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危機に無防備な日本を招いた学者・役人のクズ化

2023.2.10 【東京ホンマもん教室×表現者クライテリオン】藤井聡さん・宮台真司さん対談



■藤井さん

僕は 比較的現場があるので強靭化とかいう現場であったり都市計画、国道計画で現場がありますので

比較的、森林学者、社会学者、経済学者、民俗学者、工学者そういった人たちとこう議論することが

あるんですが、やっぱりそのどうしてもジャーゴン、専門用語があって特定のクセというものがあって

知らないこともやっぱりあるわけですよね

なるほどそうだったのかと。例えば動物学者が言う概念がその概念はここにも完全に

使えるじゃないかと。例えばすごいシンプルなマッチングセオリ対応法則の議論なんか

でもそれがこの社会学的にこう使えるだとか何だとか その気づきっていうのは本当に多いんですが

驚くほど大権威がこっち側の常識を知らないということが本当によく見かけて、すごく感動していただけるからいいんですけど、それね壁があって本当にその知のインターコース(交わり)ができてなくて

結局本当に 国土を豊かにするとか、国土の強靭性を高めると いうことができないできてないっての本当にありありとわかりますね


■宮台さん

そのことをね、私の師匠の小室直樹氏はねこういう風に表現しておられるんですよ

要は 学者になりたいやつが増えた。学者界隈で権威によるポジションにつきたいやつが増えた

昔はそうじゃなかった例えば私を見ろと。私は 日本が再び戦争をした時にアメリカごときに

絶対に負けないような国にするためにアメリカよりも民主主義を理解しアメリカよりも近代を理解し

アメリカにも科学を 理解するんだっていう風に 宣言しておられたことなんだけど

彼の中にはアカデミズムの中での国際英語専門誌に書いてポジション取りしようなんてそんな考え方は

全くない。

あともう一つ。「好奇心」ですよ

それを知りたいから研究する。その時にね。彼がよく出すのは明治の末から大正にかけてたけど

当時の帝国大、東京帝国大学で千里眼研究をやった心理学の福来博士が教授会で解任決議を

出されてですね

でこれはね ものすごく彼がつまり彼っていうのは小室先生が怒られたんですよ

例えば僕の援助交際研究がね、 95年ぐらいにですねこんなのは社会学じゃないみたいな議論が

出てきて、それに 対してすごく激怒しておられた時に、このことを例として出されたんですね

学問の正当性アイデンティティてどこにあるのか というと「方法」にあるんですね。

で、社会学にはソーシャルリサーチ、社会調査 ってありますけど

これも量的であれ質的であれ、理系で言えば受験計画法に当たるような 社会調査法っていうものの

フォーマットをちゃんと踏んでいるかどうかということに変わっていると。

つまりもっと言うとね、学問の正当性のアイデンティティの根拠 っていうのは「方法」なんですよ

ところがこの東京帝国大学の立憲「学問が学問であることは「対象」なんだ「対象」には怪しいものを

扱っちゃいけないんだ」と。

これはまさに日本人の劣等生そのものが現れだということなんですよね

だから例えば援助交際なんか研究するのは学問じゃない

これも対象に引きずられて問題を見ないことにするっていうか、学問ではないというふうに

言ってしまう

で、藤井先生のおっしゃったこと、実はね 学問のある種のディスプリンと言われているその枠の中に

閉じこもることって実は同じことなんですよね

方法に学問の同一性があるのであれば

複数の今縦割りになってる学問なのに、方法の同一性があれば、「対象が違うから。違う学問だ」ってのは実は許されないってことでしょ。


■藤井さん

比較的強靭化の議論っていうのは例えば京都大学にレジリエンス実践ユニットと いうのを作って

これも10年以上やって いるんですけど、ここにまあいろんな工学もいますけど、心理学、それから

経済学、哲学、経営学いろんな方がおられて議論をしているんですけど 比較的議論が成立しやすいのはですね、

これをちょっといいのか悪いのかアレですけど、国土の強靭化、国家の強靭化、経済システムの強靭化、

地域共同体の強靭化というテーマは全ての 分野の学者にとってそれは大事ですねと言ってもらえる可能性が高いと。

従ってタブーではない研究になってて、従ってその共有可能性、議論可能性ってのが高いんだなと。

そういう意味で強靭化の議論をしているあるいは 国土計画の議論してるっていうのは 比較的その壁を下げやすい

メリットがあるんだろうなと思いますですね。

人間の定義や生命体の定義の一つのやり方として危機に対する対応の持続的プロセスであると。考えれば危機がなければ死んでるようなものとも言えますから、社会とか人間っていうのは。

危機のない状況なんて我々当然ないわけで。

電気なんてすぐなくなるかもしれないし、 地震だってあるかもしれないし、車が突っ込むかもしれない。

でその危機に対して対応するという時に 初めて 我々のその 理性・頭脳も含めて活性化してきてシナプスがどんどんどんどん繋がっていくように各学問がつながっていく。

したがって戦争の時にそういう学問のハードルを下げるということがアメリカで起こったように

3.11のああいう大震災それが首都直下 地震というもうあからさまな危機が直前に迫ってるという認識が学問の壁を避けさせるということもきっとあるはずで、それで行くと今極東の有事、ウクライナの

問題から、これが 習近平の問題になんかなってきた時に本来はその危機を認識すれば学問のレベルが下がってって人々が脱トンマ化していって、 脱トンマ化することが行政とか政治が総合的 動いていくために必要条件だとすると国が動いていくという契機になるだろう

というのが僕の見立てで、 強靭化あるいはレジリエンスの研究っていうのを戦略的に始めたところがあって、 3.11の直後にはそれが比較的功を奏した部分が一定程度あったんですが 、これも防災研究災害研究でいつも言われる ようにどうしても災害の風化の問題というのがあって、今 10年以上経ってしまって、元の木阿弥のような状況になって、国土強靭化行政 あるいは強靭化の研究ってのが、さながらルーチンのような一つと分野になってしまったりとかするような格好で、結局そのシナプスがつながるんじゃなくて、こう切れてしまったような状況でまた日本社会自体が死に向かっているというふうに感じるんですね


■宮台さん

おっしゃったことをね、ちょっと抽象的な形式として言うと実はいろんなところで 起こっていることです

つまり学問のねあの縦割りになった分野に横串を刺す契機って、危機の共有なんですよね

だからそれは気候危機への対応だったり、地震災害その他に対する国土強靭化であったり、

例えば そのことを共有した上でね、それでもやっぱり面白い論争が起こる、だからそれはドイツでね化学兵器をナチスの命令に従って 開発した、今日で言えば科学兵器の父にあたる学者さんとアルバートアインシュタインの間の仲良かったんだけど、論争があったんですよね、で これね皆さん注目してほしいのは例えば僕たちが学問的研究ができるのは、国家から予算をもらってるから。

今ちょっとね国家かどうかっていうのはわかんなく なってきてるところあるけど、当時はそうだった。

戦争に負けるということが 研究が継続できなくなるかもしれない、さてこれを思考停止的にね、

「戦争を擁護してるのか」みたいに考えてはいけなくてね、つまりこのロジックは、 縦割りの中に閉じこもっていてはだめでその全ての縦割りになった分野に、共通の利害として戦争に負けるとまずいだろうということがあるんじゃないの?

だったら戦争 に負けないような負けないという目的を共有した研究があっていいんじゃないの?っていう、こういう議論に対してアルバートアインシュタインはその議論の形式は認めるが、しかしそれによって人類が大きな危機に陥る人類社会が存続可能性が 脅かされればそれでもやっぱり研究は難しくなっちゃうんですよね

どういう視座、何をスコープとして設定するかで、この同じ議論でもちょっと違った帰結が出てくる可能性があるというかなり高度な話なんですけど、まずその出発点、藤井さんが おっしゃった、縦割りだったらまずは何か目標を共有しないと横串しさせないよね、で、それは戦争がかつてそうだった、今は気候危機、 自然災害の多くは気候危機から起こることになっていますけどもその共有なんですね 。

その観点から見た時に国土強靭化あるいは社会の強靭化に自分たちのディスプリン、学問領域がどう貢献できるのかっていう問題意識があれば、横串が刺されてコラボレーションできるということですよね


■藤井さん

そういう意味で アカデミズムの世界でなかなか横串というの難しい時に、我々どういう戦略がある

かっていうのは一つがやっぱり言論子で、 宮崎先生もこう言論活動、インターネットなんかも含めてそういうこの番組なんかもそうですけれども、ジャーナリズムとアカデミズムの橋を作ることで、 比較的、横串がさしやすくなるんじゃないか

したがって ジャーナリズムの場合は、ディスプリンが 多少緩くても、こういう風な可能性があると、こういうふう なこともあると思われるというような議論 を交換することで その学問の世界の壁というものを溶解させていく機能が僕はあるんじゃないか

と思ってまして、で、実際 京都大学の中のレジデンス実践ユニットで分野横断的と言われるようなグループを作ると同時に、クライテリオンの中で本当にそれぞれのテーマごとに、 各界の宮台先生にも出ていただいたこともありますし、いろんな方に入れていただいて議論をして、でかつそこで交流をしながら また現場で戻っていくというこの循環の中で壁を 徐々に徐々にこう溶解させていきその意味 の組み換えというものを起こしていく活動が、できるんじゃないかという意味で、僕自身はこのジャーナリズム、この番組を含めてですけれども、雑誌とかテレビとかっていうものは、自分の広い意味での講義のアカデミズム活動の一端としてやっているという認識がありますですね

でそう思ってるのは、やっぱり僕の職業的な 研究者というか大学の教授学者であって、学者というものは、それこそエドマンド バーク(イギリスの政治思想家、哲学者、政治家)にしても、それからホセ・オルテガ・イ・ガセット(スペインの哲学者)にしても、政治家 をやりながらリアルプラトニズムだと思いますけど、政治家をやりながら 哲学をやるというようなことを通して、学問 がより学問化しジャーナリズムもポリティクスも政治も、活性化するというのもあると思いますけど、やっぱり僕自身は 職業的学者としてこういう学問を広げる学校とし、ジャーナリズムというのを通す というのが、 危機とは違うラインですけれども学問を活性化する一つの方法じゃないかなと思います


■宮台さん

大賛成です。で、藤井先生にちょっと提案したいことで僕も今やろうとしてる ことはね

昔は論壇者が機能していたような市民ってもうあのマクロにはほとんどいない

ほとんどタコツボ。僕の言う所属集団の中での座席争いですよね。これをしているような状況にある。

でそこからの自由なのは誰だろうかっていう、中学生や高校生 あるいは大学生でもね大学1年生までは

大丈夫だよ、大学3年生とかなるともうほとんど無理つまり 就活が始まっちゃってると、ひらめキョロ目になっちゃうんですね

だからそうじゃないのっていうのは やっぱり子供なんですよね

なので中学生や高校生がわかるように語るということがね、今後、昔機能したようなジャーナリズムが機能回復する 一つの手がかりだと思うんですね

実はリベラルの時代以降ねドイツでは子供大学っていうプロジェクトがあって、大学って日本ではわかんないと思うけど、ヨーロッパアメリカでは、壁が無くて、市民が自由に出入りできて、もちろんセキュリティエリアあるんだけど、その大学っていうのはだいたい田舎にあって、週末になると、みんなで車に乗って映画見に行く、みたいなね

そういう生活ですよねで ポイントになるのは大学の地域還元、大学って税金で成り立ってるとかね、あるいはいろんな補助を受けてるって事があるので、社会にある種のお返しをしますっていう時に、子供が対象として選ばれて、子供大学。

これ はねすごいチャレンジングなんです

つまりジャーゴン使えないでしょ?そうすると全てこれを日常の言葉に開いてしゃべるんですよね

それがね、いかに 大変か。っていうところと、あともう開けば、子供でもわかる。

専門家って言われてるものの本当の 専門家にしかわからない部分ってどこなんだろうということをね

改めて考えさせられる チャンスなんですね

さっきの横串問題も関係していて、例えば1日の小学4年生ぐらいを中心として考えたのが子供大学なんですけど、例えば1時間 まあだから2時間最初1時間議論してレクチャーして1時間みんなで 議論してもらうみたいなものを3つ繋げる

と例えばその現場に分野の違う学者さんが、3人集う、で、子供でも4年生でもわかる言葉でしゃべるから当然そこに集まった学生さん、先生も、先生のやってらっしゃる例えば宇宙物理学ってそういうことだったんですねとかって、こういうねちょっと京都だったらね、分野の違う学者さんが集まってしゃべっ ていると仲良くなってコラボレーションできるのと同じようなことが 起こるんですね

なんで昔京都大学からもっぱらノーベル賞が 出るのかってことについてそういうサロン仮説ってあったんですよね

専門を超えて自分の言ってることを紹介して面白いですねって言ってもらうっていうね

それは東大にはなくてつまり縦の壁が強かったからということもあるんだけど、 いずれにしてもね、

子供に向かってしゃべるということがすごく重要なチャンスになるなっていうふうに思いますね


■藤井さん

プラグマティズムの作法って本を書いた ことがあるんですけど、 我々はプラグマティストを足らねばならない、何をするにしてももちろんベースには パースのプラグマティズムの哲学的思想があるわけですけど、どれだけ 抽象的な概念、 哲学的な概念をやるにしてもそれが一体どういう目的があるのか、すなわち文脈が何なのか

ということを常に明晰に明らかにしながらその概念を捜査しろというのがプラグマティズムで、この時 に私があのその中で、推奨したのがこれはあのエジンバル大学で言われてる方法らしくて、一般的に言われてるかどうかわかんないんですけど、あなたの研究をあなたのおばあさんに喋りなさいと、おばあ さんが理解してくれたら、あなたは本当にそのことを分かってる。

これをグランドマザーテストと呼ぶんだと。僕これはね すごく目から鱗が落ちました

僕いつもできるだけそのグランドマザーに対応するような方々に、自分の話を説明して説明できなかったらきっと何かジャーンでごまかし てるところがあったりとかしてるんだろうと。

教室ってこの番組でも一般の視聴者の方に 喋るっていうのは僕にとってこれはグランドマザーテストの役割も果たしてるわけで、そのグランドマザーテストのところにいろんな学者を引っ張り出して来ればですね

まあ偽物と本物が分かれるだろうし、そこで グランドマザーになればグランドマザーとしてそこで知が融合していくことにもなる

でしょうからそれがグランドマザーだけではなくてその小学生たち子供たちに対しても同じ機能がグランドマザーテストと同じような機能が きっとできるんですよね


■宮台さん

今ね、YouTubeで 専門知を動画で一般の人に分かれるように配信するっていうのはね

いわゆる有名大学ではかなりなされるようになっていて、これはねグランドマザーテストに近づいていると。

あと他方でね、プラグマティズムって、日本で最初、実用主義って訳されたので全く誤解されちゃったんだけど、元々が、ハーバーマス(ドイツの哲学者・社会哲学者・政治哲学者)の言い方だとね

認識よりも関心、つまり知よりも動機付けに注目するという、ラルフ・ワルド・エマーソン(アメリカ合衆国の思想家、哲学者)が、出発点とされてますけど、彼は、内なる光、知識を受け渡すのではなくて内なる光つまり 動機付け、力を受け渡すのがプラグマティズムなんですね

さて子ども大学とかね、グランドマザーテストの共通性はね、自分でやってることの何が面白いのかということを伝えるのに失敗をすると相手が寝ちゃうとこなんです。

これはプラグマティズムの基本で、それがわかりやすくどういう意味で面白いの?何でそれをやろうって気になるの?ってことに気がつけない限りはガラクタだよねっていうことなんでね

でも実用主義 って訳しちゃうとその知識って何に使えるのかわからないと意味がないじゃん

でこれが日本的な堕落なんですね

実用主義ってそういう意味じゃない

基礎研究っていうのは基本何に役立つかわかんねえよ、ただ面白いじゃんっていうですね

で、実は子供向けとかおばあちゃん喋 っていうのはね、もちろん死ぬんだからさ、それが社会のここに役立ちますなんて言ったってさ、知らねえよそんなことは。。なっちゃうよね

面白いよね!っていう風に、内なる光が受け渡されれば プラグマティックな実践の成功なんですよね

でもそれもねなんで日本で実用主義って訳されて、日本のいわゆる 理学工学系の一部のダメな学者がそういう「教育・リベラルアーツなんてもういいでしょう」とかって言うんですよね

これはまさに教養がないからなんです。教養がなトンマが「教養教育は要りません」って言う。

ハーバード、コロンビア見てくださいよ東大もそうだけど 最初2年間は ジェネラルエデュケーション(general education)、教養教育をやるんですよ。その中核がリベラルアーツ。

それがないとなぜダメなの?でそのコロンビア大学の学長さんの動画前見た ことがあるけど

要はねなぜそれが大事なのかなぜそれに興味を持つべきなのかっていうことが簡単に言うとね

何かに好奇心を持ったり、これが大事だっていう風に思うその土台を作るのがジェネラルエデュケーションなんですよね

でその土台がないところで プロフェッショナルエデュケーションなんてやったって、優先順位を間違えちゃうよねってことですね。


■藤井さん

京都大学に入ってこれ京都大学に限らないですけど総合大学っていう言い方でいいと思うんですけど総合大学入って良かったなと思うやっぱり1年生2年生3年生 やっぱりその学部の友人もいますけども、それとは全然違う文脈でそれこそクラブだ とか、クラブだとかサークルだとかまあそれほど麻雀だとかでつながると本当にいろんな学問の人とこう情報交換が情報交換とか、共有化ができて、やっぱり学問の 話もにもやっぱりなっていきますから、いわゆるその ケンブリッジ大学のあのカレッジの 寮のようなイメージで、 ケンブリッジ大学って寮が 各学部からごちゃ混ぜで入れられて昼間の勉強が終わったら、夜ディナーを みんなで一緒で食べてそこからまあお酒 飲んだり紅茶飲んだりで夜中まで喋って次また学校 行くっていう、このサイクルがケンブリッジ大学の強さの秘訣だと思うんですけど、やっぱりそれが ないと大学の意味がないですよね


■宮台さん

だからそれは 抽象的な形式で言うとねテキストを読む前にコンテクストを配慮しようと同じ。

大学のあるアカデミズムの営みを配慮する前に、まず社会を配慮せよというね多分そういう枠組みだと思うんです よね

ところが日本って本当にさっき申し上げた家も空洞化、地域も空洞化、都市権力も空洞化っていう中で

なんか配慮するべき社会って何なの?って ことは分からなくなってる

マルチスケーリングの話ちょっと戻ると、MMTの言ってることは認めています 財政出動にあってもどんなにやってもそれで破綻が起こることはありません。

でもね 要するに年金財政なんて破綻するわけがな、い受給金額を低くしていけば永久に継続する。

でね、問題は他にどういう問題があるかってことなんですね

例えば今 貯蓄から投資って言ってますよね、投資っていうのはその要するに生産性が高いところに投資をしないと負けますよね

とするとね、今日本のそのいわゆる一人当たりGDP 象徴されるような生産性が低い場合、貯蓄から投資を推奨すると直ちに キャピタルフライトが起こるということです

こういう問題をMMTで解決できますかってことなんですね

それは解決できない結論として言えばね

でだから そういう風に何を議論するべきなのかっていう簡単に言うと何を議論するときにそれが使えるのかっていうことをやっぱり議論しないとまずい。


■藤井さん

MMTっていうのはMMTっていう カタカナの集合ではなくて現代貨幣理論 ですから

理論であって消費者理論とかそれから価格理論だとか行動理論だとかで 貨幣理論があって

その現代版だということですからその理論を使って様々な問題に取り掛かればいいわけで、その時に現代貨幣理論というものを 抜いた 財政政策を考えるとこれは大きな制約条件 にかかって、政府が自由に動けないという問題があるから、現代における貨幣理論というものを組み入れた政府における政策論というものを考えると、よりリッチなそれこそ生産性の高いものへ の投資を誘発するために何が政府ができるのかということを選択肢集合が増え自由度が増えそして公益が拡大化する余地がさらに拡大するというのが僕のイメージ。


■宮台さん

それで全く良いんですが 政府が生産性の高い産業に投資できるかどうかっていうのはいわゆるソーシャルコネクション問題というか 既得権益問題なんですよね

日本のように役人が政策を決定していて、しかもその役人たちのキャリア形成システムの中に、天下り先っていうのを組み込まれている状態では、役人たちが 既得権益を壊すような政策を決定するのが非常に難しいというね

で、この問題はやっぱりMMTでは全然解決できないんですよね


■藤井さん

MMTというのは一つの関与、「多分こうやるといいですよ」って 提供するけどそこの インプリメンテーションのプロセス

実現のプロセスについては特に言及しているわけ ではなくて。でそこはやっぱりこう政治学だとかあるいは組織論だとか

で特に最近思うのは、永田町の社会学というか、永田町の民族学というか 霞が関の民族学、そういった学問が必要になるん

だろうなと思いますですね


■宮台さん

僕は 師匠がね、さっき申し上げた小室直樹先生は、いろんなことやっておられるけど、経済学では ものすごい強力なケインズ擁護だったんですよね

なので多くの人が緊縮って言ってたときに、「いや財政出動だー」ってずっと言い続けたのが小室直樹先生。

だからその流れで言えば僕は当然MMT、つまりパラメータを追加してるだけなので 肯定的なんだけど

どんなにパラメータを 追加したとしてもそのさっき申し上げたやっぱ配慮してる文脈には限りがあるんでそれはなぜかって言うと、セオリーであればそうなんですよ。すべてを参照するセオリーなんてあるわけないんで。


■藤井さん

理論ってのはあくまでも無機質な理論であって、それを どういう文脈の中でそれこそどう

プラグマティックにそれぞれの道具を活用していって生(せい)を営んでいくのかという問題こそが大事であってその際にいろいろな有効な理論であった、り本当は有効ではない理論とかもあるのかもしれないんですけど、そういうものを選んでいくというその道具を活用するという哲学がなければ何理論であろうが何の役にも立たないということだと思うんですね


■宮台さん

そう。僕らがそういう新しい光に向かった歩むためにも 中学生高校生に僕たち今喋ってるんですよっていうね

そういう座組というか設定をすると有効かもしれないなと思いますね。


■藤井さん

大学で講義をしてると 先生がもう図に乗って面白くないこともいくらでもしゃべってしまうっていう ところが。

あれはねやっぱり子供が学級崩壊寸前ぐらいの子供でも惹きつけるぐらいのそれぐらいの面白さっていうのが大事



■宮台さん

まったく賛成で。僕は今まで出席点とかとったことないんですよ

でね実はね20年ぐらい前からね 「出席点取らないと出席しているのに出席点を取っていただけないと出席していない人との間に不公平が生じます」って言われるんですよね

言ってる意味わかるけど、出席点を欲しい ために参加しているんだったら出席点誰にもあげないんだからさ不利じゃないから出なくていいよ

出席点のために出席する?だから僕にすると それが即死系なんですね。いやもうだから

邪魔ですよね 。であと、授業になんか78分遅れていくと授業料返してくださいとかってね言う先生が出てきた。

私の師匠小物直樹先生、非常勤講師の後、私塾やられてましたけど、30分以上遅れてくるのは当たり前

ベロンベロンに現れてなんかジェファーソンの独立宣言をですね マンションの窓から小便たらして(笑)

廣松涉先生、この先生は自然休校のデッドライン30分を超えてくるのが当たり前ですけどほとんどみんな満員電車状況で 頑張っておられましたよね。文句いうやつはいなかった。

それはね、だから分かりやすく言えばお土産を持って帰れるかどうかってことだけが

大学の講義に出るポイントですね


■藤井さん

そうだと思いますそれはもう30分であろうが90分であろうが30分で何か記憶してる30分のほうがずっと価値のあること

僕も講義としてそうしようといつも思ってますね


■宮台さん

クズが溢れてるんですね。これ明白なクズ化でしょ?


■藤井さん

最後にまたクズ化理論に還元してまいりました(笑)

ます今日はトンマとクズというこの2つであの議論というものがしっかりと全体の通った論理性が担保できたなと改めて思います

何よりも本当にご無事で本当に心から僕はもう嬉しかった ですし

最初にニュースで宮内さんがしゃべってらっしゃるので 元気で良かったと思いました

本当にあの全快おめでとうございます


■宮台さん

こうやってお会いできていることが、本当に良かったなって本当にしみじみ思います。

だって死んでたかもしれない 。


■藤井さん

ちょっとずれたら死んでたって電話でもねおっしゃって本当でそんな中でしっかり言論人として語らねばならぬことは語らねばならないということで、ここでもう色々とお話いただいて最後トンマとクズの話に なりましたんですけど、そういうことを全部ちゃんと文脈を聞いてくださってる方は 意味が非常にわかってくださるはずですし、臆せずにこういう格好でご議論いただいていることに心から感謝申し上げたい。

言論人の1代表者というか今目の前にいる人間として心から御礼申し上げたと思います

そういう意味で視聴者の皆さんもぜひまたあの宮台さんの こういう学校でどんどんどんどん情報を

発信していっていただきたいと思います

本当に今日はありがとうございました。

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