~宮台真司さんのアーカイブから学ぶ~
2010年現場からの医療改革推進協議会講演記録
■社会運動とその特徴
・実は日本の医療だけではなく、教育その他様々な行政領域で、ほとんどデタラメなことが
起こっている
・その背後に実は行政の問題というよりも我々社会の問題がある。日本の社会の異常性。
例えば、自殺率に見られる異常さ、超高齢者所在不明問題、 乳幼児虐待放置問題など
・日本社会はもうデタラメな社会になっている。
・今どういう図式が存在するのかというと、共同体が自立しているのか依存しているのかということ
・80年代に先進各国では、『新しい社会運動』と呼ぶものが生じた
北イタリアではスローフード。オンタリオ州からはメディアリテラ シー運動
さらに、そのアメリカではアンチ巨大マーケット、アンチウォルマート運動
・実は日本では、ほとんど新しい社会運動がいまだに起こったことがない
新しい社会運動の特徴は、生産点から消費点へというように運動場所が変わったということ。
換言すると階級闘争(※)的な運動から、環境運動、フェミニズム、反核、消費者運動へシフトすると
いうこの流れのこと
※階級と階級とのあいだで発生する社会的格差を克服するために行われる闘争
・しかし日本では生活クラブ生協、あるいはそれをベースにした生活者ネットワークのようなものが
細々とあるだけで、実は生産点よりも消費点における人々の利害に注目した政治運動
というのは日本でまだ起こったことがない
■日本では地方都市におけり鉄道城下町現象の弊害
・日本の社会が再生する可能性はないと考える
・80年代以降、生産点での権益政治をずっと継続してきている
これは我々社会生活を送る人間たちの民度の問題
我々は特に男は、企業共同体を居場所と勘違いして、90年代に入って不況が深刻化して弾きだされて
からこんなはずじゃなかったって嘆いているがこれでは当たり前である
あるいは地域でも、あるいは消費点における相互扶助よりも、中央からの公共事業を頼るという
つまり消費点の人間さえ生産に包括するというデタラメな趣向に陥っていた
・その消費点での勘違いを象徴するのがバイパス開発。
72年、田中角栄の内閣で、日本列島改造ということで、モータリゼーションを口実にして、ものすご
い開発が行われる
その結果、日本では地方都市はすべて例外なく鉄道城下町。
旧住民たちのネットワークのある場所から、新住民のネットワークというかネットワークない。
パチンコ屋と街金と靴流通センター。そういう感じになるわけで、メチャクチャ
・こういう開発を許容する先進国というのは同時代には全くなかった
・当然のことながら各地で旧住民と新住民の対立が起こり、それが実はイジメ 問題の背景にもあ
・売買春の背景にもある。マンション建設反対運動などの背景にもある。
・皆が個別の問題にだけ注目して、こうした流れを全然分かってな い
■経済回って社会回らず
・80年代の勘違いの結果何が起こったのかというと、要するに最終的には、経済回って社会まわらず
我々は共同体の空洞化を市場や国家が回ってるからいいじゃないかということで放置してきた
確かに経済成長がうまくいっていた。それを背景にして、全国総合開発的な再配分がうまくいってい
た時代がある。その時に我々は共同体の穴を忘却してしまった
・当然、経済はグローバル化すれば不安定になる
案の定97年の決算期にトンデモないことが起こっす。山一、拓銀が倒産
98年3月から自殺率が急上昇して、それまで2万4千人台だったものが、コンスタントに3万1千人
台になる
・何かがあって会社を辞めざるを得なくなり、会社を辞めて収入が入らなくなると
家族が離散し、離散した後は、孤独死か自殺への道を歩むというのが基本的な流れ。
・90年代に入って深刻化するのはグローバル化が背景。
グローバル化というのは、資本移動の自由化のことで、1971年から順次起こったブレトンウッズ体
制(※)の終焉。金本位制をやめる、変動相場制を導入するという流れ。
※:連合国44カ国による通貨、金融に関する国際会議。ドルを基軸通貨とする固定相場制という国際
金融体制
・その結果、何が起こったのかというと、国内政策がすべて資本係数、つまり単位あたりの生産量
を上げるのに必要な投資、これに換算されるようになった
・たとえば税制で累進性を上げる、法人税率を上げる、そうすると投資コストが上がる
同じように雇用を規制する、解雇を規制するとか非正規雇用を規制するとか
今度は雇用リスクが上がって当然投資リスクも上がる投資効率は落ちる。
そうすると企業はどんどん資本を移転して行く。それが現在の流れ
それゆえに何が起こるかというと、古典派経済学で言うところの平均利潤率均等化が起こる
■行政官僚制による社会計画の愚昧
・要は、グローバル化が進むということは、市場の暴風雨に個人が翻弄されても、もはや国家が対抗で
きない。国家が対抗すると、資本が逃げる。だから個人をプロテクトする共同体が重要化している
・ミルトン・フリードマン(米 経済学者)はいくつもの本で、医療と教育は絶対に市場化してはいけな
い、政府不介入ではいけない、徹底して介入しなきゃいけないという風に言っている。
予算措置にしても。行政官僚制による社会計画は受け入れてはならない。
二つ理由がある
→1つはハーバード・サイモンという人がノーベル経済学賞をもらった一つの理由だが、行政官僚制
が計算できる社会のパラメーターというのは、ごくわずか。
合理的な計算がどうせできないということ。ただの権益野郎どもの集まりですから、計算する所は
自分たちの権益に役立つことだけ、こんなクソ野郎に計算させてはいけない。
→2つめバウチャー。
用途指定のクーポン券。教育にしか使えない、医療にしか使えない疑似貨幣を配る
皆さんが、その教育チケットや医療チケットをどこで使うかは皆が決める
それを彼は市場を使ったvotingつまり投票だという風に言ってる
バカな行政官僚にどういう病院が残るべきなのかなんてことを判断させてはトンデモないことにな
る。
そうじゃないチケットを持っているヤツが、どういう病院が使いやすいのかというのが、
人々が投票することによって証明される。
・日本でもそういうこと(行政官僚制による社会計画)があれば、公立総合病院偏重主義ではなく
愚昧が起こることはあり得なかった
過疎地における総合病院偏重は過疎化を加速する。つまり町医者がどんどんいなくなっていく
遠隔地における学校統合は過疎を産む、加速する
だから、こういうことが起こらないようにするためにバウチャーを使おうじゃないか、しかも万人が
投票できないと公共性を担保できないので、最低限の投票をできるだけのチケットを配りましょう、
と。
■先進各国の政治的な方向性
・そうした90年代を経て、2000年代の先進各国の政治的な方向性はどういうものなのか
二つある。
→一つは僕のネーミングでは「この指とまれ方式」。これは従来の安保理で有力な国が議決するとか
総会で議決して、こうなりましたと国民に報告する、あるいは議会で批准させるという図式じゃな
い。全く逆。
つまり一つは京都議定書がそうね、あるいはオタワの地雷廃絶の条約もそう。これ全部京都プロセ
スでオタワプロセスなんですね。つまりこの指とまれで、
段々実績を積んだ人の集まった国がですね議定書に調印していくという流れ
→2つめに、「風の谷のナウシカ方式」。つまり共同体で自己決定する。
個人が自己決定するんじゃなくて、共同体が自己決定するんだという発想
どういうことかというと、個人は非常に脆弱
共同体に守ってもらわないと、グローバル化の中では所詮個人では生きられない。さて自分を守っ
てもらうための共同体のプラットフォームを
どういうものにするべきなのかということを、みんなで話し合って決める
僕がどうしたいかということじゃなくて、みんなが共有財 commonsとして利用しているプラット
フォームをどうするのかということを決める、それを共同体的自己決定という風に言う
・ヨーロッパとアメリカには、一見形は全く違うんだけれども機能的には同じ、イクイバレント(同価
値)なシステムがある
それは簡単に言うと自分たちにできることは自分たちでやる、それがどうしても難しい場合に行政を
呼び出す。しかし、できるだけ低いレイヤー、lower layer から呼び出すんだよということ
→ヨーロッパの場合、それを補完性の原則という風に言う
要は行政は社会の補完物に過ぎない。主は社会で、つまりメインは社会でサブは行政だよというこ
と。
→アメリカは逆にそれとは違って共和制の原則というものがある
元々、アングリカンたちの圧政を逃れてきた宗教的新天地を求める者たちのアソシエーション(共
通の目的をもつ人たちの組織、関連)コミュニティが重要である、それがまず自分たち我々の意味
中間選挙(当時)でオバマが大敗したかというと、国民皆保険化のようなものは州によってはやれば
よい、ただ州の問題で、連邦政府がやるなよということ。
→日本ではどうかというと、とりわけ明治維新以降、全く逆のことをやってきた。
日本では共同体を全部、行政組織で置き換える。例えば明治5年学制改革以降の小学校の学区がそ
う
要は村人たちは村人であって国民じゃない
・国民として再編するために、学区・町内会・自治会・隣組、こうした中間集団を統治の手足として
使うことによって、各人を把捉しコントロールすることをやってきた
共同体が国家への抵抗拠点となる、ある種のエートス(※)というか構えが全くない。
※住み慣れた場所や故郷のことであり、そこから派生する集団が遵守する慣習や慣行であり、
そのような慣習によって社会の成員によって、共有されている意識や実践のこと
■処方箋
何が理にかなっているかというのを真剣に議論して、公共的なプラットフォームを再構築して
いかないとどうにもならない
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