃなくて安倍さんの何て言うのかな襲撃事件なんかも含めて、国が荒れてきてるっていうのも、元々日本のいいところっていうのは、安心で安全・清潔っていうのが、社会の財産だったの。それがすごく荒れてるのが 心配です。
いろんな賄賂だったり汚職につながってるだろうということがわかっても何も変わらない。
統一教会の問題も明るみに出ても変わらない、それを国民全体が感化しちゃう国になっちゃってる
っていうのは心配です。
具体的には 今回あった統一地方選でも政権構造に対して、 批判はほとんどないですよね
宮台さん
僕は、社会学者なので、何事も社会の劣化が初めにあると考えるんですね。
第一次第2次安倍政権でですね 非正規雇用の待遇がちょっと改善した、で 、それは非正規雇用を増やしたから当たり前のことなんだけど、でそれで喜んで安倍政権に投票するといったような人たちが増えてくるとか。
まあいろんな不全感を、こいつができたらみたいな言説によって、絡め取られる形で
投票行動を誘導されるとかっていうね、非常にですね 非常に極端な民主制を支える民意の劣化が
やっぱり生じていって、それ今回の統一地方選での低投票率によって、象徴されることであるだけではなくて、そもそもこれも波頭さんと前回話しましたけれども、例えば統一地方選でね、
地方議会のどこに投票したらいいのとかどういう政策を重視 したらいいのかってことについて
友達・家族あるいは地域でかつてのように、かつてって言ってもだいぶかつてですよ、1970年代とかね。
80年代前半ぐらいまでのように 井戸端会議的に床屋政談的に議論する機会が全くないんですね
昔は高校大学時代に僕ら喋ったんですよ。しゃべるような 文化的プラットフォームがありました
でね、多くの国ではアメリカでもあるし ヨーロッパの国々でもほぼ例外なくこれはあります
コーヒーハウス的なもの。
なぜ日本 でだけそれが全くないのか。
皆さんがこれをね識者の会話とかっていう風にあんまり聞いてほしくなくて、この程度の議論は
高校、大学、 院生の人たちだったらできるはずなんです
いやそんな話は普段からしてるからみたいに言ってくださるとより先の話ができるんですけどね
ってことですね。
統一地方選の後でもあるから重要だと思うんだけど、 特に若い人がねだいたい1996年以降極端に
政治的な話題を 避けるようになったということ。
原発事故の後ですね福島に行くと福島大学のキャンパスではね、原発の話題はタブーなんですね
それは理由がはっきりしている。
家族に原発関係の人がいるかもしれないということで、それを忖度・斟酌して喋らないっていうこ
なんですけれども、 表面上似てます。
政治の話はしないんです。
でもそれは友達がいなくなった、あるいは友達の概念が変わっちゃったからなんですね。
何でも悩みを話せるとか本当に思ってることは話せるのが友達、特に親友だとすると、それがもうなくなって事実上、空気読めないってのを恐れてキャラ を演じるだけっていう風に、急転するんですね、若い人たちの コミュニケーションが。
それで 政治の話題と性愛の話題と本当に好きな趣味の話題は96年あたりからタブーになって
ところがちょっと変わったかもしれないなっていうのは、コロナ禍における東日本での日本の徹底的な
敗戦ってのが分かった状態でやっぱり多くの人は何かおかしい国かもしれないって気がついて
特に安倍首相死後ですね、五輪疑惑疑獄ですね事実上の疑獄が噴出し、そいつ教会問題が噴出したところで、確かにこれはダメなのかもしれないなっていう風にやっと若い人たちが気がついてると思います
なのでこの1年 っていうことで言えばもうダメなのかもしれないっていう風に、なんか気がついているんですけれども そこからまた反応が僕は興味深いです。
単に無力感に落ちてるだけなんですよ。
もうその話題は聞きたくないみたいな形になるんです。
「いや何とかしなきゃ」って話に ならないんですよね。
それはよくわかります。
若い人の中に もともと連帯がない。政治的コミュニケーションがない。
さて。
僕たち民主制だってことが出発点になりますよね
民主主義には大前提があるんですよね
それは 民主主義の民主主義以前的な前提っていう風に一部の社会学者が言いますけれど、それはまあ ざっくり民度と言ってもいいんです。
民度というのは実は個人の問題というよりもさっき コーヒーハウス的伝統って申し上げたように、人々が普段からどういうコミュニケーションをしているのかっていうことなんですよね。
だから人々のそういう地場の コミュニケーションのモードあるいはそれを支える生活形式次第では
民主制は非常に危ないものになる。
日本は民主主義だから良い国ですとか、 民主主義の価値観を守ろうとする国々と連帯しますとかって
安部・岸田、それ以前も言ってますけれどもこれは大問題で。
民主制は民度次第あるいは民度を支える生活形式次第なんだよねっていうことを、政治家も言わない
学校の先生も言わない、子供たちは民主制をだから良いのだと思っていて、そうじゃなくて、民主制はいいかどうかわからんが、お前らが一定の生活形式ゆえの一定の民度を持っていれば、素晴らしいものになるという風に、 民主主義は条件付きでいいものなんだよ、条件次第ではひどいものなんだよっていうことを教えてないんですよね。
まずね、ここがヒントになります
波頭さん
有名な話ですけど自力で生きていけない人はもう見捨ててもしょうがないっていうレートって世界で
日本が一番高いんですよ。 約40%です。先進国だろうが発展途上国だろうがね約10%、要するに人間という群れの動物のナチュラルなところは、自分で生きていけない人は、包摂して群れて助けてあげようっていう 価値観を持つ人が9割で10%ぐらいそうじゃないっていうのが、やっぱり進化論的な、合理的なバランスなの、に日本だけ40%の人が見捨てろっていう、だからねそこも何とかしないと日本ってね、次のステージに行けない。
要するにみんなでコミュニティとして 幸せになれる段階にいけないんだろうと思いますよね
宮台さん
これはすごいデータだけれど、でも時々起こるね生活保護不正受給者バッシング、これ1%に満たない
それを バッシングしてるんですよね。
それよりも統計的にはね生活保護の未補足率が8割に及び、他の国は逆に発足率が8割にを呼んでいるっていう事の方をね 批判しなきゃいけないのに、「なんで俺の金が ずるしてるやつに行くんだ」みたいになるのは異常ですよね。
要はね日本人には社会という概念がないんだっていう風が柳田邦男(※)が言ったあの世間の話で書いていることに直結しますよ
※柳田邦男1875-1962民族学者 日本民俗学の父と称される。日本人の生活習慣や歴史伝承を
記した著作は100数冊に及ぶ
だから 僕がよく言うのはね 昔は地域共同体があった。
だから自分が何かあったら助けてもらうような界隈っていうのがね。
おそらく数十人っていう規模でね 親族含めてあった。
しかし新しいのは仲間の範囲がどんどんちっちゃくなって、 94年段階だとだいたい3人っていう感じ
でそれがその後さらにちっちゃくなって仲間がゼロになったっていうのが90年代 後半から末の話で
サカキバラ生徒事件その他ね いわゆるキレる少年犯罪が頻発した時にそういう風に言ってきたこと
ではあります けれどもだからその意味で言うと、もっともっと地域社会あるいは地域的な共同性
があった時には公共性というふうに評価されるようなね、ギフト、無償のギフト、贈与を与える
という感覚が人にあったとして、見知らぬ人間に対してどうするのかということについてのもともとの枠組み、マインドセットが日本人にはないようなんですね。
なので特にとりわけ日本ではもともと 縁主義の伝統も柳田が言うように皆無 ってことがあるので
血縁意識の伝統っていうのは、どんなに離れていても血縁上のネットワークにあるよって分かれば
顔を知らなくても名前を知らなくても助けるというのは伝統ですけど日本それ全くないので、血縁主義っていうのは必ず宗教と結びついていて、2つ、すごい血縁主義の集団があって、一つはユダヤの方々だけど、これは ユダヤ教という宗教によって血縁主義的なるものが、担保されていて、中国は 儒教的なるものによって担保されている。
日本にはそれもない宗教もない、だから もちろん血縁主義もないんだけど宗教もないって言うと
実は地域でTogether でいるっていう事によって 働く、ある種の助け合わなきゃっていうのを
守らないと、つまり例えば地域が開発されるとか公害化が進んでしまうとかっていうことがあると
途端に残念だけどそういうバトルフィールドではないそのホームグラウンド、ホームベースっていうのが一挙 に壊れるんですね。
それが今の状態ということです。
これはいわゆる 政策的な失敗という風にはなかなか言いづらいところがあって、誰が政権を取ってもこれを止めるっていう方向にはね頭を使わなかった可能性があるって意味では、残念だけれども 日本人の劣等性がそこにあるで、この劣等性っていうのは近代から見た場合のってこと なんだけれどね。
波頭さんね、要はその日本人に規範がない問題っていうのがあります。
例えばね日本人はヒラメキョロメで周りを伺う、これは集団主義っていう定義をされたのが、社会心理学者の 山岸としおさん、統計調査をすると、これは集団主義ではなくて自分のポジションを保とうとする自己中心主義の表れなんだっていう風に 談じられたんですね。
僕の人生経験では全くそのように思います。
残念だけど空っぽなんですよ。
周りの空気は一変すれば 昨日まで僕が一番の天皇主義者ですとか 言ってたのが、突然僕が一番の民主主義者ですって同じやつが同じ口で言い始めるっていうね。
波頭さん
個人的な目先の非常にマテリアルリスティック(※)な小さい損得だけで動くっていうね。
そのからっぽっていうそのものになっちゃいましたよね。
※物質主義的な思考。理念・精神的 な豊かさ・目に見えないものの価値などを軽視し
損得勘定で判断すること
宮台さん
波頭さんね、だから、そこが実は処方箋の第一歩になる。
それこそ50年とか100年のスパンで見た時にどういう国にならないとまずいのかって言えば、子々孫々までメンバーズに加えたような発想が大事だというそのまま前提でしゃべりますけれど、今お話してきたように語り合ってきたように、要は、仲間を守る、あるいは、仲間を守るために、自分は多少犠牲になっても構わんっていうようなメンタリティーをやはり規範として、樹立するっていうのを作っていくしかないんですね
最近ちょっとブーバー僕が中学2年の時にちょっと影響を受けたんだけど、読み返してみてちょっと すごかったんでですね
びっくりして最近いろんなところで言ってますけれど、例えばユルゲン・ハーバンスのちょっと上の世代なんですね。ブーバーは。ちょっとっても十数年上なんですけど。
生活世界っていう概念がありますよね。それをホームベース だって言うんですね
それに対してシステム世界。ここはバトルフィールドだっていう風に言うんですね
これ素晴らしい発想だなと思ったら、はっきり言うと、ブーバーの方がもっと分かりやすく包括的 に問題を言っているんですよ。
バトルフィールドである市場や行政は、人を「それ」つまり「イット」として扱う世界なんですね
それに対してホーム ベースは人を「汝」「you」として扱う世界なんですね。
「我と汝」っていう関係と、「我とそれ」っていう関係は、徹底的に違うよって言うんですね
「我とそれ」の関係では「それ」は入れ替え可能、リプレッサブル(replaceable)だと言います
なるほどな あのこれ僕の例ですけどカレーライスを作る時にジャガイモ人参玉ねぎを使う
その時にじゃがいも人参玉ねぎに名前はつけませんよね、 つまりいい材料だったら何でもいいわけ です。
つまりこれはバトルフィールド市場や行政における人間とそれの関わりなんですね。
でも人間はそれだと孤独になるんですね。
誰かに「you」として つまりリプレッサブルではない「it」ではなくて、入れ替え不能な「you」として名指された時に初めて、輪郭と重みが与えられるんだっていう風に言うんですよね。
特に若い人になればなるほどあるいはもうかなり年長の人でもそうだけど 友達がいない、単にある種都合がいいから付き合ってるだけ、その意味で言うと例えば孤独だから、孤独の埋め合わせに人を使っている、孤独の埋め合わせっていう人の使い方は、 やっぱり道具なんですよ、感情的な安全が保証される場がないとまたバトルフィールドにリエントリーできないんですよ。
だからリエントリーできない人がたくさんいるんですよ。
たくさん働くからバーニングアウトする、いやそれもあるんだけど たくさん働いてホームベースがないとバーニングアウトがするんですよね。
そういう意味で 例えば 損得勘定のですねガリガリ亡者のグリーディー(greedy)な人がこれを見ているとして、それだとしてもそういう方に言いたいのはホーム ベースを保ってそこに帰還してリターンして、リセットしてリエントリーできるようなそういう場、生活世界あるいはお互いを「you」として
「it」としてではなく 眼差し合う場がないと、残念ながら人のこの言い方冷たいけど、生産性は上がらない。
波頭さん
効率性合理性をベースにした 計算可能な世界だけどそれだけじゃダメだから要するに、非合理あるいは情緒的、感情に直結した世界で生きなさいと。
宮台さん
はい。でも 多くの場合、親は条件付き承認、 例えばバイオリンが上手く引きたから、あなたはいい子、数学の成績が上がったからあなたはいい子、鈍感なやつならともかく、敏感な子ならそうか別に数学ができれば誰でもいいってわけだなっていう風に子供は思うんですよ。
あなたが何ができようができまいが、あなたはあなただから好きっていう関係の中でしか、自分の世界もOKっていう感覚は得られない
それで 言うとさてあなたは自分に価値があると思いますか?っていう7年ごとに行われる青少年研究会
のデータ、アメリカはまあ6割、中国でも5割、経年調査ですけど、だいたいそうだって答えます
日本でそうだと答えるのは少ない時は6%、最近は9%、だいたい平均して7%。
すごいと思いませんか?
だから10分の1弱ぐらいしか自分に価値があ るっていう風に思えないやつがいる。
誰なの誰の責任なのってことを考えると それは親と学校と地域周りの大人の責任ですよね。
だから残念だけどこのデータを見る限り日本の社会はもう構造的に壊れていて、ホームベースをもう子供の時期から与えることができていない、そんなところでそれこそバトルフィールドでの戦闘力があるような兵士が育つか。
こんな言い方嫌だけど、グリーディー(greedy)な人が見てたら伝わるように言ってるんですけど
戦闘力のある兵士なんか生まれないよ。
波頭さん
今 世の中、正しいことって合理性と効率性が正しいになっていて、特に 経済的価値に帰着するようなものばっかり。
そうじゃない生き方で要するに感情だったり利他だったりということに対して、自己肯定感を高められるような生き方をしろっていうのが宮台さんからのメッセージですよね
宮台さん
そうですね
波頭さん
まとめの一言 キーワードお願いします
宮台さん
はい。「 なぜあなたの毎日はつまらないのか」
皆さんは 成功すれば面白いと思っているでしょうか?
その今の時点でですね皆さんが成功だと思っているものを得たら、幸せになれるという
その馬鹿げた思い込みを捨てないとこんなはずじゃなかった感に苛まれてしまいます
じゃあどうすれば幸せになるの?
インスタの「いいね」かき集め? なわけねえだろ。そうじゃない。
さっきの「it」と「yo」で話したことですよ。
あなたは かけがえのない存在だと。私はあなたのことが好きだ
なぜならばあなたはあなただからだっていう風に言われること
そういう人たちが仲間であって、その仲間のために、頑張っている時に、人はやっぱり
成果には関係なくつまらないとは感じないですよね
波頭さん
ありがとうございます [音楽]
宮台さんとのお話は毎回ですけど、中身濃いよね
勉強になったりなるほどって頷かされることを多かったんだけど
感情とか自分自身の内にあるものに根差した自己肯定感が持てるような生き方しないとダメよっていう
メッセージは若い人に届いたんじゃないかなと。
それと対になる形で若い人に 伝えたいなと思ったこと。
自己決定権を確保して生きろと。
合理性とかあるいは効率性の奴隷になるな
部品になるなっていうこと。
自分のその感情の声もそうだけど、倫理だったり自分の好き嫌いだったり、
それを守っていける自己決定権を自分の手にするために頑張ろうっていう風に思ってきてほしいな
って思います
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