top of page

女風とトー横と性愛ワークショップ 

21.12.07パンディット

「すべての生は死を前提に存在する」第2弾

宮台 真司さん(社会学者、映画批評家、東京都立大学教授) × 真鍋 厚さん(評論家、著述家)




【要旨】

社会学者・宮台真司さんと評論家・真鍋厚さんによる死をテーマにしたトークセッション。

R3.4月に開催し大好評を得たイベント「すべての生は死を前提に存在する」の第2弾。

コロナ禍になってわたしたちの社会は大きく変化。感染症という自然の猛威に対する脆弱さだけでなく、不要不急とされた営みに関する感受性も暴かれた。これは生死をめぐる価値観の分断を象徴する出来事でもあった。問題の深刻さに気付いた敏感な人々は、コロナ禍をきっかけに良き人生とは何か、死とどう向き合うかについて熟考し始めている。

「〈閉ざされ〉と〈開かれ〉」「没人格化と鉄の檻化」「死の処方箋と宗教」などのキーワードを手がかりに議論を展開。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



■真鍋さん


宮田先生とずっとその私のパートナーの

ノンフィクション作家の菅野久美子が

来年3月に出す予定の女性用風俗の本があって

今日のテーマを見て

なんかすごく意外に感じられる人もいるかも

しんないですけど全然そうではなくて、で

彼女があの原稿を書いて今取材して帰って行ってきて

その繰り返しをずっとしてる時から

色々とずーっとその話を聞いていてて

で、コロナ禍も挟んでいたので

実際その取材対象者と

そのzoomで話をしてて

その一部始終を横で聞いてたりとかして

とにかくその女性用風俗の

利用者ですねでその

踏み出す色々なその理由に

またコロナ禍に入って以降のその孤独

孤立の問題っていうのも入ってるんですけど

あの面白いのが

その界隈ではコロナ禍に入っての

コロナデビューっていう感じの読み方をするらしいんですけど

そういうコロナ禍に入ってから

女性風俗に乗り出した人たちを

そういう風な言い方をしたりするらしいんですけど

例えば自分がその性愛の経験とか

そういうものなか愛されてないとか

そういうものっていうのがあって

女性があるときはそのことに気づいて、

それではもうとてもじゃないけど

尊厳が得られないってことを

ものすごく自覚をしてるんですよね

でそれが結局あの死生っていうか、人が生きるって

上での根幹に関わる問題で

さっきはそのことについて

あの巻末の対談で

宮台先生とのものが

新書に乗るんですけど

それも収録さっき終わったところで

だからやっぱりどうしても

この話から始めないといけないなっていうのがあって

それだけじゃなくてやっぱり関わってるってことですよね

だから死生って言うと

みんなその死の部分ばかりクローズアップしたがるんですけど

でも全然そうじゃなくて

やっぱり死っていうのは

結局、生の一断面にすぎなくって

でそこに、ある種のその人の例えば尊厳とか関係性ってのが

まあ浮かび上がるっていう面があるだけであって

あの本質はそこでは全くないと思うんですよね

でその2・3日前に吉祥寺のアップリンクの方で

あの、愛について語るときに「池田のかたる事」っていう

ドキュメンタリーなんですけど

結構男性客とかも多くて

あのおそらくは

たぶん先入観で、イケてない男の話なんじゃないだろうか

と思って見に来た人が結構いたんじゃないかなと思うんです

けど、実はあの映画を見ると

全然そうではなくて

確かにあれはあのいわゆる小人症っていう形で障害を持っていて

四十歳になった時にスキルス性胃がんでステージ4

の診断を受けてしまって

それ以降に2年かけてハメ撮りをしたりとかするんですけど

その風俗嬢を相手にですね

ただあのそうすると

何かすごくそういうものにうえていた人

なのかなと思うんですが

そうではなくって

あの例えばそのキャバ嬢と一緒に

その同棲をしていたりとか

そういうエピソードとかが出てくるんですよね

その彼が余命の診断受けた後も

その元カノが会いに来るんですよね

毎日のように

それよりもさらにやっぱり見終わった後に気になるのが

マノさんという撮影をしたその方とプロデューサー兼ねてるんですけど

その人とものすごく友情関係なんですよね

だから池田さんて

見終わった後に思うのが彼はすごく色んな関係性に

恵まれていて愛されてたってことがすごくわかる映画で

だから逆に観終わった後に

こういう関係性って自分ってあるんだろうかってことを

逆にこう思わされるというか

そういう深みのある作品だと思うんですけど

どうでしょうか


■宮台さん

ちょっと段階的にいくとね。

コロナの問題っていうと

昨年2月のジョルジョアガンベンのだした

剥き出しの生と意味ある生

僕の言葉だと尊厳ある生の間の区別の問題がありますよね

で彼が言ったのは二つあって

一つはね

人間は生きてりゃいいもんじゃないと。

尊厳ある生を送るべきなんだと。

だから安心安全ということでね

lockdownしかも

科学的に根拠が曖昧なロックダウンされて

それに唯々諾々と従うのは馬鹿げていると。

ちょっと補って言うとね

尊厳ある生にとってはねセックスとかパーティーとか

あるいは飲み明かすとかっていうのが不可欠でね

そしてそうしたものを断念してまで、

生つまりライフ、リビングにしがみつくって

生き方は人間としてどうなんだということ言ったんですね

その延長線上で

あの悼まれ、弔われえるということがね

あの人間の生にとって不可欠のことでね

それもねコロナの感染が怖いから

ということで弔いさえない

彼が言ったのは事実上ですね

みんなそこまで感情的に劣化したのかよっていうですね

そういう告発なんですね

で、5月っていうと

まあまだロックダウン的なるものの

渋谷でスペイン料理屋の2階を借り切って

ゼミのパーティーをやったりとか

この間もめちゃくちゃ大パーティーをやったりしたんですけど

で学生達には、もちろん来なくてもいいよ

来たら共犯だからなっていうことと

もう一つは、これでね

大学の規則を破ってるということで

処罰されるのだったら俺はソクラテスになる

つまり善を行うことで法に触れるのだったら

喜んで処罰されようって言うねこれはゴルギアスのセリフ

であると同時にけソクラテスの死を描いたプラトンのね

言行録にも書いてあるけれども。

そういう問題なんだという風に僕は思ってるんですね

その女性風俗問題。これね

女風の問題は僕は最近直面しているある変化とよく似ていて

昨日もあの九州で比較的性愛にディープに触れるセッションをやったわけだけれど

そこでねあの僕、ずっと九州大学で

過去四年ぐらい行ってきていてかなり大きな変化が生じた。

昨年コロナでさすがにそのセッションはなかったんですけど

僕の性愛のワークショップメーター、セッションて

まず人々の願望水準が低すぎるよという話から入るわけ。

特に女性たちにとってはね

ちょっと一瞬ハードルが高く聞こえるかもしんないけど

生ってあの性交を通じて失神するし

号泣するし落涙にするし

最低でも時間的統覚が崩れたね

本当は3時間経ってるのにまだ1時間経っていない

とかって思うのが女性のすべてに存在するトランスの資質なんですね

でこれは90年代前半に

大嶋清と代々木忠がコンビを組んで実証したことだってことだよね

それをまずずっと言っていて

それにアクセスするにはどうしたらいいのかってこと

言っていたんですけどね

あの一つ大きな障害があって、そんなあの性愛の享楽なんて

本当に存在すると思えないっていうのが、2年ぐらい前までの

大半の女の人たちの構えだったんですよね

もう一つ、もっと先に進んでいる

そういう性愛の享楽があるのだとしても

「私は知りたくないと。知ると暗くなっちゃうから。

 性愛はそんなもんだって宮台さん批判するけど

 そんなもんだと思ってないとやってらんないでしょ」っね

そういう感覚だよね

でも昨日は全く違ってたね

どういうことかって言うと

そうゆう性愛の享楽があるっていうのは

私は信じると。

なので、どうしたらいいのか

もっと具体的に、もっと具体的に教えてくれと。

これがメインになってるんですね

でなんでこうなったのか

僕の推測は比較的単純なもので

それ真鍋さんがおっしゃったコロナ。

コロナによる孤独で、切羽詰まったと言ってもいいし

あるいはなりふり構ってられなくなったっていう感覚だと思うよね

つまりあの本当にあの孤独に苛まれたっていうことです

孤独って、実はごまかせる感覚なんですよね

人間にとって寂しいという感覚は

すごく自尊心を傷つけるので

ふたつの仕方でそれを加工するんですよね

一つは私は寂しいのではない。

周りが敵が満ち満ちている敵を持った人間達だらけなので

あえて人間関係を結ばない。結ぶとひどいことになるから。

これは性的退逆が始まった25年ぐらい前から

特に女たちの多くが持っている

「ろくな奴がいない」

「性愛にかかわったらろくなことがない」

「だから私は性愛的に寂しいのではなくてあえて

 自己防衛してるのである」って言うね

そういう理屈ですよね

もう一つは

寂しさを退屈っていう風に加工するんですよ

で退屈ってのはしよって

退屈は対処可能なんですよ

でも寂しさって対処可能なんですよね

いっときのパーティーはできる

いっときのセックスが出来る

でも寂しさって

それで消えることはないん

ですねだから

それを退屈だっていう風に加工しておくと

対処できるように思えるので

そういう風に加工するんですよね

ということで

実は今まで加工加工加工っていうことで

寂しさをごまかしてきたのか

コロナのおかげで

本当にコロナのおかげで

本当に私は寂しいんだということに

男女ともに直面するようになった

これがすごく大きいことです

これは明らかにコロナの福音と言える

もちろん悪いこといっぱいあった

明らかに福音があったので福音を増幅するべき

そういう時期にあると思うんだよね

だからコロナを機に女性用風俗がここまで盛り上がってきたし

僕がやっているセッションでも

とりわけ女たちの構えがね

非常に変わったっていうことですよね

もちろんここに死の問題も絡んでいてね

だってコロナ禍ですよ

これからねどうなるか分からない

でも女性用風俗って粘膜的な密着もあるし

アガンベンの言う言葉で言えば

むき出しの生にこだわって言えば

今この時期にセックスするのって話だけど

今はもうそういう問題じゃねえよ

もしかしてコロナで死んでも

セックスで享楽を得たいなと

これは自然な感覚でね

1992年にバクシーシ山下が障害者を描いたAVでね

一度はセックスしてみたかったってのがあるんだけれども

女性用風俗の問題ってまさにそうだよね

一度はセックスしてみたかった

単なるセックスっていうことではなくてね

性交の享楽を得てみたかった

いよいよ92年のこのタイトルが女の人たちの

メインモチーフになりつつあるのは

非常に良いことだと思いますね


■真鍋さん

女性用風俗に乗り出すその女性たちの動機って

すごくあのさっき楽屋で話した時は

背に腹は代えられない問題って言ったんですけど

もうすごく切実でガチなんですよね

その気持ちっていうのは。

さっきその死の話が出たんですけど

要するに

このまんま自分は人生終わってしまうのかなっていうのを

ものすごく切実にリアルに感じ取って

それに必要なものは

何なのかっていうことですよね

だからそこにその自分の尊厳に関わる

性愛の問題っていうのが

やっぱり不可欠なものとして

入ってくるっていうのがあって

宮台先生がおっしゃられたように

退屈で紛らわすで

被害妄想の話がさきほどありましたけど

それは結構、最近の性の人権化ですよね

そこの問題とかなり密接に関わってますよね


■宮台さん

そうですね。そこを補足すると

まず答えから言うと

性の人権化って性のクソ化なんですね

それは何故かって言うと

人権というのは主体を前提とした

営みなんですよね

性が能動と受動の関係として捉えられていなければ

人権って概念は出てこないんですね

ところが性・性愛・性交っていうのは

もともと社会の外にある

社会の時空とは別の時空を構成するもので

社会が。。まあ僕のよく言うね、言葉と法と損得勘定によって

あの枠付けられた世界であるとすると

性愛は社会の外であり、従って言外・法外・損得外で

シンクロするものなんですね

これ哲学の言葉を使うと

社会は能動と受動から成り立っているんです

それに対して

性愛は中道から成り立ってるんですね

社会は主体によって成り立ってるんです

それに対して性愛は脱主体、主体ではないものによって

成り立ってるんですね

僕の映画批評の言葉で言えば

性愛というのは同じ世界に入ること

同じフローに乗ること

同じゾーンを共有すること

一つのアメーバになるということ

つまり脱主体化して

選択するしないって言うね

あるいは何かをするされる

っていう関係性の外に

出ることなんですよね

そんなのは撲あるいはある程度の年長世代にとっては

自明のことだったと思います

少なくともそれを自明だと思う奴は

僕の世代には山のようにいると思うけれど

今の若い人たちいないよね

二つ理由があって

まずこの25年間の性教育が日本会議的なものによって

汚染されてきて不安教育になっているっていうことで

性感染症の不安と妊娠の不と将来を棒に振る不安ってものを

教える。この10年ぐらいで人権を侵害される

不安を教えるようになってるんですね

これ日本会議とまた別の流れだ

僕の言う日本会議はウヨブタ系だとすると

人権化ってのはクソフェミ系なんですよね

そういう意味で

右も左も寄ってたかってですね

性を干上がった状態にしつつあるところで

コロナのおかげで

ある種のバックラッシュが生じたのは良いこと。

これをとにかくチャンスとして活かしていく必要があるんだけれども

今の問題のスキームわかりました?

まず何でここまで性愛干上がっているのか

女性達は25歳から35歳までで、4割半ばが処女なんだよね

そんなバカなことだって

言うのかもしれないけど

男の童貞率はもっと上ですからね

なんでこんなことになってんの?

これで少子化対策とか

へそで茶を沸かすじゃないですか。

何言ってんだってことですよね

そういう本質的な問題??人口学的な問題に拘る。

右的にいうと、日本民族の持続可能性に関わる大問題なんだよ(笑)

それはそういうことで起こっているということだよね

さらにさかのぼると

なぜそうなったのかってのが80年代の新住民化っていう問題でね

以前できた遊びができなくなったんだよ

外遊び、焚き火を囲むとあるいは秘密基地を作るとか

ブランコの立ち乗りジャンプ。

この話をしてたら小学校の先生達から

「宮台さん ブランコの立ち乗りはいけないんですよ」

は?

いずれにしても

とにかく同じ世界に入るってことができなかった

特に大事なのはね、そん家で食べる、よその子の家で食べる

或いは夜遅くまで日が暮れても遊んでね

家の人がお姉ちゃんがお兄ちゃんが呼びに来てね

三々五々、人が抜けていって

じゃあ開きねって言ってバイバイするっていうね

このね夜遅くなっても

ほとんど真っ暗な中でドッジボールをしたり

ゴムとびするって、男女混ざって。結構凄い体験だったよね

でまさに同じ世界に入る体験で

それが子供の頃にあれば僕の性愛ワークショップでいえばね

あの毛t局子供の頃ってのは

大人よりも自由なんですよ

きまりに縛られてないから

いろんなものを大人たちが昔は見逃してくれたから

焚き火だって条例違反だったんですよ

見逃してくれてそれで自由だったのに

大人になるにつれてだんだんだんだん

法に損得に言葉に縛られるようになって

だんだんできなくなっていくって

いう流れがあったんだけど

残念ながら80年代後半以降小学生だった子供たちって

まず子供の頃の自由をほとんど知らないんだよね

そうするとその10年後

彼ら二十歳ぐらいになるんだけど

残念だけど性愛が目指すべき同じ世界

同じゾーン、1つのアメーバっていうそのイメージのそもそものクオリア

体験質がないんだよね

だからそれが欠けているということが欠如間に繋がらなくて

そんなもんだっていう風に思うっていう

完全な劣化状態に入ったっていうことだよね

んでそこにちょうど

先ほど申し上げたウヨブタ系の不安教育との性教育が重なり

十数年後からあのクソフェミ系の人権教育が重なって

なんかその状態がデフォルトにされつつあるっていうのはね

あの時代時代の展開になったんです

だからねジョルジョ・アガンベンの意味ある性、尊厳ある性

その中核にはパーティーとか飲み明かしとか

セックスとかある訳だけど

そんなことに意味はね。多分若い人には伝わらないと思う

僕らは「ジョルジョ・アガンベンやっと言ってくれたぜ」っていう風に思う

だけど若い人は「そうは言っても命でしょう」ってなる

何も伝わってないわけ。それが今の状況だよね。


■真鍋さん

難しいですよね

さっき宮台さんがワークショップをやってて

どんどんハードルを下げていかないといけない問題っていうのが出てきて

まず同じ世界に入るってどういうことなのか

みたいな話をされてたじゃないですか

面白いエピソードがあって

あの例えば輪になって星座の観察でしたっけ

あれをさせるとか

あと焚き火を囲むだけでも全然違うって話がたくさんされてて。


■宮台さん

昔はね。いきなり性愛でトランスするためにどうすればいいか

まず性愛のトランスとはこういうものでっていう話をしていたんだけど

それってめちゃハードルが上がって

特に多くの女子はそれって本当はないんじゃない

みたいな宮台の妄想なんじゃないのみたいなは

実証的なデータは色々あるけど

いや、そんなの知らねーしみたいな

そういう感じだったんですよ

実際問題としてね。

ハードルが高いからしょうがないんで

今はハードルを下げた

それは合理的なことだと思う

まずね、同じ世界に入るってことがそもそもが分かってない奴が

トランスもクソもないですよ

なので同じ世界に入るってことがどういうことなのか

例えばさー昔のゼミの議論とか

あるいは哲学的な思想的な議論って徹夜でやったじゃん

これ途中から完全なトランス状態に入るんですよね

でこれはもう著しい享楽の状態だけれど

これはね理論で決着をつけるとかってね

ディスカッションディベートとは全然違った次元の体験なんですけど

今そういうことって若い人知らないじゃん

コロナ以前から22日で正門は閉鎖ですみたいになってて

僕は大学で完全無視してますけれども

無視できない大学もあったりするんでしょうね

きっとね

僕の場合、また宮台かみたいな感じで

守衛さんも諦めてくれてるんですけど

そうなんですよコロナ禍でもね

あの一貫して22時半まで、場合によっては23時近くまでゼミやってましたけど

でも守衛さんに仲良くして

ずっとやってるんで今そろそろやめると

今の学生にとって不利益変更になるんで

とかなんとか言ってね

まあいいやいずれにしてもですね

ゼミのディスカッションっていったって

以前とは全く違う。その時点から始まらないとダメなんですね

だからなんでこんな5時間のセミをぶっ続けでやるのか

別の授業では13時間授業ってやたりするけど

それは伝えたいってこともあるけど

トランスに入れたいんですよ

トランスに入った状態っていうのを経験してもらいたくて

やってるんですねで

トランスになった状態つまり同じ世界に入った状態

トランスってのは

異次元への移行のことが入ってるんだけど

この次元とその異次元って次元が違うから比較できないじゃん

この次元での楽しみとかっていうのは

僕に言わせると快楽で比較できるんですよね

でもそれが異次元の享楽、異次元だから比較できないんですよ

なのでこの夜を徹して議論したり

踊り明かしたり飲み明かしたりするトランスって

それよりもカレーライス食べてるほうがいいんだけど

みたいなことにはならないんですよ

比較不可能なんですよね

その比較不可能なトランスって、まず

性と全然違うところで経験してもらうということ

特に焚き火は大事だよね

実は180年前から我々が猿人から原人になったんですね

ホモ・エレクトスになったんですけど

その頃から火を使うようになって

火を使うようになってから

我々は火を囲むとフレンドリーになるように進化生物学的にプログラミングされた

正確に言うとそのプログラムを持っていないと残念だけど

生き延びられないっていう風になったということですよね

なので焚き火を囲むと引きこもりの子でも

引っ込み思案の子でも全く誰一人の例外なく自分をオープンにし始めるんですよね

喋れるようになったり人の話を聞くようになったりするんですよね

だからこれももともとは

僕の場合はあの性愛的な享楽が意味する

同じ世界に連れて行くっていう

もともとはそこから出発したんだけど

確かに真鍋さんがおっしゃるように

ハードルを下げてまず同じ世界でアメーバになるっていう感覚を

実際体験してもらうということですよね

まあそっから始めるということです

そっから始めたことでやっと宮台がいう性愛のトランスっていうのも

おそらく実際に存在するんだなという風に

今の若い人、女の人たちがやっとなってきた

それとは別にSNSがあるのであの女性風俗界隈とか

あるいはトー横界隈とかも含めてだけれども

そんなことまでやってる人がいるのか

そこまでやる人いるのね

同じような女なのにという風にして

SNSによるハンドルの低下っていうのも

相まってね

で先ほど申し上げたように

今回のコロナ禍を境にして性愛的なものを、あるいは

性愛的な享楽を自分のものにしよう現実化しにしようっていう動き

あるいはもっと広く言うとね

トランスってどういうことなんだろうっていう動きまで

女性風俗もSM系も含めてトランスなんだよね

要するに真っ白になることとか

自意識が消えること

そのためにむしろ普段できないことこそ

ハードルが普段だったら

高いことをこそあえてやる

そういう方向に来ているんだなって事だよとに

いろんな世界はシンクロしているんですね


■真鍋さん

女風の場合だとすごくそのまあ

最終的なそのゴールみたいなものは

例えばその女性が

自分のその好きな男性とか、そっちの性愛にいくっていうのは

すごくハードルが高いわけじゃないですか

そこで宮台さんが先ほどおっしゃられたように

そこに女風というステップがさし挟まれることによって

例えばそこでトランスの感覚をもう一度再体験してこういうものだったんだ

みたいな感覚を得たりとか

あとはそうまあその恋愛でやってると

その感覚的なものを取り戻すリハビリ的なもんですよね

それによってようやくその現実のパートナーとか誰かを見つけるとか

そういう関係性を得るっていうような形のものがあって

当然そこに行かない人達も

あのいて、沼るって言うらしいんですけど

そこでの沼っちゃって

そこでずっとお金落とし続けちゃってって

ただ面白いのが

あの沼らせないようにしようっていう

その女風の横のつながりとかがあったりとかして

これはすごい話なんですけどだ

そのやっぱり横のつながりって言うのそこで必要になってきますよね

そのあの同じ問題意識を持ってて

自分たちがまあそのどういう状態に置かれてるか

ある種その自分がその弱者であったりとか

何かこう弱い存在であるってことを自覚した上で横の繋がりがないと

自分っていうのは前に進めない

何かその自分が抱えてる問題とか

不安とかをちゃんと共有して

しかも後押ししてくれるような。


■宮台さん

我々は火を囲むとフレンドリーになるように

真鍋さんがおっしゃったように

性愛の肝は同性の連帯なんですよ

男がね性愛的な真実に近づけて行けた、かつて行けたとすると

それは若衆宿、あるいは体育会系的人間関係があったからだね

僕なんかもそれで最初に抜いたのも男の手によってだし

最初にキスされたのが男によってだし

セックスも実地で教わったみたいなことがあるんですけれど

あの別に僕の世代では珍しくない

よくあることだっただなんて僕はそこまで言わないけど

別に珍しくない。

しかし女たちも実は全く同じで

例えば僕が援交取材を始めた93年から96年の夏休みまでは援交する子達って

完全に横に連帯していて

かっこいい子達が多かったけれど

いろん知恵、あるいはこれはやめておけ

みたいな危ないものについての情報などをシェアしていた

ところがこれも96年からね

男の場合体育会系的なものがなくなっていくってのはもう96年代の頭ぐらいからですけど

女も90年代半ばを過ぎると性愛に関する連帯ってのはなくなるんですよね

でそれどころか96年を境にイタイって言葉が出てくるんですよ

性愛にはまっているのは過剰

うんちく競争してるオタクは過剰

ましてや政治なんかの事喋ってるやつは過剰

なので

過剰さを避けるってことになるわけですよね

だからそれ今でもそうでしょ

性愛と政治と趣味についての話は

裏垢である仕事になっていて

高校生は平均5個の裏垢を持つっていう状態になっていますよね

でこの過剰を避けるとか痛いのを避けるの

反対がKY空気を読んでキャラを演じる

でその結果、性愛友愛ともに、ありそうも、なくなったんですね

だって腹はらずキャラ演じてるだけだし

それが当たり前になると

それ以外のコミュニケーションを知らない次の世代ってのが出てきて

今に至るわけですよね

そういうこともあって男は2005年ぐらいに

飲み会で下ネタをしなくなり。

5年遅れで2010年頃からビッチっていう

言葉の誕生とともに

女たちが飲み会で下ネタをしなくなる

という流れですよね

そこで重要なのは

横の連帯をどうやって取り戻すのかっていうことで

そこでね僕調布、女性向け風俗すごくいいなって

思う点がいくつかあってねで

まずユーザー同士の情報のやり取りっていうことで

事実上な連帯ができていってるって事だよね

あと少しあの話題を進めるとね

統計的には恋愛稼働率って

男は女の半分、男一人で二人の女を相手にしてるんです

20代も30代も40代もそうなんですね

本人たちがそれをどう自覚しているか

ちょっと横に置きますけれども

事実上男日照り状態ってのが続いていて

したがってこれは日本だけじゃなくて

世界的に広がってる現象なのでね

一部ではまともな男は希少材なので

これを一人の女が独占するのは反公共的だって

議論もポリアモリスト界隈から出てきているという

そんな状況なんですね

っていうふうにまずずいぶん前から、10年近く前からしゃべってきましたが

いよいよこの認識が割と

日本の女たちにも共有されるようになったよね

僕がよくいう方程式

声がかけられることがある女が

まともな男に出会う可能性って200人に1人なんですよ

200人に声かけられてやっと1人いるんですね

200人付き合うとですね

大変ですよ一人一年経つと200年だし

1人3ヶ月でもですね50年かかるね

識別基準としてね

まず昔の男とのセックスの話を言って、架空でもいいんだけど

動転したり怒ったりする男をきる

これで9割切れるんですよね

次に書き髪型とか化粧とかアクセサリーに文句をつけてくるやつを切る

それでまた3人のうち2人は切れますよね

で更にマザコンぎりをするんですよね

どうも母親を基準としてるらしいとか

母親の役割をさせようとしてるらしいとか

こういうのをきると

5人のうち4人ぐらい切れて

あっという間に1/200

更に言うとですね

一個だけの基準というのがあって

これは嘘でいいんだけど

「ごめんしんちゃん

 昨日別のところと寝ちゃったんだ」って

 言ってみるんですよね

激昂する男は即切り

で、激昂しない男って滅多にいないけど

まともな男は僕もそうだけど絶対にこういうふうに聞く。


その浮気のセックスが幸せだったのかどうか

その幸せを僕が与えられないのかどうか

僕が与えられないとすれば

どこに理由があるのか


それを聞いてみて

俺には幸せは与えられないいと思ったら

諦めるんですよ


それが男の生きる道

ということをずっといってきましたが

問題はその男の希少性って

かなり現実的なことになってる

なので実は女風のセラピストって言われている人達って

やっぱ希少ないろんな人たちがいます。玉石混交だと思うけど

評判の良いセラピスト達は明らかに

その200人に1人だったりするわけ

同じ世界に入れて。女性をトランスに導けて。嫌な思いをしないで。

充実した気持ちで返すことができる

これは単なる性愛の技術ではないでしょ

でも希少だけどこの人はセラピストっていうプロだから

複数の女、毎日5人なら5人を相手にするのは当たり前だよねって

いう風にして女の人が自分を納得させられるってことがあるよね

女風っていうのは

そういう意味で、お金は使ってるけど重要な役割として

男の希少性を乗り越えるための言い訳付きの手段になってるわけだよね。

プロだから複数相手するの当たり前だよね

あともう

SM系という風に特殊なプレイを売り物にする

セラピストもいるっていう風に菅野さんを書いてらっしゃる。

僕の理解だとこれはプレイだ

プレイができる人は

やっぱ希少だと、プレイなんだから

そのプレイが必要な人が複数、そこに群がっていくのは当たり前だよね

自分はその一人だってのは当たり前だよねっていう風に

プレイってことを口実にして

One of Them問題っていうのを

大多数の一人だよっていう問題を

言い訳して受けられるわけだよね

そういう意味でいうと女風は

男向け風俗とはちょっと違った

今申し上げている文脈の上にあるんだということを

特にウヨ豚やクソフェミは理解しないだろうけど

ま、感情的に劣化しきってるんだね

一般の人達はご理解をした方がいいと思うんですね


■真鍋さん

ポリアモリー(※)の文脈で考えると

(※関係者全員の合意を得たうえで、複数の人と恋愛関係を結ぶ恋愛スタイル)

サービス業化されたポリアモリー的なところがありますよね

だからまあそれをそれに絡め取られず

それにからみとられず、それをいかにうまくご利用していくか

っていう感じですかね

結構そのセラピストの腕にも色々レベルにもよって

玉石混交の面があるんですけど

本当にすごいセラピストっていうのは、宮台先生が書いているとおり

中道の状態に持っていける術って言うのを。。

中にはちゃんと言語化できる人もいるんですけど

言語化できなくても感覚的に積み重ねて掴んでいるので

ぱっとその女性をトランスに入れることができてしまう

で、さきほど楽屋でしゃべったのが、

その美容師の人が結構多い。それは接客であったりとか

そういう経験を経て蓄積して、ある種の対人スキルですけど

そういうのを習得しているって面が大きくって

確か昔、北岡泰典っていうNLP(神経言語プログラミング)を日本で

紹介した人がいるんですけどね


■宮台さん

NLP:ニューロリングスティックプログラミングですね



■真鍋さん

その人が言っていたのが面白くって

売れっ子の美容師っていうのはお客さんは必ずトランスに入れることが出来るって

言い方をしていて、実際本当にそうで

だから彼らはNLPなんて全然知らないのに同じことをやってるという

言い方をしていて、簡単に言えば、相手に簡単に言語っていうものを

介さずに同調できるってなんですね

すぐに同調して、スイッチを入れることができる

だからさっきもそういう話してたんですけど

だから文に起こすと支離滅裂な会話をしてるんですけど

ちゃんとあの相手を気持ちいい状態に持ってってるって

事なんですよね

だからやっぱりそういう背景っていうのも

すごく観察するべき点ですよ


■宮台さん

そうですね

あのー言葉についてね

その今の話をパラフレーズして言うとね

あの社会の言葉と社会の外の言葉ってのがあってね

あの社会の言葉っていうのは

他人に何かを伝えるための言葉で言葉にリテラルに意味があるんですよ

でも社会の外の言葉っていうのは

同じ世界に入るための言葉なんですね

その言葉は兆候、ある種のニューロリングスティックプログラミングでいえば

トリガーなんですね

アンカリングされた様々なですね

可能性を引き出すために使う刺激に過ぎないんですね

社会の言葉が意味を伝えることに焦点があるとすると

社会の外の言葉は同じ世界に入ることに焦点があるんですね

ちなみに社会の言葉は散文言語 

同じ世界に入る言葉は詩的言語

これはあの

ロマン・ヤコブソンの言葉なんですけれども

昔から知られている言葉の二つの用法なんですね

言葉はいい加減でいいってことじゃない

社会は意味が伝わるように厳密に言葉を使う

社会の外では同じ世界に入れるように工夫して言葉を使うんですよ

だから散文言語の視座から見ると

ナンパ師や美容師のことは支離滅裂じゃんってなるわけ

それは意味を追うからだよね

そうじゃなくて

同じ世界に入ることを目標としているから

それでもいいんですよ

実際にはすごく慎重に言葉は使われていてね

引力か斥力かどっちが相手に効いているんだろうって

ことを考えながら言葉を使うっていうことですよね

そこではもちろん慎重さが必要なんだけど

もう一度言うと社会の言葉と社会の外の言葉は機能が違う

そこにはよく理解する必要がありますよね


■真鍋さん

そうですね

だからも美容師と話ししててすごく注意深く観察すると

面白いのは話してて気持ちよくなる感じの人って

話は飛ぶんですけど、相手が多分いくつか質問するんですよ

二つか三つぐらい日常的なことですけど

相手の反応を見てるんですよ

で、この言葉とかこの風景とかこの趣味の話とかに

この人はすごい食いついてくるなって言うのに抜いてそこを攻めていく

ところがあって、凄く観察力があるんですよね

感覚的にそれがわかるんでしょうね


■宮台さん

それはディベートの訓練とかディスカッションの訓練とかしても

絶対に高まらない能力だてことだね

僕が昔ナンパ師やってて、ナンパカメラマンの知り合いがいっぱいいた頃

そういうドキュメンタリーも作った頃、94年ぐらいだと思うけど

ナンパ師やカメラマンの最も優秀な層って

やっぱし美容師によって占められてるんですよ

それはいろいろなところで喋ってきたように当然のことなんですよね

彼らは同じ世界に入るために言葉を使う訓練をしてきていて

それが売上につながるからね

そういう意味では、当たり前のことが起こっているだけなんだけれど

残念だけど、ディスカッションの教育しましょう、

ディベートの教育しましょうとか言っている頓馬な教員がいっぱいいて

その下で言葉の二つの用法のうちの一個が忘れられていて

ますます童貞と処女が増えちゃうんだけど

それでいいの?っていうね。

やたらにディベートがが強い男女が残り

でも性は苦手なんです。

やばくね?これ。


■真鍋さん

これって何でしょうね

なんか訓練しかどうにかなるもんなんですか?


■宮台さん

なると信じたいですよね

ならないと思っていたら

いろいろなワークショップをするはずがないんです

なると思ってるんだけど、

僕のやり方は

できるだけハードルを下げて入り口から入りやすくして

入り口から入ってしばらくするとその延長線上で

確かにあれもあるかもしれない

これもあるかもしれないって

非現実的だった事がね

現実的に感じられるようになるという風に

今、目標を立てています

ただし、真鍋さんがおっしゃったことに正直に答えると

あの男の多くには残念だけど可能性はないです

それは育ちが悪いからなんですね

「育ちが悪い」という意味は、昔と違っているという意味で使ってますよ

育ちが悪いっていうのは要するに勝ち組になれば

何でも手に入るというタイプの教育ですよね

これはジェンダーロール上の差別と結びついていて

良い悪いかは別としてね

女は勉強して勝ち組になれば幸せになれるっていう風には

社会化されない。そういう風には社会によって洗脳はされないんですよ

勉強できて乳首舐めだけではダメで

家族持たなきゃ、場合によっては子供も育てなきゃ

っていうふうに、

親からって訳じゃないですよ

先生からじゃないですよ

全体として社会から洗脳されるようになっていて

それが長く続いてきたが故に

女たちは勉強だけ出来てもダメだっていう意識をもっていて

しかしそれがまたね、あの女によくあるダメ意識と結びついていてね

これはあのトー横界隈とかを観察すると

よくわかる問題だけれども

男は単にね、勝ち組になれるなれないみたいな物差しで

何ができるできないっいったような物差しで

自分を位置づけて、勝ち組だ負け組だっていう風になるんだけれど

女の場合には

もっと複雑ないろんなパラメータの組み合わせで

昔、親にこう言われたとか

友達が自分に対してこういう陰口を叩いていたとか

ってね、そういうことの蓄積が絡み合いの中で

ダメ意識を刻印されている

が、しかし、ものさしが単純ではないので

フックがいっぱいあるという風に、僕からは見える。

実際ワークショップの効果は女の方が圧倒的に上がるということですね。


■真鍋さん

そうすると男はひたすら救いが無い感じなんですけど



■宮台さん

それはある意味本当にそうなので

なんでそんな男が育ったのかってことに

焦点を合わせなきゃいけないなと思って

「親業ワークショップ」の方に6,7年前からシフトして

その一つの成果、うんこのおじさんっていう本なんですけどね

とにかく同じ世界に入る経験を男の子にさせようという事が一つポイントで

あの本ではね、あのセミの羽化をみんなで見るっていうのを

実践の例としてあげてますよね

セミの幼虫ってセミがたくさん泣いてるところ、クヌギがあるところに

夜8時以降に行くと、ぞろぞろぞろぞろ歩いていて

皆気がつかないで踏んづけているんですけど

これがどんどん捕まえて袋に入れたりして家に持ち帰って

カーテンにパンパンパンパンパンと置く。10匹とかね。

そうすると下の方に置くとだんだん登っていって

だいたい夜の12時までに羽化が始まって

だいたい羽化は2時間ぐらいで外に出るのが終わって

そこから羽を乾かすのにまた2,3時間くらいかかる感じなんだけど

そこまでは面倒見れないけどね

羽化で、もうほとんど出終わるまでということだったら

子供たちを集めて観察できるわけです

あまりにも美しくて神秘的なものなので

子供はそれ見てて変性意識状態に入るですよ

男女にかかわらずね

みんなで見て近所の子たち集めてね

みんなで見て変性意識状態に入ると

これが実は同じ世界に入ることなんですよね

そういう感覚を男の子にまず取り戻す必要がある

女の子はね、パジャマパーティーみたいな文化って古今東西ずっとあってね

ペチャペチャたわいもないお話をすることで同じ世界に入るということが

男の子よりもありやすい。

最近は怪しくなってるんだけどね。

そういうこともあって、男の子のリテラシーというか

感情の能力を上げる

と言っても抽象的なので

まず同じ世界に入った体験というのをクオリアとして記憶の中に

刻んでいくことをやっていくんだ

それがうんこのおじさんの本に書かれているワークショップの目標なんですね

そういう手順を踏んで育っていくと

男の子は比較的ちゃんと性愛の能力を持つようになるのではないか

という風に思っているんですね

じゃあそのそういう体験なくて大学生になっちゃった奴どうするの?

っていつも聞かれて問題なんだけれど

それはね男も女も

共通で同じ世界で入ったことがないっていうやつももちろん口で

そういう人たちがたくさんいます

その場合には、僕は記憶をねリマインディングっていうか辿ってもらうんですね

それはちょっとアドラー心理学と似た実践だけど

一番幸せだった記憶思い出してくださいって言う

これももちろんアンビエントな音楽をかけて

寝そべってもらって、せせらぎの音とかね、聞かせて

小川のほとりに、陽だまりの公園で寝そべっていました

子供たちの声が聞こえてきましたというところから始めて

基本的に自然な状況を作りながら

一番幸せだった頃の記憶っていうのを思い出してもらう

僕の本で書いた言い方だと

それ必ず人間関係の記憶なんです。100%。

しかもその人間関係の記憶は必ず同じ世界に入っている

同じ世界に入っていたという記憶なんですよね

それを思い出す

で、それを現実化するっていうことが性愛の実りなんだよってことだよね

そうすると僕がよく言う

性交自体を目標にしてはダメで、子供時代に

確かに体感していたあの同じ世界に入った幸せを実現するっていうことが

目標で、性交は目標じゃないということですよね

そうしたコミュニケーションを通じて伝えることができますよね

男の子も女の子も確かそういう記憶がある

ちょっと前まではね

スポーツや武術の記憶っていうふうにいってました

それはゼミの実践から言うと

能動・受動の枠組みの中にいたら

スポーツも武術も絶対に勝てませんから

全てのスポーツや武術は中動態つまり主体がない状態での自動性

オートマティズム、オートメーションというのを必要としているのでね

実は音楽も、楽器のプレイも同じなんですね

オーケストレーションも同じ。

そういう経験がある人は明らかに短期間で変わるんですよ

短期間でね

もうすぐにいるだけでオーラが全然変わっちゃうことが起こる

特に男の子については起こるんですね

でもこれだと僕はスポーツも武術も楽器もやったことありませんって子が出てくるじゃん

さて、ここでもハードルを下げなければいけない

ということで

アドラー心理学的なリマインディング、一番幸せだった頃を思い出そう

それを本当に映画を見ているように、音も気温も声も場合によっては触覚

そうしたものも含めて全部もありありとマインディングする

そうすると同じ世界に入ったクオリアっていうのを必ず思い出せるんですね

どんなに不幸な家庭環境で育った子でも

僕の経験から言うと

必ず一番幸せだった時ってのがあってそれは必ず誰かと同じ世界に

入ってる時なんですね

これだったらもうこれ以上間口が広がらないというぐらいまで

間口は広くなるでしょ。

っていうふうにしてやってますね


■真鍋さん

そこのスタート地点に立った時にさきほどおしゃれてましたけど

男子の場合はその達成課題化しちゃう問題が出てくるっておっしゃてて

それがすごく難しいっておっしゃってたんですけど


■宮台さん

とても難しい問題なんですね

例えばあの風俗の子達が、客がね

性交中に目を見なくなったよねっていうふうに言うようになった。

これは決定的にまずいことでね

あの目を見ないと、自分の殻の外に出るって事はできません

あともう一つ

性交中に手を握るってこともすごい重要で

男から女に対する

君のことを考えている

君は感じるように自分は感じている

つまりある種の女の子へのなりきりのサインになるんですね

目も手もそうです

これを言うと男たちの多くは

ここで宮台が言うことを思い出して目を見て手を握るんだな~

ってなるんですよ

つまり達成課題化しちゃうっていう問題が起こるんですね

これは結構、簡単ではない問題なんです

でもねそれはね仕方ないので

最初はそれで始まるっていうことでいいけど

次からは自然にそうなる

何故かって言うと

そのようにしてみた時に、入れる状態があまりにも享楽に満ちている

女の子も全然ただ住まいが変わるとか

それにアフォードとされてコールされて自動的に

レスポンスする状態になれよと。なれるから。ね

そういう言い方をせざるを得ないですよね

男は女の人とは違って中動態になりにくいです

まず変性意識に入りにくいです。男は。

中動態になりにくい。いつもシラフであり続け

いつもその能動受動の、つまり俺は達成しただろうか

だいたいね、ラブホに入る前に男は達成課題から決めてるわけですよ

今日は軽いSMプレイということで

ちょっと縛りだな、ロープを出すとびっくりするから

バスロープの紐を使えば。。大体そんなつまんないことを考えてるってかね

実は僕も昔そうだったのでよく分かります(笑)

毎回毎回がプレイの達成課題に満ちてて、こないだここまでいったから

今日は少なくともここまではいかなければいけないみたいなね

でも実際ワークショップ的な経験でいうと

男のほとんどがそれなんですよね

これもま僕は色々艱難辛苦を乗り越えてそっから離脱したわけですけど

いろいろひどいことがいっぱいあって。

でもそれを知った以上はね

男の子に伝えなきゃいけないなと思ってます

でそれはね、男ってバカなので

本当に男は馬鹿なんですよ

自分で気づくことはほとんどないです

言われなきゃ無理です

だから言います

本当は複数プレイとか現場でお前そうじゃねえだろうとか言ってあげたいけど

今そういう時代じゃないからね

なかなかできませんが

ということで

男の子は言ってもらわないと無理です

だから僕はよく言うのはね

女の人がダメ出しをするってことが実はすごく今大事なんです

ところが最近なればなるほど

女の人の多くは男の子が喜ぶから男の子がやろうと言ったことをやる

だからなんとかプレーかっていうのは

例えば複数プレイとか、SMプレイをやった経験のある女の子

露出プレイとか含めて、昔に比べると圧倒的に増えてます

圧倒的に増えてるんだけど

やりたいからやってる子っていうのは

ほとんどいないんですよ

男の子が喜ぶから男の子が言うとおりやったげているというケースが

ほとんどだって断言していいですね

これはまずい状況で、そうじゃなくて

女のコは自分をモニターして相手の振る舞いも観察して

そうじゃないそれじゃ気持ちよくない

こういうふううにしてほしい

目も見て欲しいんだっていう風に

ちゃんと言わなきゃダメなんですよ

で、男のコに手を握ってとかっていうよりも

手を握るんですよ

男の子にいろんな体勢や、いろんな体の動きを

女の子が自分の体を使って誘導するんです

それならできるでしょ?みなさんね。

男がやるがままにまさに受動的に構えてるのでは全くダメなんですよ

男はバカなので、永久に同じことを続けるか

新しいAV見て何か新しい仕込みをして

っていう風になるので、そこはね男の自動的な学習機能ってのは

全く期待しないでください


■真鍋さん

さっきお話しされてた

ビビらせるセリフで孤独死するぞ

っていうのがありましたけど

それもその損得を越えるための損得って言い方されてましたけど

だからそういうのもまあ必要だっていうことなんですよね


■宮台さん

何事も釣りってのが必要で

釣りってのはこのルアー扱ったら、歩留まりこのぐらいとかっていうふうにね

そういう風に考えるしかなくてね

実はワークショップもそういうふうにしてやるしかないところがあるんですよ

特に男って頓馬なので、損得を超えるためにも損得の餌を使うしかっていうね。

あの一般的な法則があると思って頂きたいんですね

直接的な話だけど過去10年プラスアルファ僕の周りでは

元ナンパ師の仲間だった人たちが本当にどんどん孤独使用しているんですね

その人達をみなさんもしやなんかで見たりすることがあれば

こんなにモテててこんなにイケてるのに

なんで孤独死してるのっていうに思うはずなんですね

でもそれ単純で絆を作れないから

そいつのために何とか何かしてあげようっていう女が

あるいは、女どころか男を含めていないからでしょ

これ面白いと思わない?

絆を作れないやつがナンパ師をしてたんですよ

それも腕利きのナンパになったっていうわけでしょ

これがナンパ師の正体なんですよ

だからそれから離脱をさせてあげるって事が非常に大事だから

初期の愛のキャラバンっていう本に繋がるような

ワークショップをやったわけでしょ

つまりあの受講者たちの大半はくそナンパ講座を受講してきた人たちだね

女にいかにイエスと言わせるか

懺悔した女をいかに短期間でして、即ヤリって当日だけど

いかに高速でsexに持ち込むのか

場合によっては

その催眠っていうね、やり方を使うことも含めて

教えている講座がね、あるわけだよ、あったわけです

これがそのいわゆるナンパ師って言われるもののほとんどのあり方です

この人たちは

そういうやり方をしているから

歩留まり的な人間観しかないんだよね

このやり方だと4割このやり方だと3割とかっていう風にして

やり方を磨いていくっていうことだよね

でもそれだったらね

この会場に女の人にいるけど、伝わるでしょ?

この女に男にとって女は要するに釣り堀の魚と同じで

このやり方で何割だっていう感じ方をしているなっていう風に思うわけだよね

例えば僕の経験から言うと、あのナンパ師がね

正直であれば自分が孤独であることがわかるわけ。

例えば僕は腕利きのナンパ師でしたよ

でも、いいですか?

女の人は自分をどう見てるともう?

他の女に対しても同じようになってるんだろうなって100%思うんだよ

だったらそんな男とセックスはするかもしれないけど全て委ねたりすると思いますか?

ありえないじゃん

絶対にありえないんですよ。これは。

なので歩留まり的な関わり方をしている限りは全くダメなんですね

でもまあこのこういう事って言葉で伝わるでしょう?男の人にもね

そういうことを言葉では伝えなければだめなんですね

じゃあ歩留まり的ではない入れ替え不可能な

かけがえのない存在として相手を見るって

どういうことなのってことが必ず問われるわけですよね

それで僕はもうだいぶ前からですけど10数年前からで見る

ヨーロッパの社交術を見習えってことを言ってたわけです。

社交術っていうのはTPOに応じて

ちゃんとした身なりで臨むっていうことですよね

社交術の本質はドレスコードが絶対ではないって

ことにあるんですよ

だからもう90

年代後半からスティーブジョブズってのは

全てのフォーマルなパーティーにTシャツかタートルネックと

ジーパンで現れるってことで知られてたよね

ドレスコード完全に破ってるわけです

でもオッケーなんですよ

なんでかって言うと社交術の目的は

自分がひとかどの人間であることを理解してもらうことなんですね

だから凡庸な人間はTPOに応じた

ドレスコードを知っているって言うことで

自分がひとかどの人間であるということを示そうとするんです

でもそれは平凡なやつだからなんだよね

非凡なやつはドレスコードやぶっていいんです

破ったやつが現れるとこいつなんかその代わり埋め合わせになんかすごいことするんです

で、スティーブジョブズと接触した人間は思うわけです

「ああ彼ならドレスコード破るだけの資格はあるな」と。

つまりこれが社交術と本質なんですね

さて社交術の機能に注目しよう

社交術を身につけた男や女はね

相手がYESというかNOと言うか、つまり首を縦に振るか横に振るか

ってことには頓着しないんですよ

何にこだわるかって言うと

あの自分がひとかどの人間だっていうことが伝わったかどうかだけに頓着する

これはひとかどの人間で現にあればほぼ伝わるんです

でもそっから先、相手がイエスと言うかどうかっていうのは

相手の事情じゃん。

彼氏彼女がいて塞がってますってことかもしれない

顔が濃いの無理なんですけどみたいな

声が高いのは無理なんですけどみたいなね

そういうのもあるかもしれない

相手の事情なんでさ

ひとかどの人間だっていうことが伝わればあとはどうでもいい

っていう風に考えるのが社交術なんですね

で社交術の一つのポイント。

アート映画や音楽についての話題なんです

それは一つの映画を見た時にどこまで感情的な理解を示しているのか

ということがその人がひとかどの人間で

あるかどうかを示すんですね

だからG7でヨーロッパの首脳はオフの時に

映画や音楽の話をするわけですね

これに耐えられたのは小泉純一郎ただ一人

全てのそういうオフのコミュニケーションでは

日本の首脳はいつも最低ランクだね

ひとかどの人間じゃないからだよ

クズなんです

だから僕は性愛系の本でね

モテない奴は政治家やんなよって書いてるわけだけです

その意味はナンパ師的なモテのこと言ってるんじゃなくって

社交術を前提とした理屈を言ってるんですよね。

ってことで結論的なことだけれど

えーあのまずまともな人間になるって事が大事なんです

右か左かじゃなくて、マトモかクズかってずっと言ってるじゃないですか

で、社交術の基本は本当にまともになることなんです

僕、今から15年前に母が癌で死んだんですね

末期になって、モルヒネ治療が始まって

ホスピスって言われる終末期医療の段階に入ったんですね

その時に病院を探してホスピス病棟に入れる

僕が最初に連れてホスピス病棟は、

「痛くないですか?大丈夫ですか?」とかって言っているだけど

それが何て言うんだろう、自動機械のように不特定多数に言う言い方

母を見ていない感じに感じるわけ。

それですごい不愉快になって、一生懸命探して倍ぐらいの値段はしたけれども

ココなら大丈夫だなっていうところ、人のつてを頼ってね見つけて探しました

セリフは同じなんです。「痛くないですか?大丈夫ですか?」なんだけど

お医者さんも看護師の方も、ホントに、母に向かって喋ってるように感じるわけ。

どこが違うのかなって思って。

結論。それはやっぱり本当に母に語ってるからなんだよ

つまりね、さっきのまともな人間だと思ってもらう

ひとかどの人間だと思ってもらうためには

まともな人間になれということと同じことでね

その人としてのその人に語りかけていると思ってもらうためには

その人としてのその人に語りかけるってことだよ

で実はその人としてのその人に語りかけるっていうことと

まともな人間であることがほとんど

イコールでしょ?

それを僕はよくオーネスティって言ってるよね

これは1950年代にアメリカでテレビがね普及した時に

テレビで最初にスターになったシンガーが来て

それフランクシナトラって言うんですよ

フランクシナトラはなぜ人気になったのかっていうと

当時の批評家たちがねオーネスティがあるからって言ったんです

そのオーネスティの意味は、普通の人はね

視聴、者一般に向かって歌ってるんですよ

でもフランクシナトラはそうじゃなくて一人一人に向かってるので

ブラウン管の向こうがで見ている視聴者はね

自分に向かって歌ってくれてる自分に向かって

語って語りかけてくれるって言う風に感じるわけです

だから実はこれがね

スピーチの基本でね

例えばあのコロナでねヨーロッパやニュージーランド

その他の政治家さん達ってやっぱりね

あの理屈だけでは納得できない別の理屈を持った49%の少数者に対して

オーネスティ、私はあなた達とは違った理屈で多数派の意見を持っているが

私は本気であなたがたのためを思ってこの理屈でこの政策をするのが良いと思ってる

なので異論あるかもしれないが、短期間でいいから

この私の言う通りにしてほしい

それはあなたにそのようにしてもらうことが

絶対にあなたのためになると私本当に思ってるからやってるんですっていう風に

オーネスティベースでしゃべるんです

これが一番よくできるのがメルケル。元ドイツのあの女性首相だったでしょ。

日本の安倍・菅を見てみてくださいよ

プロンプターと原稿の棒読み。ページがひっついてたら

ひっついてました

とか言ってページを飛ばすっていう、その頓馬ぶり。

オーネスティのかけらもないというか、ただの頓馬でしょこれ?

そんなやつを首相にしてる国で

まともな女に対する誘いアプローチができる男が育つと思いますか?

無理でしょ。はっきりいって

こんな奴はクズだろうっていうにして

周りの政治家や有権者が引きずり下ろすってことがなければ

その国の男たちはまともな性愛の能力・キャパシティを持つには至らない。

あとねその冒頭に言ようと思って忘れちゃったんだけど

最近の僕が関わるイベントって

最近この半年突然低年齢化が進んだんですね

例えばおとといのマル激イベントも

高校生の男の子女の子が多数参加していて

本当に制服を着てる子達がいたんですよね

これね、2年前ぶりに行ったんですけど

2年前では全く考えられない事態ですよね

昨日の九州大学のイベントでもそうで、若い人たちが

海外からズームもやってたんだけど

海外から含めて多数参加してくれていて

冒頭にね、学さんがおっしゃった、若い人たちに明らかに

「気づき」「アウェアネス」がやっぱ広がってるって言う事を表してると思いますね

ずっと同じことを言ってきてるって

今頃かよって気持ちがないわけではないが

ではっきりいって嬉しいですよね

やっとかっていう感じです

それがコロナってことがあったから

別に僕のプレゼンテーションがどうのこうのじゃなくて

コロナで人々がちょっと意識の構造が変わったんだと思うんですけど

だからこの機を逃すと

たぶんちょっと同じようなチャンスはねなかなか訪れないだろうな

という気がしてるんですね


■真鍋さん

気づきを得た人と

気づきとは逆方向になった人と

すごく極端に二分してる印象があるので

自分の周りを見てても。

気づきと逆方向に行っちゃった人達っていうのは

最近のその自己啓発本ブームに表されてるんですけど

不安を感じたり孤独を感じたりする自分がおかしい、で、極論を言えば

脳をいじればいいっていう話になるわけですよね

で、それをだから自分でそのカウンセリング的な事をやったりとか

自律訓練法みたいなやつをやったりとか色々あるんですけど

昔のそういうやり方をもう焼き直ししまくって

とりあえず不安を消せばいいと、孤独を感じる精神状態をなくせばいいと

多分このままいくと進化心理学とか

そういう方向の考え方まで行って

要するに人が不安をその孤独になった時

不安を感じるって言うのはゲノム的には

昔はそりゃ家族とか共同体の中でいないと死んでしまうから

ゲノムにはそういうふうに組み込まれてるだけであって

今は別にそんな状態ないしコンビニもあるんだから

別にあのそんな仲間ハズエされてて死なないじゃんって話で

じゃあやっぱり脳がおかしいんだっていう話で

脳のその不安になるその回路を断てばいい、で、薬物とかでコントロールしたりとか

あとは自分のそのなんかマインドセットを変えるみたいな、最近流行ってますけどね

そして後、人間関係を適当にやりゃいいみたいな

たぶんそういう方向に行く人たちと気づきを得てこっち側に行く人たちと

もうスパって分かれて感じですよね


■宮台さん

それはね僕は言われる知能とは違う地頭の問題だと思うんですね

快楽を脳内物質のホルモンバランスの問題だと考える奴は

電極やホルモンでハッピーになっちゃえばいいじゃん

メタバース問題と同じで、生きづらいんだったら

メタバースで生きやすくなればっていうね。

新反動主義者的な発想に向かいやすいでしょ

でも人間は記憶する動物だよね

なので遺伝子ベースのことはちょっと横に置くとして。

僕はほんとは遺伝子ベースはあると思うんです。色んな所に。

でもちょっとそれは横に置くとして

あの僕はいろんな認識に、気づきに至ったの

簡単に言うと僕ってほんとクズだったんです。昔は。

で、色々あって成長したんですけど

これ色々あって成長したってことがないと多分

今の僕の享楽の感覚ってないと思うんですよ

こんな酷い事があって

あんな悲しいこと

苦しいこと寂しいことを

全部記憶の中にあるんで

全ての失敗を記憶されてるし

だからある時期から得られなかったものが

得られるようになった

ということがかけがえがないと思えるわけでしょ

あるいは昔は本当にあのアッパー系で

もっと刺激をもっと刺激をもっと派手なプレイはねぇのかみたいな感じだったけど

日常のどこにでもあるような場面が

これがかけがえのない奇跡だなっていうふうに感じるように変わった

でもこれも昔のアッパーな、アッパーって刺激系の薬物のことですけど

アッパーな刺激を求めてその結果結局この程度の事しか得られなかったっていうね

記憶があって初めて意味を持ってるんですよね

記憶と無関連で脳内のホルモンバランスでハピネスが手に入る

っていう発想は基本的に人間に対する洞察がダメすぎると思いますね

こういうのってのは一部は地頭問題でかなり感情的な資質に関わる問題であると思いますが

文学や映画を自分の経験がなかったとしてもれだけ代理体験はしてる

自分ごと化してそれを見てきたかってこととも関わりますよね

日本のアニメはその点すごい高度なのでね

コンテンツにはまりすぎると勉強がおろそかになるとうちの娘たち見てると

やばいなと思うこともあるけど

でもコンテンツ見てる暇があったら勉強しなさいとちょっと話しにくいんですよね

僕もコンテンツで随分育てられてきたってこともある

ちょっと要点だけ言うとネガティブな記憶があって

究極のポジティブな体験があるんだと思います

そのことは強調しすぎてしすぎることはないと思う

それはね

例えば女風でそれまで自分が不可能だと思っていた

ポイントに乗り出すことができるようになったでしょ

その人たちの享楽って、いかばかりかって思います

その意味でも女風は性の商品化ですよ

クソフェミの言うところのね

でも、こんなに素晴らしいことはないでしょう

ただいろんな後遺症・副作用があり得てってことも言わなければいけなくてね

僕の経験から言うと、男も女もね

ある時点まで性愛なら性愛にアクセスできなかった

自分に縁遠いと思ってた

30にして初めて女風で性愛に乗り出した

男だったらなんか風俗で童貞をプロ相手に失うことができたって言うと

弾けるんだよね

弾けてどうなるかっていうと

10年分の遅れを取り返すぞーみたいに急になっちゃうワケ

これはよくあることだけど非常にまずい道なんですね

僕は幸い結構低年齢で性体験をしました、18歳でしたけど

僕はよく仲間とはこれ開成高校問題って言っててね

麻布のやつって結構、初体験早いんですよ

僕らがいたころってね

授業中に同じ教室で女の子が授業を受けたりしてたからね

あっ男子校です(笑)麻布はね。

開成とかラザールって本当に真面目な学校で

そういうことありえないんだけど

僕が大学生の頃のサークルのガン、女なはらましたりする奴って

ほとんど開成トラサーで

僕は当時、それを知ってたからね

男子私立校ワーストランキングをつくったら

1位ラサール、2位開成でしたね(笑)

そこがポイントではなくて(笑)

基本、我慢我慢我慢を重ねてきた奴ってのは

はじけた瞬間に間違った方向に行きやすい

ということを言いたいんですよね

だからそこはうまく誰かが

気持ちは分かるけどそれはまずい方向だよって

ガイドしてあげないとだめなんですよね

突然僕のセミにもかつていたんですよ

昔僕のゼミにはね、風俗担当をいて、

あのね男の子って童貞だから凶暴だみたいやつがいて

その人間達って童貞を捨てることができると

突然柔和ないい感じのやつになるんですよ

それでねあの昔AVに男優さんとして送り込んだりとか

本当にねさなぎが蝶になったようにというか、生まれ変わるんですよ

ですが。

昔僕のゼミで一件、失敗があった

そいつははじけたんですね

はじけて、くそ界隈で劣化していくってことが起こったので

経験はすごい大事だね

いろんなものに副作用があり得るってことは大事なことですよね



■真鍋さん

先ほどいわれていた実存問題ですよね


■宮台さん

まあ中村淳彦さん問題しゃべりますか

パパ活界隈

中村さんによると

男は単に女を買いたいんじゃなくて

恋愛したいんだっていう説です

僕はちょっと違うなと思うわけです

まああの僕は女を通じて取材をすることが多いから

そのバイアスがあるかもしれないけれどって

ちょっと断っておいて話すと

しかし僕は自分が正しいと思う

あのね

上野さんとのトークでしゃべったように

今のパパ活界隈で活躍してる50代って

80年代後半には20代で

当時、女が性的なアクティブだったってこともあって

ちょっと金があって

おしゃれな車に乗ってておしゃれなスポット

知ってるとヤリまくれたんですよ

当時僕は学生で起業しててその界隈をよく知ってる

この連中は恐ろしいことに自分はモテるって思ったまま

50代、60代後半を迎えてるんだよね

なので、女はさ、

「金を払ってくれてるから恋愛ごっこをしてあげてる」

男は

 「お前さ、俺のこと好きなんだろう。だったらその態度はなんだよ」

女は

「は?お前なんか金は払わないんだったら誰も相手にしてんだよ馬鹿」

っていうそういう問題が実は噴出しているのでございます


こえ残念なことだよね

でね、あのーこれって時代的なものなので

80年代のバブルに金でモテまくった男っていう世代がなくなっていくと

そこの部分が間違いなく緩和されていくとは思いますが

そこから教訓とするべきことは多数ある

昔からね花魁(おいらん)とか

あるいは大雄とか、やっぱりセックスを売ってたわけじゃなくて、

ある種、疑似恋愛を売ってたんですよ

でも当時の男は金があるから、それができる、金があるからそうしてくれている

って言うのは当たり前のことだよね

でもそれが当たり前である上で、ひとかどの人間だっていうことが

お互いに分かれば例えば文学者と太夫とか、政治家と太夫といったカップリング

ま、結婚がね普通に珍しくなくあったっていうことなんですよね

江戸時代と比べてもね、今の男も女もそうなんだけど

どれだけ劣化してるんだよって問題がありますよね

あともう一つこれはね

あのトー界隈でも色々あるね

デリヘルがあって

彼女代行があって

メイド喫茶があって

全部合わせるとかつての援交とは比べ物にならない参加者です

女たちの参加者。

ただ昔ある時期この援交っていうと売春でしたけど

今いった界隈ってデリヘルはもちろんSEXが伴うことが大半ですけど

けれども他はあの例えばコンカフェだったらやらないって前提

彼女代行だったらもうちょっと微妙でやらないっていう前提だけど

場合によってはやるかもしれないみたいな関係ってことで

女のキャパシティによって、界隈を選べて

サブ界隈を選べてしかもあの状況と次第では、なんていうか

軌道を変えてもいいかなみたいな

そういうそんな風になってるから参加者がこれだけ多いということになってるんだけど

あの最近よく例に出す漫画で

すごくよく出来た漫画で

「明日私は誰かの彼女」

女性の漫画家で、自分の体験に基づいて書かれているんだけれどね

ご本人が体験してるのは整形の界隈なんだけれど

取材取材取材に基づいて

本人だけじゃなくて編集者の方々もね

よくできてると思いますね

僕があの自分の取材で聞く話とほとんど同じ事が書かれてる

今実存って話をされたので

これからの話をちょっと今思い出したわけだけれど

自意識の障害ってすごく大きいんですよ

やっぱりね

大半の女の子が本当はガチ恋系なんですよ

リアルで恋愛をしたい人が大半で

それは男の界隈とは違っていて

男の界隈はねガチ恋というよりも恋愛が欲しいんだっつったってね

所詮好きだって言ってもらいたい

好きだって言ってくれた女の子を所有したい

というだけなんですよ

これをね

「僕は恋愛が欲しいんです」って

おまえがが欲しいのは好いてくれた女を所有したいだけだろ

クズってことなんですね

で女の子達はそれに比べると

明らかにガチ恋系。

だったら本当にガチ恋できる相手を吟味して

本当に好きになれる男がいたら今までの全てをやめて。

とかって僕も当初は思ったんですが

漫画にも描かれてるし実際に女たちからも聞くんだけど

偏差値とかね、関係なくて、やっぱり自分はダメだって

意識を持ってる女の人が、ダメ意識を持つ女の子が大半なんですよね

それは小さい時から成績悪くてボロクソ言われたとかいじめられてきたとか

色んな理由がある

本当にあの女の子のダメ意識ってのはきっかけが多様で

一概には言えないなと思うけど

ダメ意識を持っている

そうするとねあのちょっと男の人にはわからないかもしれないけど

そのダメな私を君のことが好きだ

命がけで愛しているって言われた時に

こんな私を愛するっておかしい

多分これは演技なんじゃないか

で、次にどうも本気だし

この男頭おかしいんじゃないか

ってなるんですよ

これは実は僕に刺さるですね

僕がそうだったからです

僕はナンパしてた時に、そもそもダメ面識の埋め合わせってところがあって

あとナンパで結局僕、人を愛する力がなくなっていく

愛するしかないんじゃないかってことで

それもすごい強いダメ意識につながっていて

ある時期からナンパはしてるんだけど

それは地獄だなっていうに感じるようになっていたんですね

そのナンパの時期の一番最後、それやめるきっかけにもなることだけど

ある東大生の、デートクラブで働いて、しかしキャリア官僚になったって女の子

から紅白されて、

「君、将来あるだろ?俺、ホントにクズだよ、

 だって今俺がやってることはこういうこと、こういうこと、こういうこと

 こんな男を好きになるって気が狂ってるぜ

 ありえないから」って言ったら

 その子、一週間後に自殺したんです

これ僕の本当に大きな転機で。

その転機がないと今の僕は絶対にないんです

でもそれを思い出すと僕って自分に愛する力がないんじゃないか

誰かを愛したいってすげー強く思ってて、僕をすごく愛してくれる

女を、だったら愛してるんじゃないかとかって思っててね

自分本当に愛してくれる女を探していたんですけど

それが現れた時に僕の反応はバカみたいな反応だったわけ

やめておけよ こんなクズはていうね。

それを心底おもってた。

きれいごとをいうとその女の子の幸せを願ってたってことになるんだけど

それだとちょっとニュアンスが違ってて

俺なんかには無理でしょって感じですね

この女の子相手にするなんて俺なんかに無理でしょ

そういう感じ

いまそういうのね

全国的に自意識の問題が性愛の障害になってるんだよっていうことも

女の人には伝えたいんですよね

自意識って檻です

それって誰かに指摘されないと

わからないと思うんですね

僕はそういう外から大ショックがない限り分からなかったことですけど。


■真鍋さん

ある種のアクシデント的な出来事がないと難しいってことですから

そこから抜け出すそうですね


■宮台さん

だから今の若い人って

本当には統計的に見てもすごく尊厳値つまり自分に価値がある存在だて

割合がめちゃめちゃ低いんですよ

大体アメリカその他の国の1/10しかいないんですね

これがすごく性愛の障害になっていると思っていて

自分は愛するに値しないじゃないか

愛されるに値しないんじゃないかっていう意識があって

だから本当の自分がバレると離れちゃうんじゃないかっていうことで

愛されるとかえって自分をブロックするということが

現に起こってますよね

だから自知識ってほんと厄介で

なんでそんな低い自意識になったのかって言うと

日本の教育制度が親が教員がとかっていうんですけど

まぁ それはいいとして

実践的にはねそんな教育のこととか言ったって

皆さんには意味がないから今更ね

その自意識の問題を誰かに助けてもらいながら乗り越えるしかないんですよね

何をするとNG何をするとgoodだ

みたいな事って言葉で刷り込まれていろんなものに

ラベルが貼られているっていう事があるんですよね

これつまり社会からの洗脳でそういう風になってんだけど

特に親による洗脳が大きいのでそんなことをする私はダメな私だっていう風に

ただでさえ低い尊厳値をますます避けちゃうんじゃないかって

ビビるって事で性愛に乗り出せないとかってあるんですよね

ってか普通にみなさん思い当たると思うけれども

これは精神分析的な精神療法で

どうしてそういうふうに思うようになったのかっていうのをね

記憶の奥底まで辿って行ってトラウマチックな体験に辿り着いて

そのラベルおかしいから張り替えよ、どうしてそういうラベルを受け入れたのかも

分かってるよね、これも張り替えよ、あれも張り替えよって。

そうするとね

これ結局ほとんどは親に張られたものなので

お父さんのこと大好きお母さんのこと大好きっていう記憶と

バッティングしちゃうんだよね

なのでこのラベルを剥がすのはすごい大変だからラポールが必要って言われてるわけ

本当に私のこと愛してくれてそういう風に言ってくれてるんだから

この人の言うとおりこの人のことを信頼してラベルを張り替えようと思わないと

苦しいのは乗り越えられないんですよね

だからフロイトはラポール=父親のような愛って言ってるんだけど

彼らの実践見てみて。

フロイトもラカンも大事な患者は愛人にしてるでしょ

ラポールっていうのは

今で言えばコンプライアンス問題で

本当は恋愛なんですよガチ恋なんですよ実はね

で、これだけの恋愛の深さだから信頼できる

だから私はラベルを張り替えるってやっとそこから本気になるよね

だから今の若い人にとっては

ちょっと随分先の話かもしれないけれど

相手の心に張られている言葉のラベルを

愛の力で張り替えてあげることもね

ちょっと頭に置いておくといいと思う

相手がある反応した時にね「このやろう」ってんじゃなくて

あ、この子の心の動きの傾きを見ると多分こういうラベルが貼られているだろうな

っていうふうに想像できれば寛容になれるでしょう

子供のせいじゃないんです

その後で張り替えのプロセスって待ってると思うんですね

そんな感じでしょうかね


■真鍋さん

では質疑にしましょう。


-------------質疑はココから-------------


■質問者

自分の近くにいる子が

ちょっと自殺企図で

死のうとしちゃったんですね

その親とうまくいってないとか

色々あるんで

明らかに最後のラベルとかっていうのが

貼られてるのは分かるんですけど

近づくと

その恋愛感情みたいなのに

発展するのがすごいわかるっていうのがあって

じゃあどうすればいいんだろってのが

すごいモヤモヤしてるのがあるんですけど

その自分の子だったらこう

ハグしてあげるとかできるんですけど

よそ様の子とか私が何ができるんだろうと。


■回答:宮台さん

ワークショップをやればね

僕はいわゆるさっきのセラピストに見える

でいろんなプレイをやってきた奴に見える

女の人にとっては

普通だったらその男に複数の相手がいるっていうことは

抵抗になるし

世間体にも自意識も下がるけど

っていうことで

えー僕だったら助けてくれる

助けてくださいっていう、あからさまな態度を示す子達っていうのが

めちゃくちゃ増えてはいるんですよね

でもあの他の男の子とline交換しますけど

女の子とは基本lineは交換しないので

ねそれはね

僕がいわゆる術師だったらいいんですけど

妻いるし子供もいるし準公務員でもあるので

今んところできそうもないんですね

だからその場合は同じ世界に入るとこういう感じだよ

そういう世界に入れる相手を探そうね

探し方はこういう風にするといいよ

こういう基準で即切りしていくってやり方、云々かんぬん

という風に伝えるところまでで止めるしかないんですよ

だからそれはご自身のご事情皆さんのご事情次第でどこまでデキるかって

ことは変わるけれど、必ず引き受けた以上は責任が生じるということですよね

法的な責任じゃないですよ倫理的な責任だよね

それは意識する必要はありますよね

しょうがないです

できることとできないことがあで

できないことについては伝えられるなら伝えた方がいい、こういう理由です

これ以上はできないよって




■質問者

今日は楽しいお話ありがとうございました

私はさきほど宮台先生が言われたバブル世代

ちょうどドンピシャなんだけども

当時お金もなかったのでやりまくれていなかったんですけども

ほぼ私の感覚としては同世代とかは政治には興味はなかったんですけども

セックスにはほぼみんな興味を持っていたような世代だと思うんですね

でその私は20代の子供が二人いるんですけども

自分の子供に対してその性に抑圧的っていうか

まぁ遊びまくれて育て方をしたつもりなんですけども

それでもそうはなっていないです

それはその若い世代の子達が

私たちのようないい加減な大人を見て

これじゃダメだと思ってそうなっていったのか

またそれとは違う理由だって違うなのか


■回答:宮台さん

違い理由だと思います。

まず不安教育があるでしょ

親がそもそも身体性あるいは共同身体性のクオリア・体験質がないので

それを子供に伝えようと思っていない。

なので、子供達は性の享楽どなどというものを想像することすら

できない状態に置かれた。

その親も実は80年代の新住民化の被害者である

という意味では歴史は根が深いのでね

誰かが悪くてそうなったっていうことではない

それます確実なことです

正しいことのためには、愛のためには法を破るんだよって

僕も言ってきましたが

僕がそう言うたびに、また昭和が始まったぜと娘たちは言います

でね僕はそれでいいと思ってます

というのは子供の成長プロセスを見ていると

その僕に虫取り教わってこととか

一緒に立ち入り禁止のマンションの屋上まで登ったこととか

絶対にクロリアとして残ってると思うからですよね

なのでちょっとお子さんがね

二十歳以上になってたりすると

今から何かするのは難しいですが

これからお子さんを育てる方々っていうことを前提にして言うと

小さい時に同じ世界を生きる体験ってのを与えておけば

そっから先はもちろん時代は変化していくから

 「パパが若い時にはできたことは今までやっちゃいけないことになってんだから」

 「やっちゃいけないことをやるのは同じ世界に入るんだよ」

 「そんなことしたら生きていけないんで私達は」って、

長女に言われました。最近ね(笑)

そういうことでいいんだと思います




■質問者

親に関する話なんですけど

トランスお話ししてたじゃないですか

さっき話してたトランスの話だと

同世代とか同級生とかと一緒にいわゆる異次元の空間に一緒に入る

っていう話をしてたんですけど

親と子供がトランスする状態にするためには

どうすればいいのかってのと

子と親でトランスが必要なのか

そんな状況を作ってみたい


■回答:宮台さん

簡単じゃん さっき焚火の話をしたじゃん

虫取りとか、場合によっては

虫取りと焚火を兼ねたキャンプとか

あるいはスキューバダイビング

めんどくさいけど

シュノーケリングのことですね

いっしょに沖縄の海にいって熱帯魚の海を一緒に見るとか

あるいは

花火大事だと思っててね

花火の戦争ごっこも大事です

あと線香花火。

今の子達ってみんな一人一人線香花火持ってるからダメで

あれは囲んでやるんです。必ず。

囲んでやって誰のが長持ちするか

競争とかってやるわけよね

いくらでも同じ世界を生きるって工夫は

親子の間でできるでしょ。

セミの幼虫を観察するのもそうだけど

いくらでもできます

それは子どもの記憶に必ず刻まれるんです

なんだけど僕にも刻まれたから


■質問者

やっぱりと花火とかいったんですけど

夜って関係しますか?


■回答:宮台さん

関係します

火を囲むことに意味があるのはさ

我々にとって夜が怖かったからでしょ


■質問者

ひとかどの人物っていうの聞いた時に

ちょっとやばい人なんですか

過剰な人のことを指すのかなって思って

宮台先生がこの人はひとかどだぜっ

ても人ってちょっと過剰だったりしますか?


■回答:宮台さん

間違いないね

そうだね

過剰をどういう意味で受け取らrてるか心配だから

あの超越って言葉を使うとするとね

損得勘定で色々断ってることについて

そんなことはどうでもいいだろ

そうじゃなくて

もっと大事なことがある

それはどんな事?って聞かれて

普通の人にはなかなか理解できないような

ここではないどこかの話をする

それを宗教学では内在と超絶っていう風に言うんですけどね

その意味で超越

まーわかりやすい言い方をするとね

人々が普通毎日幸せに生きればいう普通の人が言う

毎日幸せって言うだけは絶対に幸せになれない

俺にはもっと何か違うものが必要なんだよねみたいなやつですよね

それ過剰とおっしゃった

今の話でいうと超越です

マックスウェーバーのいう超越。

知識人っていうのは超越を思考する存在で

パラフレ-ズすると、毎日が幸せであるだけでは幸せになれない存在、知識人ってね

そういうことじゃないぞと。

みんながほどよいことで幸せになれる。だけど俺はなれない。

っていう人がいると。謎になるじゃない

僕にとってはそういう人がロールモデルになってモデリングしました。



-------------質疑はココまで-------------


■宮台さん

次回は映画の話、メタバースの話をしましょう。

メタバースとユニバースという問題の中では

死ってどういう位置づけになるのかってのは大事な問題

実はSEXもそう。メタバースでSEXってありえるのか。

SEXのとらえ方によって答えが変わるんですけど。

メタバースの周辺にはうようよいろんな問題があるんで。


今日はありがとうございました。










閲覧数:1,657回

Comments


bottom of page