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若松孝二監督と宮台真司さんの対談

更新日:2022年2月17日

2012年3月24日からテアトル新宿と横浜ジャック&ベティで封切りとなった映画『海燕ホテル・ブルー』の公開を記念した、社会学者・映画批評家の宮台真司さんと若松孝二監督との対談



■宮台さん

この間、合宿やったんですよ

合宿三日間合宿があって

その時に六十年代って

どういう時代だったのかっていうことをですね

あのみんなで振り返るって言っても

若い人をはたち前後の人ですけどね

若松さんのあの「理由なき暴行」ですね

あの早稲田大学の人たちが出演して

脚本も書かれている

あれをね学生たちに見せたんですよ

でね六十年代の末って言うと


まあ例えば山田太一がね

寅さんシリーズとか始めてたし

あとやっぱり実際、変革の時代でもあったから

人々はやっぱり貧しいから不幸なんだと。

貧しくなくなれば幸せになると

あるいは抑圧されてるから不幸なんだ

抑圧がなくなれば幸せになるんだ

っていう図式が一般的だったのに


若松さんの例えば全作品そうなんですけど

特に「理由なき暴行」はそれははっきりしてて

あの自分が不幸せなのは貧乏だからでもないし

抑圧されてるからでもなくて分かりやすく言えば

あの結局「ここではないどこか」に行きそうだ

と思ったのに行けないからだっていうね

それが小田急線に乗って網走に行こうっていう

その網走番外地のモチーフにも反映されていたし

あるいは

早稲田大学のキャンパスの近くですかね

集会に参加してくださいみたいに言われて

やらせてくれなら参加してやるよみたいにね言ってたりとか

つまり僕はあの七十一年に中学入って

その頃からアンダーグラウンドのさそり座に行ってね

先輩の影響で若松プロの作品いるんですけど

何で僕があーもうこの若本さんっていう監督は僕ら

のことを本当に全て分かってらっしゃる

って思えたのかって言うと

まさにそこなんですよね

で若い人見てるかもしれないので

ちょっと言っておくと

人が不幸せなのは貧乏だからで金持ちになれば

幸せになるんだみたいなのが当時の古いタイプの左翼で

まあ共産党とか民生に代表されていて

そうじゃなくてその「ここではないどこか」がなくなったから苦しいんだって

まあ当時丸損主義とか言われてたけど

マルクス主義的実存主義みたいな方向で

当時あの七十年前後のね

あの「ゆけゆけ二度目の処女」 っていう

監督されたあの映画とか

あと原正孝さんのね

映画とかがきっかけで

風景論争っていうのが起こりますよね

例えば見田宗介っていう社会学者なんか典型だけど

永山則夫がどうして事件を起こしたのか

って言うとそれは簡単に言えば

あの孤独で不幸で貧乏だったからだっていうね

世の中から見放されていて

自分がなりたいものになれなかったからだっていう

古典的な図式で理解して

いたのに対して連続射殺魔って映画で、そうじゃないと

やっぱり東京に来れば何とかなると

東京という「ここではないどこか」っていうのに来れば

何か道が開けると思ってきたけど

何も風景は変わらなかったからね

風景を切り裂くために

銃をぶっ放したんだって

まあ事実そうおっしゃってましたよね

でそれまでの僕らは僕だけじゃなくて

僕の同世代の五十代仲間の連中は

もう本当に当時中高生だったと思うんだけど

もうこれしかないなって重い、さて

順序で言うと上映の順序は三島よりも先になるんだけど

「海燕ホテル・ブルー」は

何て言うんでしょう

風景的なものが

何ていうんでしょう 

「天使の恍惚」にも似てるし

あの何か非常に最近の若松さんの中には

あんまり出てこなかった 


■若松さん

僕もなんかそういう意識でつくったのか

なんか分かんないですけど

とにかく遊んでみようかっていうね

でもね遊んでみようかっていうことで

まあつくったんですよ

だからね だから一番気の毒なのは俳優さんで

何を作るのかやっぱり分からないというような。


■宮台さん

僕はだいたい全部みてますよ

そうするともう僕は俳優だったらやりたいことが分かりますよ

だから

「ここではないどこか」を、片山ひとみさんが演じる女がね

まあ象徴している訳ですよね

でも「ここではないどこか」に憧れる主人公、男たちは

絶対に挫折をするのが、若松さんの六十年代の映画の全ての映画のパターン

ですから絶対挫折するんですね

でそれは別に男たちが悪いからではないし

別に男たちが批判されているわけでは

なくてねそういうもんなんじゃないかっていうね

ある種のもう、若松さんご自身の監督自身が

自家薬籠中(じかやくろうちゅう)にされた

まあしかしなんて言ったらいいでしょう

あの不思議なことに

今ものすごくリアルになっている図式だと

思うんですね

まあちょっと伺いたいんですが


今そのじゃあまあ

この三島由紀夫の映画ですね

この「11・25自決の日」とか

まあキャタピラとかですね

まこれ国際的な

映画賞をたくさん取られてる訳ですがあのね

なぜ今そのまあ

「海燕ホテル・ブルー」

かつての若松さんの作品を追ってきた人にとって

凄い、懐かしいと同時に今見ると凄い

リアルなんですよね

六十年代にリアルに感じたのと同じように

あの例のモチーフが

非常にリアルに感じられるんですけど

それはわりと自覚されてお撮りになられたんですか



■若松さん

いやもう滅んでもう僕

あんまりなんか映画館で自覚しないで

何だろうねだから自分のこうまあ脳裏に

浮かんだことが

こういうことやってみたいなっていう

だからそういう意味で自由っていうのかな

さっきの話じゃないけども

僕もちょうど十六歳七歳ですか

東京に行けば何とかなるだろうっていうね

何とか東京に行けば

あのなんかあるだろうとか

こういう田舎にいてもう本当に

田舎にもいられなくなったからっていって

まそれこそ本当におふくろのお金

七百円かっぱらってね

夜行列車にのって、

だから何ともなるだろうっていうのがあって

だから映画もう結局

自分の思うように思うっていうのかな

なんか作れば何とかなるだろうと

だからここでなんかヒットをさせようとか

カニをもうけようとか

そういう色んなこと考えないですよね

ただ要するにあー俺も例えば

三島あの事件は一体何だったんだろう

もう一回見てみたいなって思った時に

なんか自分がそれ見ちゃうんだな作っちゃうんだな

それとまあふっと

「千年の愉楽」もそうだけども

あ、そういえばあいつとよく飲んで喧嘩もしたなとかね

それを思いながらよしよし一本作ってやろうかっていうなんかそうですね


■宮台さん

僕ね

あのちょっと三島のこの作品もですね

これですね「11.25自決の日」ですけども

みさせていただいてあのこれはね

非常に良い作品ですね

というのはあの僕

あの鈴木国男さんと親しくというか

以前から鈴木邦男さんに心酔しておりまして

で特に彼が初期値書かれたあの「腹腹時計ととオオカミ」ていうですね

有名な著作以降

あの右翼の真髄っていうのが

日の丸、君が代ではなくて情念の連鎖、粋に感じるというところにあると

でこの三島についてくれていて

この三島の事件は

淀川ハイジャック事件に粋に感じた男が起こしたものであり

でこの三島事件に粋に感じた男たちが起こしたのが

三菱重工爆破事件というか

爆破未遂事件であり

この事件に触発された人間が起こしたのが

経団連事件であり

こういう情念のその連鎖においては

いわゆる人々の考えている

イデオロギーは実はあんまり関係がないであり

そこが日本の真髄なんだってね

おっしゃったんですよ

でそのその彼の三島感、彼は

三島由紀夫について少しずつ触れてるんですけども

非常に 鈴木邦男さんの

あの僕自身が馴染んでいたね

三島由紀夫の像に近くっていうかもっと

正確に言うと

多分三島由紀夫は本当はそうだったんだろうな

っていう像に近くてね

彼自身やっぱりイデオロギーということではなくて

っていう風なことは

むしろ監督に説明していた方がいいんです

なぜ今三島だったんですか?



■若松さん

いや連石の次何を取ろうかって考えたら

僕にもまああのなんつか

脳裏に浮かんだのは

三島由紀夫さんなんですよね

だからそのこう

まあ右翼左翼って昔よく言われまして

どっちももうとりあえずは何か

日本のこととか何かを考えただろうと

みんなね

いい悪いは別問題で

両方ともね同じじゃないかと

それであの東大で、三島由紀夫さんが

立てこもってね

それを見るともう天皇の問題だけであって

あとはなんかみんな何かを考えたら

同じじゃないかっていう

だから特に2.26事件に一番影響を与えたみたいなことがあるんでね

資料を読むとね

だからそれでまあのもう何て言うんですかね

その六十年代から七十年代のもので撮るのは

この二つかないなっていう

そのあとはまあ

ちょっと遊ぼうかっていうじゃないけども

それでまあまあ

次はもう何を取るか

毎日それを考えてるんですよね


■宮台さん

随分前で十年ぐらい前にね

監督と監督昔撮ったっていうか

六十年代映画についていろいろ伺ったら

結構記憶薄れてらっしゃいますよね

僕の方が覚えてる方も

いっぱいあったりとかして

まあそれはいいとしてですね

でもねあのこの例えば2個の作品ですね

この「海燕ホテル・ブルー」「11.25自決の日はねこれ

両方ともやっぱりどこかに行きたい人たちっていうか

ここではないどこかを求めて

やっぱり挫折する者たちの物語で

その意味では六十年代から監督のね

作品を見続けてきたファンにとっては

やっぱり監督は本当に一つの曲をたくさんたくさん

変装していらっしゃるんだと思うんですが

若い人はねその監督の昔の映画に

あんまりあの馴染みがなかったりするので

そういう監督自身のあの実際

あの長く引いてらっしゃるね

あのベースになるノートに気が付かないで

恐らく枝葉に引っかかっちゃうのかなっていう気がするんですね

なのであの監督が今おっしゃった

その監督自身は

いわば無意識の意識のようなもので

次は何かなってこれかなっていう風にね

やっていくにもかかわらず

あの例えば僕のようなファンから見るとですね

やはり若松孝二さんは

若松孝二監督の道を行くのだな

ってことがやっぱり毎回あの明らかになる

っていう風な感じでね

本当にあの連合赤軍事件もやっぱりここではないどこかが求めるものたちだし

三島のこの映画もそうですよね

でその中で多分みんなが若松孝二の正体が

なかなか分からなくなってきて

何か難しい歴史のものを

取る人なのかなみたいに思われた時に

まあこれね船戸与一の作品の中では

比較的異色作と言われる原作ですよね

歴史にも現実にもほとんど言及しない

不思議なメルヘンみたいな作品である

この「「海燕ホテル・ブルー」」をね

もうお撮りになることで

あの若松孝二の姿をね

もう一度人の目に触れるように

その監督の姿が降臨するような映画だと受けとったんですね

だから

ある種じゃちょっと休んでみようかとか

遊んでみようかっておっしゃったことと

なるほどっていうふうに

ちょっと結びつきますよね

その監督のお姿がうん

最後のシーンは富士見観音とかが出てきますよね

なんかね昔の映画を思い出すんですよね


■若松さん

もしかしたら

僕自身がこの女性だったかも分かんないしね

とっくの前にあの世に行ってて

ああいう姿で

あのお婆さんみたいになっているのかも分かんないしね

まあそれだって人間はありえるじゃねえかって

だからそんなくよくよ、ものを考えてもしょうがないっていう

まあみんな押さえてみて

こんなくそわからないのって

怒られるかも分かんないけども

自分の金で遊ぶ分にはね

人は文句言わないだろうっていう

それで遊んでみようっていうね



■宮台さん

僕は個人的にはね

この作品はものすごく好きなんですよ

あのもちろんあの連合赤軍とか

映画も素晴らしいと思うんですけど

やっぱり昔から

中本さんの映画に馴染んできた者にとっては

あのそう七十五歳ぐらいになられたんですよね


■若松さん

もう少してあと三日ぐらいで六ですが



■宮台さん

もう七十わけですから

そのお年において再びですね

あの姿をその顕在化させるっていう感じなのは

凄くやっぱ感激なんですね

あの今そのおばあちゃんの話おっしゃいましたけど

この映画ご覧になるととりあえず反復する

まあ映画の中で言うと

最初そのその哲宏さんが演じたあの男の役

つまり女々しい女に熱して結局男の義理を忘れる

女々しい男を、今度はしかし、地曵豪(じびきごう)さんがね

この姿を反復し

更にあの同じように

この片山瞳さんを追いかけるっていうシーンも反復するし

そのちょうど前のシーン、お婆さんに道を訪ねて

おばあさんが同じことを答える

つまり反復っていうのが

非常に重要なモチーフですよねだから

これはあのある意味では

昔の六十年代作品に対する解説とも言える部分があってね

あのどっかに行けそうで

どこでも行けないっていうのは

当時の六十年代論として描いたと

多くの人が持ってるかもしれないけど

そうじゃなくてこれは簡単に言えば

永久にそうなのだっていうふうにねあの皆さんに

特に若い人に向けておっしゃってるのかなっていう気がして

あのやっぱり無意識であろうがなんであろうがですね

あの非常に時代批評的なね

ニュアンスを感じたんですね

だから僕自身も今これを提示されると本当にしっくりするっていうか

自分たちの気分をねまさに言い当てられてるなっていう風に感じるしで

更にあの

この映画はあの難しいって

おっしゃる方もいるのかもしれないけど

全体として観念的ばごつごつした引っ掛かりがなくてですね

非常にメルヘン、詩的できれいな映画ですよね


■若松さん

そう言ってくださると

本当にあの助かるんですけどね

僕としてはもうデタラメっていうのかな

急にゲバラが出てきたり

なんて言うのかな

だから僕はあの遊びって言うんですけどね

いいじゃないか

もうみんな遊ぼうよって言ってねだから

あのそれこそ

みんな適当に好きなことやったらっていう形でね

だからま原作を離れようっていう

もう殆ど原作を離れて

まあふなっちゃんには悪いけども友達なんで

まあ僕はもうあの勝手に作っても

ま起こらないんじゃないかっていう

まあそういう意味で

ああいう形の映画っていうのができちゃったっていう

だからはっきりと本当に自信ないんですよ


■宮台さん

自信満々で取られてると思ってました

僕もホームペジで幾つかの文章を読んだら

事実上シナリオがないのと同じぐらい

現場で即興的にね

お作りになってたっておっしゃるんだけど

それは苦しいんだということじゃなくて

色々発想は現場で湧いてきたということだということ



■若松さん

そうなんですね

あの何て言うかね

普通に会社に怒られるんじゃないかとかね

俳優さんに文句いわれるんじゃないかとか

まあ配給会社がなんていうかって考えるだけど

別にそんなの関係ないから

あすごいよってね

だからもう案外なんかなんていうか

三島由紀夫と連合軍は相当ナーバスなったり

なんか色々あったけど

これは本当になかったですね

本当に六十年代のピンク映画

作ってる時の同じようにね

なんかねまた楽しんで作ったっていうのがね

だから反対に心配だったんですよね



■宮台さん

ちょうど十五年ぐらい前からね

若本さんの映画の上映特集がね

いくつかの映画館である時に僕も必ず大体行くんですけど

特に若い女性の観客が多くてね

でなおかつよく分かったとかね

あの感動したっておっしゃる方が

やっぱりそういう方々に多いですよね

で僕はね以前若松さん

と名古屋で喋った時か

何かに申し上げた気がちょっとするんですけど

あの若松さんの例えばこのホテルブルに出てくる

その片山瞳さん演じるまあ

原作と大きくことになって

全く喋りもしない分からない

なんか本当に抽象的な存在なんですけど

まこれはあの例えば「犯された白衣」に出てくる

看護婦役の女性と同じようなポジションで

あのわかり易く言えば

男のある種のその「ここではないどこか」に対する

ロマンの現象形態みたいな具現体ですよね

あのだからそれが

ちょうど女性たちから見るとね

男の要するに手前勝手っていうね幻想をね

映像化しただけだみたいな批判ってのは

一部にフェミニストなどからね

あったぐらいだから

女性が見ても

まあスルーするのかなって思ってみたら

やっぱり九十年代半ば以降は

女性たちの方がね

あの僕の教え子たちを見る限りでも

若松さんのとくに古い作品に反応されるんですよ

だから多分ね「ここではないどこか」に対するその希求や追求や

それ故の挫折っていうモチーフをね

女性たちの方が実は切実に日々体験してるのかなって

思ったりするんですよね

男たちはなんかよく分かんないけど

あんまり反応することがなくて

あのちょっと性愛の世界で言うと

あの実は性相手セックスとか恋愛関係ですけど

男女比較すると

その現場の性愛関係に対する不満は男には非常に少なくて

女には圧倒的に多いんですよね

だからそういうことでも

ちょっと関係があるかなとか思ったりしてね

今その監督のえっとそのまさにオリジンによって

その元々監督を持ってらっしゃる

その「ここではないどこか」に行こうとする主人公

しかしどこかに行けそうで

決してどこにも行けないっていうね

このモチーフに反応する方々は女性ではないでしょかね

特に若い世代のね



■若松さん

そうですよね

やっぱり荒野を走ってまた元に戻ってくるっていう

だからどこにも結局はいけなくいて元に戻ってきたっていう

なんか自分の中にそれがあるのか

なんかよく分かんないけども

自分でもはっきりなんかもうあの意識的

に分かんないところがあるんですよね

ただこう何て言うのかな

あの子供がよくおもちゃが欲しがると同じようにね

作りたがるとか欲しがると同じに

もういつも立って見られなくなるくらい

作りたくなる時あるんですよ

それが欲しくなるっていうのがね

うんだからそのよく僕らのこんな小さい頃

鳥かごって鳥を買うカゴを自分たちで作って村の子たちね

俺のほうががかっこいいだろうとかね

こんな新しいの作ったとかって言いながら

見せっこするとかなんかね

そういう

だから映画も何ていうのか

まあそういうと映画監督連中にみんな怒られるかも分かんないけども

もう一つのなんか遊びだっていうね

まあ遊びっていいって言うとみんなは

いやそうじゃないんだっていう人はいっぱいいるけれども

僕にとってははっきり言うともうあの料理作ったりなんか

そういうものを作ったりするのね

同じでこういうのを食べてみたいなと思ったら

それを作っちゃうし

懐かしいなんかあのあおふくろがああいうのって昔

やっぱ小さい時に作ってくれたなっていう

なんかそれを思ってそういうのを作ったりね

それで同じじゃないかっていうような気がします



■宮台さん

今ね監督におっしゃったその遊び

あるいはさっきあのまあ遊ぼうよってことで

この映画を作ったっていう時の遊びっておっしゃる

その遊びのね中身はその監督ご自身がまあ

七十五歳でいらっしゃるわけですけれども

あの仙台出身でいらっしゃいますよね

でその自分自身の出自というかの

小さい時の思い出やあるいは小さい時に

様々なご自身のエピソードと関係がありますか

遊びっていうのはどういうイメージですか



■若松さん

この間も、石巻から20分ぐらいはいったところなんですけど

「ようこそ先輩」ってNHKの仕事でね

僕が海水浴した「野蒜」ってとこが全部、津波にやられてね

それをみて、そういえば昔よくおふくろとか

もし泳ぎに行ってて波が引いたらね

すぐ山に逃げるんだぞって

津波が来ると思ったら

すぐにとにかく高いとこ逃げろっていう

教わったなとかね

そういうのをこう思い出しながらあの砂浜

それこそ本当に津波で全部やられて

かつての松林とかなんかもうほとんどない

歩いたんですけど

これ自然のあれだから

自然っていうのは結局こう自然が来て

そういうことになって

もしかしたらまた再生成して良くなるでしょう

だから今宮台さんやってると

その原爆なんてのはあれ人災ですからね

あれほど腹が立つことがない訳ですよね

だから僕達

はっきり言ってもう四五年前にね

本当に東京湾に発電所作れと。

なんで東京湾に作んないんだっていう

僕は普天間基地で東京湾に持って来いって。



■宮台さん

実はね

原発人災についてもっと映画が出ててくるか

と思ったら実はほとんど出てこないですよね

あの今のところ

僕が知ってるのは

園子温の「ヒミズ」

そして

実は部分的だけど本当は全面的に言及してる

塚本晋也の「KOTOKO」

そして

廣木隆一さんの「RIVER」

この三つが明白に言及しているんだけど

この三本出ただけまだましな方で

やっぱり多くの方々はね

あのあざといって言われるんじゃないかとか

あのやっぱり能天気のとりちがいだっていう風に

思われるんじゃないかっていう風に

びびっているっていう状況ですね


話を戻しますけど

今若本監督のおっしゃった

その遊びのイメージと海の結び付きっていうのは

そういえばってことで考えると例えば「ゆけゆけ二度目の処女」でもね

あの幻想的なその林間のシーンがありますから

海で描かれている訳だし

あるいはさっき申し上げた「理由なき暴行」でも

江の島というま海に向かうわけだし

であのいわゆるイメージショット、絶えず絶えず

海の波がサブーンサブーンってなりますよね

若村さんと海なんですよ

十七歳の風景もそう、海がね出てくるしね

それが今回の「海燕ホテル・ブルー」でもね

やっぱり海まあ

今回結構寒くて、寒そうに荒れ狂ってる怖い海

でしたけれども海ですよね

それも絶対に沖縄の青い素敵な海じゃなくて。

それがねその若松さんのあの一つの原風景なのかな

っていう風に思うと同時に

あのちょっと難しい話をちょっとしてもいいですか

あの子宮回帰願望ってね

あの実はあんまりあの描かれてないんですよ

先進国で描かれたのはね

ドイツと日本なんですね

あるいはイタリアにも一部あった

旧枢軸国では実は宮回帰願望っていうのが

描かれてきているんですね

でそれはなぜかっていうことについて

あのブロッホっていうマルフーゼっていう人が

大体その回答を出してるんだけど

これらの旧枢軸国ってあの後発近代各国で

近代化を急いだらゆえに

色んなところに矛盾が溜まりで挫折が起こる

ま例えばナチスの挫折なんか典型ですけれどもね

あのつまりそういうふ後発性ゆえのね

近代の挫折から来る、ある種の

近代以前的な原風景に対する回帰なんだ

っていうねあの肯定的にも否定的にも

そういうものなんだ

っていう見解をまあ見せてるんですけども

あのこの見解は非常に興味深いですね

というのはあの急速に近在化が進んで

しかし挫折が生じたのっていうのは日本で

言うと1930年代でしょう

そしてあとは戦後復興して

そして期待外れが生じるって意味で言うと

やっぱ1960年代の後半で

やっぱり1997年のね

アジア通貨危機以降のやっぱり

この平成不況のどうにもならない深刻化で

だから最近三十年代

そして六十年代後半で

まあ二十世紀末以降現在までっていうことで

あのまあ原発人災もそうだけども

やっぱり挫折してしまっているっていうところから来るね

あの一つのやっぱり共通のしかし普遍的なね

心象風景なのかな

っていう風な気が実は知っています

だからもっと短く言うとですね

若松さんご自身の

幼少期のね風景に対する願望っていう

その個人的な契機とその近代の挫折ゆえに

もはやもう存在しないけれど

子宮的なものをっていうのがね

やっぱり重なってるのかなあっていう風に思い

あのだから僕はその多くの人がね

若松さんの映画にやっぱ心をわしづかみにされてしまう

っていうのがね

海外にも鷲掴みされた方が

いっぱいいらっしゃるしあの

色んな権利問題をねあのスルーして

なぜか英語版の若松さんの六十年の映画が

たくさん英語版が出てるとか

っていうことも含めてね

海外のファンが凄く多いですよね

それはやっぱり何かね

あのなんか普遍的なものをですね

やっぱりそのうがったんですね

やっぱりねあの

やっぱりそこにうまく的中してるんですよね

だから監督の時代がやっぱりま来てしまったなと

挫折の時代が来たんですね



■若松さん

まああんまりよく気が付かないけども

ま自然にやってるのか

去年もフランスで42本も。

もう全部だからなのね

まあらゆるうち下の倉庫のフィルムが

全部行っちゃったような感じでね

あーもう急になんか

自分としてもこうなんてこういうのが

ウケるのかなっていう

不思議にしょうがないくらい

あの外国の人たちの方が

日本の人たちより本当に分かってくれてるんじゃないかって

話をしたりしてそう思いましたけどね


■宮台さん

僕がすごく残念だと思うのは

日本の観客ってあんまり自分に

素直じゃないところがあるんですね

あの例えば福島原発人災でも

日本人の反応だけが非常に特殊で忘れようとしますよね

で僕あの最近海外でそうとりまくってる

さっき申し上げた

園子温 監督とかね塚本晋也の「KOTOKO」とかって

これ素晴らしい評価を受けている

本当に素晴らしい映画なんですよ

でも日本では彼らの作品っていうのは

今までほとんど評価されてなくて

僕はあの自分の映画批評でもうずっと十五年ぐらい前から

この辺りは天才としていたので

すごく嬉しいですよ

最近ねしかし何で日本で評価されないのかな

とって思って

柄本さんにこないだ聞いたんですね

そしたらね面白いことおっしゃってたんですよ

あの日本の試写会やそのコンペの上映会と

海外のそれとの間にはね

感覚の反応に大きな違いがある

アメリカヨーロッパの上映会だと見て面白かったら

もう、すぐオーベーションが起こるけど

日本では館内が明るくなってからみんな周りを見回してさ

これは褒めっていいのかなって

空気を読んでから反応がね

生じるのがそこが凄く嫌なところで

多分日本のね映画評論やあるいは評判もね

自分の思ったことを喋ってるんじゃなくて

人が受け入れてくれそうなことを喋ってるだけじゃないかと

でそれじゃあね、やはり特にそういうまた

評判を表現者が一部気にしたりするでしょう

そうしたらね

これも良い作品ができるはずがないですよね

だからそういう日本の人たちの反応には全く関心を示さず

海外の人たちが反応に関心を示して作品を作り続けていれば

日本人だって本当は空気読んで話合わせてただけなんで

いや本当はこれ良かったんだと思いますみたいになりますよねえ


■若松さん

本当に日本人っていうのは何だろうな

いいのか悪いのか反応がないし

例えばヨーロッパとかアメリカ行けないから

アメリカは分かんないけども

ヨーロッパほとんど行ってるんだけど

ヨーロッパの方がまあ映画祭二十数国まわってるから

つまんなかったらみんなお客がかえっちゃうしね

良かったらすぐわーって手をたたくしね

あの途中でも手を叩くんですよ

自分が何か気に入ると日本人にはそれがないんですよね

いかにも何となくこう難しい顔をしてさ

全然あのこう出てきたりさ評論家なんか

その特にさ多いんだよね


■宮台さん

そうねあの僕は71年にね

中学に入るんですけどその頃から映画をたくさん見るように

なるんですね

ちょうど鈴木清純さんがねあの67年に作った「殺しの烙印」で

日活を首になってね鈴木清純京都会議できて

皆さん多くの人があの彼をね支援する活動をされてて

七十年代前半から後半にかけて

鈴木正常映画の特徴ってよくあったんですけど

これはね映画館でねいいよってね

なりたいみたいな感じで声かかったりとか

おおってね拍手があったりしたんですよ

で僕はその時映画でこれやっていいのかって思ってね

感激したことがあるんだけれどもそれ本当に一時でしたね

もう八十年代に入ってそういう反応は全くなくなった

だからそのまさに本当に鈴木邦夫さんが冒頭にお話しした

粋に感じるというタイプのね

情念の連鎖を可能にするようなね

やっぱ環境っていうのが七十年代までは多分あったんですね

で本当の右翼っていうのはその環境を保つものなんだって

それを保とうとするのが本当の右翼なんだっていうのは

鈴木邦夫さんの考えなんですよ

でも日本で粋に感じるとかって死語でしょ

しかし若松さんご自身の映画ってね、もともと

赤軍派的っていうか

でもあの多くの人はイデオロギーって言いながら

僕なんかは全然そう思ってなくて

やっぱり若松さんの映画って

やっぱり粋に感じる映画なんですよね

だからその「ここではないどこか」に折するって分かっていて

「ここではないどこか」に向かっていく人間たちに対して

いつも温かいですよね

でそれが若松さんの映画のポイントで

例えばね

この井浦新さんがこの三島の映画と

このホテルブルーの映画の両方でとてもいい役されてるんだけど

この井浦新さんだからそうそうなんだよ

これ新さんがですね

井浦新っていう本名にですね

名前をね三島の映画に出る時にですね

これすごいアラタなんて言ったらローマ字表記ではね

失礼だって自分でですね

本名に戻したって面白い話ですけど

なるほどねうん

あのウェブを見たら何で「井浦新」

に戻ってんだって自分でそういう風に言ってるんですね


■若松さん

それを初めて聞いた

そうなんですか


■宮台さん

それってやっぱり監督に粋に感じたわけですよ

あるいは三島由紀夫の本質粋に感じる

っていうところにあったのであり

で僕が一番申し上げたかったのは

やっぱり監督自身の視線がこの新さんに対しても

つまりホテルブルーの新さんに対しても

この三島の自決の日に対するの新に対しても

非常に暖かいですよね

挫折する存在に対するね

だからあのちょっとまた難しい話をして

もしお恐縮なんだけど

の不可能だから辞めるっていうことであれば人生ってほとんど意味ないし

世界に意味なくてどうせみんな死んじゃうっていう意味では

みんな致死率百パーセントなわけでね

生きるってことは

不可能性への挑戦みたいなものなんだから

だから不可能性あるいはここではないどこかが不可能だとして

その不可能なここではないどこかにね

向かうっていうことをやっぱ肯定せずして

その何が人の世か

みたいなところがありますよね

明らかにね

それがなぜかその新さんの

いわゆる井浦新っていう俳優の何だろう

存在にちょうどね

監督は魂が乗り移ったみたいにして

井浦新さんが輝くんですよね

でこれはねちょっと普通の映画に出てくる

普通の俳優っていうことではない

何か非常にね

特別な奇跡が起こってるんだと思いますね

いやあまりにもハマルですよね

そう思いませんか

これは井浦新以外に誰ができるんだって

考えるとや不可能なんですよね


■若松さん

うんまあ三島さんをやるなら

やっぱ井浦新が一番

やっぱりま良かったんですよね

やっぱ本人もなんかそう思ってるんじゃないのかな

客観的に考えると

年齢も違う背丈も違う色々そうなんだけど

そういうそういうことじゃなくなっちゃったのね現場で。

その中で井浦新がボディービルやってこういう体にならなきゃ駄目ですか

って言うから、

そんなの関係ない

別に再現映画を撮る訳じゃないからね

だから井浦新の三島由紀夫さんをやってくれればいいんであって

そういうことをあんまり気にしないでやった方がいいよって。


■宮台さん


あの「海燕ホテル・ブルー」は何て言ったらいいんだろう

非常にちょっとエキゾチックでロマンチシズムって

やっぱりーヨロッパが本場ですよね

不可能としりつつ前に進むというか

不可能の不条理といえども

我ゆかんみたいな概念を向こうのアーティストたちって

本当によくわきまえていらっしゃるので

「海燕ホテル・ブルー」非常にヨーロッパの人に理解してもらいやすい

モチーフですね。



■若松さん

評論家とかあのヨーロッパの映画の好きな人は

その相当こ映画が好きだよ


■宮台さん

あの僕ねこれまあ

若松さんの六十年代の映画って

いきなりの血のシーンがカラーになるとか

海のイメージショットが

いきなり青になるとかっていうところ

を除いては大体白黒ですよね

でこの「海燕ホテル・ブルー 」がもしね

これ白黒で取られていたらいたらって言ったら

あのちょっと面白かったかなと思ったりもしました

その若本さん的なもののモチーフのね

その連続性と反復が

より鮮明になったのかな

っていう風な気がねちょっとしましたね

ただもちろんモノクロームって

フィルムの入手は今大変だからね


■若松さん

それでもうほとんどフィルムの時代じゃなくなった


■宮台さん

まあこれ実はね

白黒で見ようと思ったら家のね

パソコンのあの再生ソフトをシロクロにすれば見れるんで

実は僕もちょっと白黒で見てるんです

白黒で見るとまたこれは懐かしい

あのっていう風にまあ

昔と似てるなっていう風に

思うところもありながら、しかしね

この会「海燕ホテル・ブルー 」の今までの例えば

六十年代のね

若松さんの作品になかったところは

あの要するに具体的に

女ゆえに挫折するっていうね

あのつまりこれ

あの女は抽象的なロマンだっていう

風に呼んでもいいんだけれど

しかし実際のエピソードとして言うと

実際に自分の横にいる女なに対するある種のまあ

愛着や情緒故に

希望がどんどん萎えていくっていう話で

なおかつあのそれが否定されていない

っていうところは実は非常にポイントでね

これは何か

何かなのかな

色んな深読みができると思うんですけれどもね

これはあのまあ原作ありの

作品で原作のところは

あの原作自身のモチーフも

そこは同じですからね

その女ゆえに挫折っていうことについて

何か思い入れはあるんですか


■若松さん

女に関してのが

僕はあんまり挫折

っていうのはないですけどね

やっぱり一番自分が駄目なのは

女性じゃないかっていうね

どっかあるんですよね

だからあの反対に若い時だったら

なんかあの頭の半分ぐらい

女性のことを考えてやってなんかだけど

だんだん年取ってくると

あんまり女性のこと考えなくなって

なんかこういう映画を取りたい取りたいっていう

あのだからもうこんなむちゃくちゃに

このあいだ新聞にも書かれたけども

もう死に急いでるっていう。。

若松孝二は死に急いでいいんじゃないかっていう

こんなに撮るっていうことはね

死に急いでいいんじゃないかっていう

いやそれ書かれた次の日にね

助監督三人がね、監督に会いたいって

みんな遊びにきちゃってね

三人が集まってね

来たんだからもうびっくりしたけどもね

その新聞に書かれたあと

三人がきて、俺本当にやばいのかとおもって。


■宮台さん

あの実際の確か肺がんだった件

結構僕はあの生存率をね

色んな人に伺ったら結構あんまり生存率が

高くない状態から生還されたんですよね

なのでまあ

当時僕の周りの奇跡の生還って言われていたんですが

でもそれ以降の生産力凄いですよね

実際問題としてそうですね

やっぱりなにかあるんですかね


■若松さん

肺がんに自分が分かったのもそう

相米慎二監督がね

やっぱり肺癌で住んで僕仲が良かったからね

それで俺ももしかしたら

しょっちゅうタバコばかばっかりしてたからね

それで病院にいって聞いたら

やっぱ私も、そのがんだって言われて

あいつに助けてもらったようなもんだね

五軒ぐらいまわって

これでも俺は自分は癌って信じなかったんですよ

やっぱガンだよって

どうしたらいいかっていう

9.11の年だからね

まそれでまあの再発ないから

大丈夫だと思うんだけど

その後脳溢血で倒れたですよ

でこの前は前立腺がんで

だからこんな放射線がいっぱい入ってるんで

放射性の粒をいれるやつでね

慶応病院で全部手術したんだけど

それでもまだやっぱあの僕はよく言ってんだけども

映画の神様がまだお前まあ

殺さないからもうどんどんもっと

映画作れって言ってるような気がしてね

そういうの弱いから

よーしどんどん作ってやろうっていう

うちの娘にも言われるんだけど

もうとにかく金なんか一銭も残さなくたっていいからね

全部映画で使い果たして死んでいってくれて言うんですよ

だからまあこれから作れる範囲で作ろうと思ってんですけどね

だからあの何を作っていいか今まだ

これからやるんでま今年の秋

もう一本ぐらい取りたいなっていう思ってるんでね

で何しようかって言うと

まその原爆、その東電のあれ。

みんなその疎開するじゃないですか

こう周りの人が。

その時あの残されたおじいさんとか

おばあさん五人ぐらい死んでるんですよね

餓死してね

捨てられたあの老人たちじゃないけども

そしてその間接的にも

それは撮れるんじゃないかという

それからまあ

あと撮るとしたら

七三一部隊もね

これも面白いなっていう

これから五十年、百年後に誰かがそれを用意してくれてね

その時代に若松っていう監督がいたと。

で、こういう映画とってたと。

もう一回用意してくれたらいいな

っていうそういう映画を撮り続けようかなっていう


■宮台さん

アメリカではね

やっぱりクリントイーストウッドってですね

まあ俳優出身の監督がね

あのまあもうそろそろ俺も映画引退だな

とか言いながらしかし素晴らしい作品もね

どんどんどんどん

つくられてらっしゃいますけども

あの若松監督も凄くそれによく似ているのかもしれない

と思ったんですね

それはあの「海燕ホテル・ブルー 」を見てね

ものすごくあの若松さんの原型的なモチーフが立ち

現れて来るのを確かめたんですね

僕たちはね

なので

決まって作る歴史ものがあってもちろん構わないんですけれども

力を抜いて、言わば、気ままにね

自分のその自分にとって自然なファンタジを描いていく

っていうタイプの作品を撮られると

僕のようなファンは非常に嬉しいですし

まあ僕これ見てね

あの若松さんの映画の「出口出」名義の脚本をずっと書いてらっしゃった

足立正生さんがね

映画を取ろうと色々準備されてますけど

足立さんが嫉妬されるかもしれないな

と思いましたね

こういう抽象的なファンタジは

足立さんの目指すところでもあり



■若松さん

そうですよね

誰がみてもこれ足立が本を書いたんじゃないかって思っちゃう



■宮台さん

そうなんですよね

なので実はこれはあの足立さんに対する奮起を促す

そういうメッセージでもあろうかと

承りですね

まあそういう意味で

もうあのその死に急ぐのではなく

逆にですね

あのどう言ったらいいでしょうね

やっぱり力を抜いてあの自分自身のやっぱり自然体をお出しになる

っていうふうにすると

周りの人が

嫉妬するような映画ができるのかも知れず

客観的に僕なんか思ったりするんですね


■若松さん

僕はだからあの十七歳の風景も

本当に力脱いで遊ぼうっていう

あれもどんどんどんどんやっぱり北にむいていこうっていう

何で人は北に向くんでしょうって言うのは

あの確か聖母観音菩薩をやっと、ビデオになって

僕はね何十年ぶりで見たんですよ

ちゃんとそれセリフ言ってるんだよね


■宮台さん

でもこれ昔から言われるんだけど

やくざは南に逃げて過激派は北に逃げるってね

不思議なことで

僕も色々考えたことがあるんですが

理由はよく分からなかったんですね

うんでも多分ね

あのロマン主義的なものを

つまり不可能なものに身を投じるという時の

あの不可能性のイメージが

あの峻厳な自然になるのか

それとも人が消え去ってしまうような

そのいわゆる人の雑踏というかですね

人が無数にうごめいているが故に人が消える場所

それこそ崇高の自然であるが故に

人が消える場所

っていう風な対比は少なくともあって

若松さんは明らかにやっぱり北ですよね

あの峻厳な山並みとかね

荒れ狂う波の前に立った時に

人がやはりあの何か日常の枠組みではないものをね選択する

ように迫られるっていうモチーフがありっていうか

その先程も出たけど

特に初期の若松さんさっき何かというと

この海がこうスローションで出てくる

っていうのは僕本当に好きで

でそれはそれは子宮回帰願望なのかどうかってことは

全部横に置くとしてもね

あの何か帰る場所とか

ハイマートってドイツ語で言いますけど

何かやっぱり若本さん

ご自身の帰る場所についてのね

イメージっていうのがいつもあり

だから

「17歳の風景」でもそうですけど

それは北に行くわけですけれども

北に帰るとも言えるんですね

あの少年は彼は実在の事件なんだけど

実在の事件にこだわらないで

撮ってらっしゃるんですよね

でもあれは岡山近辺から出てきたんですよね

確かね

でもやっぱり彼もやっぱり帰るっていうイメージがあって

やっぱりその帰るってっていうイメージは

それが子宮であるかは別にして

やっぱり原型的なイメージですよね

置き換えると

やっぱ北に帰るっていう感じになるのが

若松さんのいいところですよね


■若松さん

うん

ま北に帰るのがなんかやっぱりなんか

自然に自分のなんかまあ

あのこういうまあ職業に就いたもんだから

なんか自然にそういう表現っていうのかな

そういう形になっているのか

とは思うんだけど

本当に自分でねあの分かんないんですよ

その、撮っている時にね

一人でバカみたいに

もう本当夢中になったりね

何でお前ら分かんないだって思ったりね

だからまあだから

周りが簡単に迷惑しちゃうみたい方が

俳優さんなんか

もうあの何で怒られてるか分かんないみたいな

一人だけで分かってるようなところが

自分で反省してるんですけどもね

後で終わった後

あんなに怒っちゃのかなと思いながら仕事してますわね


■宮台さん

あの僕はね

先程申しましたように

若い人たちに時々若松さんの作品を授業で一部を見せるってこともね

やってきていて

あの不思議なことにっていうか

先程言ったように当然のようにですね

どんどん若松さんの作品に対するシンクロ率がね

実は上がってるんですよ

んでそれはもう本当にあの時代が

若松さんの原型的なモチーフを要求している

つまりそれは帰る

リターンということであるのかもしれないし

「ここではないどこか」を求めるということを再度肯定する

っていうことかもしれないですけども

非常に若い人たちにね

若松さんの古い作品を含めてちょっと

見ていただきたいという思いが非常に強いです

あの以前、若松さんに申し上げたけど

僕はあの「ゆけゆけ二度目の処女」のねあの主題歌

今でも暗記して歌えます

はい あの秋山未知汚さんがね歌われるやつですけれども

この映画に出会っていなかったら

あの僕自身のある種、社会性への目覚めとかね

若い人に対する表現への目覚めっていうのはなかったはずなので

そのぐらい若本さんの映画は僕の人生に

影響を与えてきているんですよね

それは多分日本だけじゃなくて

ジム・オルークさんなんか見れば分かるように

海外の表現者にも非常に大きな影響を与えているので

是非あのー映画の批評家や評論家が何を言うかって

あんまり関係なく

自分で見て何を感じるかをね

ちょっと皆さんは特に若い人に

検証をしていただきたいなっていう思いがありますね


■若松さん

そうですね

そしてもうとにかくうん

まああといくつ取れるか分かん

いっぱい撮ってあの世にいきたいとおもってますけどね


■宮台さん

まあのくれぐれも節制をされ無理をせずにですね

あの「海燕ホテル・ブルー」を撮られた時のような

あの感じ。力をぬいて。


■若松さん

あのまあはっきりと

戦後史のまあそういう意味で一番あの大きな事件みたいなのを取っちゃったからね

だからもうこれからもうちょっと気楽に行こうか

なっていう気もあるし

と気楽っていうのかな

なんかあのさらにコツコツしないで

いいだろうって遊ぼうっていう気があるんだけど

そしてまたなんかもう一本ぐらい

なんとかっていうのを考えたりなんかしちゃうところがね

これがやっぱいけないといけないところだと思う

けどあのなんかどうせやるんだったら

まあ人がやらないことは

若松だからやったっていうようなことを作ろうか

っていうふうに思ってますけどね

何か自分の性というか生まれ持ったものが

何かあの植え付けられてやってるのかなずっと

おニャンと生まれた時は

お前はこうなって

死んでいくんだっていうことが

もう運命みたいなのを

なんか付けられたような気がしてますけどね


■宮台さん

そうですねあの

若い方も若松プロにどんどんスタッフとして入っておられるようですね


■若松さん

そうですね

あの若松プロで仕事やってきた人はみんな仕事ができるって。

だからあのあそこで耐えられたら

どこでも耐えられることできるっていう

俺そんなにひどいことをやってるのか

と思って思うくらい


■宮台さん

うんでも実際ね

本当にたくさんの監督がね

若松プロからね育ってらっしゃるし

日本の映画界での人材育成の面でも

あの本当多大な貢献をね

して来られましたけれども

僕はあの若松さん

そうね僕は

中二から見ているんですけれども

うん何か僕は本当不思議ですね

あの僕はね

わりとなんていうんだろ

映画の神に恵まれてるって言うか

僕が好きだなって思う

映画監督や作品後々評価されるって

ことが凄く多いし

あの僕は別に

評判のいい作品に興味を持つっていうふうな形で

映画に接することが全くないんでですね

で僕のようなその映画への接し方は

やっぱり教えてくれたのは

若松さんの作品であったので

あのこれから本当に

若松さんとは何者かっていうのをね

作品を通して感じていきたい。


■若松さん

だから僕としては

やっぱりあのもっと映画っていう武器を使って

これ一つの武器としてね

映画ってなんかあのそれこそ

暴れまわるっていう程じゃないけども

まあ色んな人がもしかしてみて

こういう監督もいてもいいんじゃないか

っていう作品をなるだけ

撮っていきたいと思っています

はい


■宮台さん

ということでえーと

次回作がですね

ここにチラシがありますけれども

六月二日にこの自決の日

11.25

これ三島由紀夫さんの役を

あの井浦新さんがなさっていらっしゃいますね

でその後これも公開日は決まってるんですか?

2012年秋以降に公開決定ということですよね

これは中上 健二さんのあの原作ですねえ

これは千年の遊楽っていう映画でございます

あのここにちょっと書いてありますけど

この一部でこういう風景が

こんな感じの風景が描かれる映画です

末永く映画をお取りくださいたいと思います

本当ありがとうございます


■若松さん

僕はやっぱあの長くやり続けることが

やっぱり人生で一番あの大変だけども

のすごいことだと思ってますんでね

やっぱ若い人もやり続けるっていうことが

必要じゃなかとおもっています。


■宮台さん

そして憧れ続けることも大事で

僕は若松さんにずっと憧れ続けたら

ある時期からこうやって

一緒にお仕事をさせていただけるようなって

ある映画には

一部出演もさせていただきまして

こんなに嬉しいことは本当にございいや

色々本当にありがとうございました






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