~宮台真司さんのアーカイブから学ぶ~
2012年12月6日講演記録
グローバル社会で低迷する世界・日本社会で、日本が私達が生き残っていく為の考え方が語られた。
■日本の民主主義が機能不全に陥り、運営困難となっている背景には以下の2つの切り口がある
a)グローバル化による困難
b)日本であるがゆえの困難
■「グローバル化による困難」について、
・グローバル化により、新興国の経済発展を促進したが、日本を含む先進国においては、貧困化や
社会格差化が進んだ。
・欧州では、新興国との競争によって国民の所得が低下し、企業や富裕層が海外に流出することを
防ぐため、法人税や所得税の累進化税率が引き下げられた。
結果として、全体的な税収が減少し、低賃金や失業によって生活に苦しむ国民から様々な要求が
寄せられても、必要な財源が足りないという状況になっていった。
・米国では、やはり貧困化・格差化の進展により、高額な医療保険に加入できない国民が4千万人
以上存在している。
・グローバル化への対処と民主主義との両立は困難をもたらしている
■「日本であるがゆえの困難」について、
・大きくは2つの問題に分けることができる。
a)エリート層が抱える問題
b)非エリート層が抱える問題
→「エリート層が抱える問題」について。
具体例として、戦前の日本の軍事体制を具体例として挙げられる。
陸・空・海軍のそれぞれの上層部はエリート中のエリートであった。
しかし、それぞれが所属する組織の権益を最優先し、全体最適化の視点に欠け、軍備品等の
規格は陸・空・海軍バラバラで互換性がなっかった。
また、客観的な現状分析に基づく政策立案は行なわれず、むしろ上層部の方針に基づく政策立
案ありきで、政策に沿うように現状のほうが歪められていた。
戦後も、エリート層による権益重視のデタラメな政策立案は変わっていない。
原子力行政もそう。原子力発電を推進するという政策方針ありきで、現状が都合の良いように
変えられていたことは、昨年の福島原発事故以来、より一層はっきりしてきている。
→「非エリート層が抱える問題」について。
日本においても貧困化・格差化が進み、中間層が破壊され、共同体が空洞化した。
このため、共同体から孤立化した個人=「剥き出しの個人」が、より感情的に反応する様相
を見せている。
そもそも、日本の民主主義の困難の根底には、「自立した共同体」が存在していないことがあ
国家と対峙する中間的な集団としての共同体が失われ、行政に依存する共同体となってしまっ
た。このため、「共同体全体主義」と呼べるものが日本には蔓延している。
たとえば、学校で発生するいじめ事件では、いじめる側の子供の親が有力者だった場合、学校
も、いじめられる側の親も、共同体全体の空気に支配されて何も言えない状況になっている。
「依存的な共同体」は共同体的な全体主義に陥り、「依存的な個人」をもたらし、最終的に、
「デタラメな民主制」をもたらす
こうした「全体主義」の対極にあるのが、「トックビル主義」。
トックビル主義では、「自立した共同体」が「自立した個人」をもたらす、そして自立した個
人が「妥当な民主制」をもたらすという論理展開。
■デタラメな民主制をどうやって妥当な民主制へと立て直せばいいのか。以下のようになる。
依存的な共同体を自立的な共同体にシフト
↓ (それによって)
依存的な個人を自立的な個人にシフト
↓ (それによって)
デタラメな民主制を妥当な民主制にシフトさせる
■すなわち、妥当な民主制へと立て直す処方箋のポイントは、「自立的な共同体」を樹立すること
■自立した共同体樹立のためには、「社会構造」を変えることから始めなければならない
■丸山眞男は、欧米のような自立した共同体を目指すべき、という「べき論」を展開したが、こうした
考え方=「心の習慣」は簡単には変えられない。従って、社会の構造を変えることで、心の習慣を
良い方向へ強制的に変えることが有効な策
■社会構造をどのように変えるかについては、「参加」と「包摂」の設計と実行である。
・「参加」は、「任せて文句たれる作法」から「引き受けて考える作法」へ、また、「空気に
縛られる作法」から「理性を尊重する作法」へと心の習慣が変わるような仕組みづくり。
「政治が悪い」「社会が悪い」などと感情的に批判するのではなく、当事者として理性的に問題に
取り組んでいけるようにすること。
・「包摂」は、共同体の空洞化により、寂しく鬱屈した意識や不遇意識を抱き、知識社会から排除さ
れた人々を「承認」し、また「囲い込む」ような心の習慣を形成できる仕組みづくり
■上記のような社会構造へと変えていく具体的な方法が、ワークショップや公開討論会での「熟
議」、そして「住民投票」である
・「熟議」は、熟議の典型的な流れとしてはまず、国や自治体、企業などが情報をすべて公開するこ
と。(隠された情報やデータがあってはいけない)
・主要な論点について、賛成側、反対側それぞれの専門家同士で討論させ、質疑応答を行なうこと。
最後に、専門家や議会などに任せることなく、当事者である住民が話し合い「住民投票」で結論を
出す
■熟議を行なう前と行なった後では、住民の総意=世論が大きく変わる
■どんなテーマであれ、十分な情報が開示された上で、賛成、反対の両方の視点からの意見をじっ
くり吟味することで「完全情報化」が達成される。多くの場合、世論はリベラル化し、妥当なところに落ち着く。
一方、情報がすべて公開されていない状態、つまり不完全情報の状態においては、極端な主張、断固とした意見や主張に付和雷同的、感情的に流されがちで、「集団的な極端化」を起こす。
これが、ポピュリズムに支えられたデタラメな民主制を生み出すことにつながる
■熟議の上での「住民投票」を提唱する目的には、2つある。
a)日本だけに存在する「巨大なフィクションの繭」を破壊する
原子力発電で言えば、「絶対安全神話」「全量再処理神話」「原発安価神話」など
b)世代などで分断された地域共同体の統合
世代間の対立や、またどこの地域にも見られる、旧住民と新住民の対立は、ワークショップ、公開
討論会を通じた「参加」と「包摂」により克服が可能
■情報公開が、フィクションの繭を破壊し、熟議を通じて分断が破壊される
■自立的な共同体づくり、すなわち共同体自治に必要なのは、強力な「価値」と徹底した「リアリテ
ィ」
■当事者たる住民による共同体自治がなぜ良いのかという理由を明確に価値として示すだけでなく、共
同体自治の目的にどのように近づけるかという具体的な手段をリアルに提示、実行に移すことが大事
■都市、地域、社会を我々のものにすること、そのために強力な「価値」と、徹底した「リアリティ」
をシェア(共有)することが大事。
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