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【9/3 キャンプ部屋トーク】 ゲスト:宮台真司 後半(残1H)

更新日:2023年1月14日

「若者はどこから来て、どこへ行くのか。若者とは何か。キリスト教青年会の歴史から学ぶ」




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前半編(2/3h)はこちら↓

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(阪田さん)

学校に無理に行く必要はないと。


(宮台さん)

だって学校に行きたくない理由があるんだからさ

無理に行くことに意味はないじゃん

で、学校に行きたくない理由が親から見て

はっきり見えるようになることが大事で、そのあと、それでも学校に行くための意味がね見つけられるかどうかっていうこと

見つけられないなら学校に行かない方がいいでしょ?

次に、学校に行かなくったって今hいろんなアプリもあるしさ

あの楽しく勉強できるんですよ

それがインターネット時代のいいところで,それによって学校なんか行かなくて学力めちゃめちゃ上がるじゃん

っていう体験を子供ができるじゃん。それ絶対いいことなんですよ

なんだ、学校なんかいかなくたって学力つくじゃんと思えること

それだけじゃなくて、学校に行かないことで学校にいるやつよりも学べることがないかなっていうふうに

親が考えてあげることも大事なんですよね

学校の人間関係ではない、学校外の人間関係もあるし、それを親がどういうふうにセットアップしてあげるのかも

非常に重要だよね。

あと、うちでやっている戦略としては単純で、学校で、同じようにつまんねなあって思ってる友達を見つけろと。

そいつと仲良くなればいいじゃん

そうすると学校はいってるけど、そこは単なるアウェイの空間でありつつ

学校の中の少数の仲間たちの人間関係がホームになるよね

そうしたら学校に行く意味は出てくるよね

問題は構造化して考えると、学校に行く行かない、学校に行かないのは困る、学校に行くと安心

そういう思考から早く離脱していただく必要があるということですね。


(阪田さん)

学校でなんか誰かのこと嫌いって言うと無茶苦茶怒られるじゃないですねって

やっぱ逃げ場を無くすと思うんですよね

キャンプ実践ももうちょっと気を抜くというか、キャンプに50人集まってきて

じゃあみんな仲良くしようねって言っちゃうんですけど、

50人みんな仲いいってありえないから、僕はやっぱ、好き同士になる必要ないっつていいますね。

学校もそういう空間だったらそんなにしんどくないと思うんですけど

なんか嫌いって言ったら怒られ、る好きになれなかったらどうしたらいいんだよっていう話になるので

別に嫌いでも苦手でも一緒に生きていくっていうことで折り合いがつくんであれば問題ないよっていう風に

子供に言ってあげるのもすごい大事だと思うし

大人が変な幻想をもって、なんかキャンプだから全員仲良しとか、学校はクラス全員仲良しみたいな押し付けないほうがいいですよね

それだけでも学校全然空間が変わると思いますね


(宮台さん)

ちょうどね、30年ぐらい前に、僕が本で書いてきたことを、今、阪田さんおっしゃっていただいたんですね。

みんななかよしっていう教育って、先進国では日本でしかやってないんですね

多くの国では、皆それぞれは違う。だから、みんななかよしはありえない

皆さんそれぞれに仲良くなれるやつとなれない奴がいる

しかし仲良くなれるやつって同じカテゴリー同じ属性とは限らない。

白人同士だから、金持ち同士だから、ミドルクラス同士だから仲良くなる、そうじゃない

誰と仲良くなれるのかってことはもっと感情の働きに関わる問題なので

家庭環境、人種、階層、そうしたものを超えるんだよねってことを学んでもらうこと

みんな仲良しではない仲良くなれる奴、なれない奴がいる

仲良くなれる奴って意外なやつだぜ、それを教えることが大事だって、ずっと僕が30年前に書いていたことですね






~~~~~~~~~~~~~~「唯一性の規範」と「贈与の規範」


(阪田さん)

で、敵ながらあっぱれっていうところまで、いってほしいですね

立派な人間同士が引き合うところで折り合ってほしい

そこまで行って欲しいと思いますよね

いろんな家庭環境で子供が育ってるので、なぜそんな男と結婚してしまうのか問題ってのがさっきも話題になって。


(宮台さん)

例えばDVが大変ですとかさ、僕も相談を受けることがあるけど

いやひどいなって思う一方で、なんでそんなひどいやつ結婚したんだよ問題をいつも思うよね

なんでクズと結婚するのか、雑に言うと女よりも男の方がクズ。つまり言葉の自動機械

、法の奴隷、損得マシンが多いんですよ。

僕は徹底して考えた明確な認識があります。

それは結婚のために恋愛するからなんだよね

女の多くは賞味期限を意識し、30までにあるいは35までに結婚しなきゃとか思ってるわけ

そうすると結婚のための恋愛っていう風になった時に恋愛に対するつまり男に対する評価が甘くなるんだよ

だからクズ男と軒並み結婚していくわけ。

恋愛史をたどる、恋愛結婚のはじまりってのは、19世紀の半ばからぐらいなんだけど

恋愛結婚ってのは結婚のための恋愛なんじゃなくて真逆なんです

恋愛なんですが真の恋愛であること、真の心を伴う恋愛であることを示すために最後に結婚したんです。

結婚ってのは、もともと、罪や負債の継承、財産や借金を誰が継ぐのかってことを定めるためのものなんです

これは定住以降、1万年そうなんですね

それ以前、結婚はなかったし、結婚以降、結婚と恋愛、あるいは結婚外の性愛とは

まったく別物ものとして、両方とも肯定されている。

恋愛という概念は、元々結婚している人間たちの婚外愛のことをを言ってたんですよね

日本でも世界中そうなんです

恋愛っていうのは既婚者の婚外愛のことだけを言っていたんです

じゃぁ結婚は実際どうしたの?っていったら、血縁的なつづきがらで結婚する

より社会複雑になると同じ家柄だから結婚する家柄婚になり、

それが最近、近代社会に近づいてくると、恋愛結婚になるんだよね

その人間の、人の方から見た場合の出発点はその愛の成就として結婚する

その直前の時代どうだったかって言うとね

「私にとってあなたは世界の全てです」っとかって言うわけ。

これロマン主義の恋愛っていうんです。

「あなたは私にとって世界の全て」って告白するのはロマン主義の愛、ロマンチックラブなんですね。

でもこれって口ではなんとでも言えるじゃん

だったらそれが本当だってことを証明して、14世紀依頼の古典的な問題なの。


「あなたは私にとって全てだ」

「本当?だったら証拠見せて」

で、昔、貴族の時代はどうしたと思いますか?

「私を見てください あなたを想うあまり病にかかり今は床にふせっていて死にそうです」


病と死が、真の心の証だったんですよ。ところが19世紀にはいってね

印刷技術が普及して恋愛小説が生まれるようになるんですよ

これを読んだ人は私も恋愛したいなと思うようになる

つまり、それが恋愛小説なんですよ

恋愛したいなと思うようになった人たちとって真の心の証が病と死だったらハードル高すぎじゃない?


病や死はいいから、重大な人生上の選択である結婚を持って私の真の心をあかしますと。

結婚のような重大な事柄を愛の証のためにあなたとします。みたいな最初の恋愛結婚だったんですね


でも先ほど申し上げたよう。に今皆さんどうですか?

やっぱり30までに結婚したい。最悪35までにはどうしても。。になるでしょ?

となると、そのときに、手近だった奴をつかむんですよ。


クズ男と結婚する確率があがるじゃん。そんなことも考えられないのは実は自業自得なんです

当たり前でしょ残酷な言い方だけど、考えてくださいよ

結婚のための恋愛っていうふうに考えていて良い結婚って言ったはずないでしょ

だから、まずいい恋愛をすることなんです。

いい恋愛をするためには、相手を徹底して吟味することなんです

そしてその恋愛が深まった挙句にもう結婚するしかないよねってなるような、その流れが

大事なんです

今、ここにいらっしゃるみなさん。わかりましたね

結婚のための恋愛は最悪です。逆に恋愛のための結婚だけが正しいですね

でもこれ聞いてくださっている女の方々も心して頂きたいと思います


(阪田さん)

急激に、圧がかかったよね(笑)


(宮台さん)

もう少し統計的に寄り添うと、今の若い人って恋愛しない人が多いんですよ

大体25年前に比べて恋愛してる人の割合って1/3ぐらいに減っちゃったのね。大学生高校生のレベルで言うと。

でも僕がリサーチをかけると、嫌、三十歳までには結婚しますって言うんですよ。

そんだけ恋愛しなくてその30歳までに結婚しますって結婚できるの?できま。本気になりますっていうんだけど

それが、つまり、結婚のための恋愛になっちゃうよ。それだと。だから

もう18以上になったらもう散々恋愛の経験を重ねて良い恋愛をする

いい恋愛のための男を吟味できるようにならないと結婚して幸せな生活を送れるはずなん1ミリもないんですよ

1ミリもないわけ。

全然、恋愛をしてないとして。みなさんが。もう20歳前後でしょ?


(阪田さん)

いや、もうちょっといってます(笑)


(宮台さん)

じゃぁ ますますやばいよね

それで30歳までに幸せな結婚できると思ってるのはちょっとオツム的に疑われちゃうよってことなんです



(阪田さん)

なんか保育園に勤めてる人が多いと思いますけどね

職業もそうだし、キャンプもそうだけど

自分とこに来てくれたキャンパーだからとか、保育園に来てる子だからOKってすると思うんですよ

それがなんだか自分がこの人と一緒にいたいかっていう視点でやっぱ見なきゃいけない

そしたら多分ノーだとおもうんですよ


(宮台さん)

そういうの、属性主義っていうんですよ

同じ音楽の趣味だからとか。そりゃ友人関係はそうだよ。

でも恋愛関係はそうじゃないんですよ

同じ趣味じゃなくったって全然違う世界をいきてたって何か知らないけど

この人に魅かれちゃうっていうのが恋愛でしょ?

同じ趣味のやつなんて腐るほどいるんだよ。年収が高いやつ腐るほどいるんだよ。

イケメン?bts風?それだって腐るほどいるんだよ

同じ保育園界隈にかかってるやつ腐るほどいるじゃん

全体で見れば。

なのに、こういう属性を満たせばっていうことで相手を選ぶのはちょっとオツム使えばありえないって思いません?

同じ趣味のやつ、同じ界隈にいる奴なんて五万といるんだよ。そこにはその相手じゃなきゃいけない必然性って簡単に見つからないっすよ。


(阪田さん)

宮台さんが最近だされた性愛の本で、「子供。。。」と「大人。。。」とがあって

性愛って聞くともうそれだけでひく人が多いと思うんですけど

本の中で、フランスのロマンチックラブっていうのを引用されて

ただ好きなだけではだめだ、そこに規範がなきゃいけない


(宮台さん)

それが相手の幸せを思うってことと、あなたは世界の全体で、取り換えがききませんっていう。

これは「唯一性の規範」って呼んでいて、そんな最高のあなたがもしかすると私を振り向いてくれないかもしれない

しかしそれでも私はあなたにあなたが喜ぶのであれば何でもします

これは「贈与の規範」っていうふうによんでいるんですね


「唯一性の規範」と「贈与の規範」が、実はただの好きって言うこととは違う

恋愛っていう概念の2つの柱なんです。

皆さんこの話をね、きいて、そういう恋愛がいいなと思うでしょ?

私にとってあなたは世界の全てだっていう恋愛をしたいなお互いに。

さらにお互いの行き違いがあったにしてもでもあなたが喜ぶことであれば

私はそれでは何でもしますっていうことがある。そんな恋愛したいなと思うでしょ?

だからこの恋愛概念は、誕生したのは12世紀ですけども、19世紀で小説が広がることを通じて

19世紀の半ば後半に世界中にいっきにひろがったわけ。

だから今申し上げた「唯一性の規範」と「贈与の規範」を持つ恋愛に無関係で生きられる人たちはいなくなったんです

特に女性は全くいない。

皆さん含めて、私にとってあなたは世界の全てあなたが喜ぶのであれば私は何でもします

そういう恋愛がしたいと思ってるわけ。

それから逃れることは今のところ不可能なんですね。

で、だったらどうすればいいか。そういう相手を見つけるんですよ。そういう恋愛をするんです

逆に言えば、

「そろそろ30だな、手をうたなきゃ。付き合ってる男はまあそこそこいい人だけど、世の中探せばいい人いると思うが

手を打たないと賞味期限が切れる」と。

これが多くの方々の結婚動機でしょ?

そうするとDVね。あるいはセックスレス?

で、気が付いたら浮気されてみたいな。。


やめてください。それは。



(阪田さん)

あなたが世界の全てですけど

あなたにどんな世界が見えてるんですかっていうことなんですけど

のそれは僕が問いかけ変えましたね

子供達みんなからはこのキャンプがどう見えてるの?とか

みんなはこの世界をどう見てるの?って。それを聞かせてほしいっていう。。

僕の中では「規範」っていうのは、テーマなんで、やっぱりこういうトークとか、ワークショップとか

キャンプも何でもそうですけど、そのただ体験ができればいいとか言えばいいとかってことではなくて

そこにあった規範的なものがないと積み上がっていかないし、時間の浪費につながるから

性愛とか恋愛も、やっぱその学問ってすごいですよね。学問とか言葉って。

そうやってきくと、ただ、性愛っていくのと、

「唯一性の規範」と「贈与の規範」があるって言うことを

我々は最も素晴らしい恋愛と呼んでいるんだって思えることでそれが広がるだけで

ぜんぜん違うじゃないですか。

そういう風にもとらえてほししいなと思いますよね。

宮台さんの性愛本はぜひ読んでほしいですよね

あれ、けっこう反響ありますよね?


(宮台さん)

ありますねー。

特に女性の方々に読んでほしい。

世の中にクズ恋愛が増えている中で、まともな恋愛を増やして行こうとすると

その主導権はほぼ100%女性にあるんですね

女性がくだらない男に手を打たないようにすればいいんです。

簡単でしょ?くだらない男で手を打たない!!

タンザクに書いてどこかに貼っておいてください。


(山本さん)

あちこちに貼ろ!(笑)








~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~若者論


(阪田さん)

では、若者論について宮台さんにお話しを聞きたいとい思うんですけど。

今の話もそうなんですけど、そう思えていることがあったときに

連帯があったっていうか、宮台さんの著書のサブカルの帯にも、

「若者はなぜ消滅したのか」って書いてあるけど

宮台さんによれば、今の時代、若者はいないんです。

若者ってのが存在したあるいっときがあって、それが60年代?


(宮台さん)

そうですね。1955年から1973年までの大体18年間ですかね


(阪田さん)

それは何て言うか、どういったことなんでしょうか


(宮台さん)

それは、単に、年齢が若い人を若者って言うのではない

若者っていうのは若者だというだけでお互い、こういう人間たちなんだなって分かり合えるような存在ってことです

単に年齢が若いということだけではなくて大人とは違う価値観を持っているとか

大人とは違う生き方をしようと思っているとかで。

それだけだとそれがわからないと思うけど昔はそうじゃなくてね

若い人ってのは、大人よりも経験が乏しいので純粋なんだね

子供そして思春期、青年、大人だんだん世の中のことが分かって薄汚れていく。こういうイメージなんだよね

昔の若い人は純粋な人っていう意味だったんですよ

ところが1955年、日本だけじゃなくてアメリカとかヨーロッパもそうだけど

反抗する若者、無軌道な若者、そうした若者イメージが出てくるんですね

で、その背景とか話してると時間がなくなっちゃうけど

まあジェームズディーン理由なき反抗とかいう映画とかを見るとね

当時、若者は、社会を信じず、特に父親を信じず、教員を信じずひたすら反抗し無軌道に生きるっていう感じ。

あるいは暴走って言い方もあったね。

理由は、日本の場合は分かりやすいよ

直前まで天皇陛下万歳と言ってたやつが翌日からアメリカさんありがとう

私こそが一番の民主主義者ですとかって言い出した

そういう奴が、教員や親をやっている。こいつらクソなんだっていうのが犯行の理由だったわけね

ところが日本だけじゃなくて60年代、のちの先進国の多くは若者のイメージが変わるんです

それはね、1962年デビューのビートルズとか、1961年デビューのビーチボーイズとか

ローリングストーンズとじゃ。。

長髪、ジーパン、Tシャツ。。それだけじゃなくて

ビートルズを象徴的なものとしてみてほしんだけど、ラブアンドピース。

単なる反抗、暴走、無軌道じゃなくて大人たちが主張しないオルタナティブな価値、愛だ平和だ反戦だ自由だってことを

主張する。それが若者だってイメージになったんです。

それを僕は1955年から1963,4年までの間、否定的な若者イメージ、反抗・暴走・無軌道に対して肯定的な若者をイメージ、自由・未来・反戦・平和・愛、そうしたものを視聴する若者

実は本当の対立ってのは、この若者がポジティブなイメージになった時に生じたんですね

んで、それが学園闘争なわけ、性愛の自由が許されるのか、戦争が許されるのか反戦なのか

あるいはお金を儲けて立身出世なのか全く別の生き方なのか

っていう対立軸での非常に大きなバトルがあったんですよ

でもそれが終わったのは先進各国、どこでも1972、3年、突然終わるんです。若者はいなくなるんです

若者が消滅しました。じゃどうなったのかって言うとお互い若いっていうだけでは

相手が何者であるのか分からなくなったんです

昔は違った長髪・ジーパン・Tシャツ・ミニスカート・反戦・平和・フリーセックスみたいな。。

そういう、若者っていうことは、そういうことだよねってお互い思いあえた

それ全くなくなったんです。日本だけじゃないです。一瞬で消えて

お互い誰なのかわからないっていうところから。。。

どうやって私は恋愛をしたらいいんだろう

どうやって誰かと仲良くなったらいいんだろう

っていうようなことが、問題になったんですね。それは皆さんの時代も続いています

どううやって誰かとつながれるんだろう、

どうやったら誰かと仲良くなれるんだろう

若者の時代にはそんなことに悩む必要はなかったんです

だって同じ若者同士でしょ?っていう感じ。

これが若者時代の消滅ということなんですね。

じゃぁどうして消えたんだろう。どうして若者は消えたんだろうっていうことです。

それは同じ世界に入って一つになる。同じ世界で一つになることができなくなったんです

どういうことかっていうとね。


「欺瞞的な親や教員が偉そうなことを喋ってる不愉快だ! こいつは一体何なんだよ」

これは1950年代から1960年代前半の若い人に共通の体験だったんだよね

ポジティブな時代というか肯定的な若者の時代の話をしましょうか

例えばビートルズが出てきたローリングストーンズが出てきた

1966年武道館公演というのがあって、翌年からグループサウンズ。。皆さん知らないな多分。。

やっぱロックバンドのブームなんですよ。その時に

「なんだこのTシャツ・ジーパン・Tシャツ。。この無礼な奴らが!爆音機で歌いやがって!」

って大人たちがよく言ったんですよ

それに対して、大人たちははわかってくれないと。

「俺たちは若者だからビートルズのよさ、タイガースの良さが分かるよな!」

これがポジティブな若者な時代の連帯なんですね

大人達は全く分かってくれない、しかし若者だったらみんなわかるよその価値が。。っていうものがあったんです

それが若者たちの連帯を可能にした。つまり若者を存在させたんですよね。

そうしたものがなくなった。

分かりやすく言うとみんながほめるアイテム、例えばファッション・音楽・映画・番組。。そういうものが消えたんです

消えた理由の大きな部分は豊かになったからなんです

豊かになるとどうなりますか?金を使って何でもやれるんです。選べるものが増えるんです。

服も選べるし、どうやって遊ぶかも選べるし、海外に行くか国外で遊ぼうが選べるし、いろんなものがの選べるようになると

同じものはみんな盛り上がって「これいいよねー」っていうのがなくなるんです

そうするとさっき言った個人化が始まって、連帯できなくなって今に至るんです。

その間もいろんな歴史がありますよ。細くはいくらでも喋れますけど、大まかには皆さんは若者ではないです

単なる若い人で若い人だから連帯できる、つまり若者であるということはもうないし、今後、永久にないです


(阪田さん)

子供って概念も面白いですよね。もともと子供っていう概念はなくて、

不完全な大人だというものが、17世紀でしたかね?

子供っていう概念に落ち着く。

今、宮台さんがおっしゃったように、若者も純粋で無垢な存在が大人になるにつれ。、汚れていくっていう

そういうのって僕ら誰も知らないですか。それが1つ、ポイントですよね。

僕なんか、ずっと物心ついたときから、大人嫌いだったんですね

1950年代的だと思うんですよ。

なんで大人はわかってないのに分かったフリをするんだろうってのが、ずっと僕はあって大人が嫌いで

反抗するとときはたくさんありましたけど

父に対してはあまりなかったんですけどね、教員に対してはめちゃめちゃあったわけです

反抗的、否定的だったんですよね。


(宮台さん)

でもね、反抗して、あの時代の問題は除くと、反抗期っていう問題としてすごく重要なんですよ

実は今世紀にに入ってから反抗期って無くなっていて、今、中学生の7割以上に反抗期がないんですね

これはめちゃめちゃやばいです!

なんでかって言うと、今、阪田さんがおっしゃったことがとても大事なヒントだ

大人に反発する、父親に反発する、何故かって言うと、偉そうにしてると偉そうに抑圧してくるからだよね

で、それに反発して「俺はお前みたいに生きねーんだよ!」とかっていう風にやってるんだけど

反抗期って、長くて2年で卒業するんだよね

卒業する時のプロセスって精神分析が明らかにしています

要は、自分も所詮父親と同じような、場合によって教員と同じような

あのしょぼいちっちゃい大人になるんだって分かっていくってことです。

言い換えると

反抗期からの卒業って、全能感、オールマイティー感からの離脱なんですよ

パラフレーズするとね

「大きな社会の中の小さな個人になっていくんだ、全能感なんか達成できないんだ

 そういう自分は一部の人間から褒められるが、一部の人間から無視されるだろう、

 だから不特定多数に「いいね押して!いいね押して!」みたいにならない」


ってことでもあるんだよね

どうでもいいクズどもに、いいねボタンを押してもらいたがる皆さんって何なの?

それは全能感は諦めてないんだよね?

なんで全能感は諦めてないのかって言うと反抗期がないからだよ

何で反抗期がないかって言うと、親や教員たちは皆さんを徹底して抑圧する、これが無いからなんですよ

「言うことはわかります。あなたちの言うことにも理があるでしょう」

そんな親は昔なかったんですよ、「バカヤロー!俺の話を聞くんだ!コラー」ってね。

そういう感じだったんです。教員もそうです。何かっていうとバーンってシバかれました。

反抗期が無い方がおかしいでしょ?

体罰は禁止?そのとおり??。体罰がないほうがいいですね??

怒鳴ってはいけない?そのとおり??。怒鳴らないほうがいいよね??


はい、しかしそうするとね。社会はいいとこどりできない。

つまりみなさんから反抗期がなくなっていくんだよ。

そうすると、みなさんは全能感を諦めるチャンスがなくなり

いつまでたっても承認を得ようと、うろちょろうろちょろする承認厨になるんですよ。


(阪田さん)

全能感からの離脱ってめちゃめちゃ大きいですよね

宮台さんもおっしゃっていたことで、

自分の身近でもそんな問題があって。。

うちの会議でもそういう人間がいてすごかったですね

本当にそのようだなと思って。

思春期がなかったんでしょうね、全能感から抜け出せないと。。。

1955年から1963年ぐらいまでが否定的な若者の時代ということなんですね。

YMCAってキリスト青年会で、今我々が持ってる枠組みって、この時代じゃないですかね

肢体不自由児キャンプもそうですよね

キャンプ解説もそうだ、し今の枠組みって多分この時代ですよね

肯定的若者の時代っていうのは、その後かぶさっててキャンプは平和を作るとか

そういうようなラブ&ピースみたいな方向に完全に入ってるなって僕は思います。

その後、その連帯が亡くなったけど、その枠組みの中で僕何やってるんで

まあ個人化してるけどもやっぱこの二つはすごい感じます

すごい大元になってるなと思うのは、否定的若者文化の生み出したものじゃないかなって

今、話を伺っていて思いました。

今は”そこ”に戻ろうとしているような気がします

そこをやっぱりもう1回ルネッサンスじゃないけど、そこに立ち返ろう立ち返ろうっていう。

昔、名物キャンプ長ってのがいて、その方はもう亡くなられていますが、

それは、語彙が少なくてボケカス死ねっていう事しか言わず、それで愛情を伝えていた方で。

その方はヘタレが嫌いなんですよ。とにかくヘタレはダメだって。

今のこれからの若い子達っていうか

YMCAが対象にしている青年たちってのが、若者が復活しないにせよ

ある界隈としていうか、「あいつらには分からない俺たちには分かる、俺たちはこうするんだ」ってのがあった方がいいと思う


(宮台さん)

皆さん、今の社会に普通に適応してそうに見える大人達とは別の行き方

別の生き方を支える価値観を持って欲しいんですね

日本人はその意味では、劣等の民族で、色んな地政学的な理由でね

ヒラ目キョロ目、上を見て合わせ、周りを見て合わせ、って生きてきたところがある

昔はそれで良かったし、それが美徳だった時代もあるんだけど

まぁこの数十年はそれはむしろ美徳よりも醜悪な悪徳なんですね

だって社会は間違った奥に進んでる時に上を見て適応し合わせ、横見て周りを見て、適応し合わせ、

はっきり言って即死刑のクズでしょ

この社会をダメにした理由を徹底して考察し、ダメにした人間たちの生き様を徹底的に批判した上で

俺たちはそういう風には生きない、自分たち私たちはそういう価値観は持たない

私たちが持つのはこういう価値観なんだっていう風に価値を貫徹するって言うね

そういう方向に行っていただく必要があるんですよね

かつて若者の時代には、若者たちはまず、否定性を共有したんだよ

「大人達は、親も教員もクズだー」、そしてその後、肯定性、つまり単に肯定するだけじゃなくて

「俺たち固有の大人達とは違う価値観はこうなんだ ラブ&ピースなんだ」

って言うようになった。

だからそこに阪田さんがおっしゃるようにやっぱり守るべきところはあるんですよ。

で、若者って言う連帯は、もうないでしょうね。

しかし社会という荒野を生きる仲間たちの連帯はあるんじゃない?

この社会はクソだよね、不愉快だよね、でもそれ言ってるだけじゃ始まんねぇから俺たちの新しい界隈を作ろうよ

それはこういう価値観に基づくべきなんじゃないの?

そういう仲間たちは作れるじゃないですかっていう風にしてもう若者の時代は終わったんだけれど

この時代にあり得た疑念、あるいは反抗、反抗だけではないオルタナティブな価値、

おそらくそれによって社会が良くなり人々が幸せになるであろう価値、

そうしたものを発信して連帯していく、その連帯して出来る範囲を仲間と呼ぶんです。

そういうふうな生き方が必要じゃないでしょうかね。



(阪田さん)

さっきいってたキャンプ実践にも、もちろん紐づくし、

若者が否定性と肯定性の中で連帯できてると思えてた前提条件っていうか何が支えていたのか

っていうのを、もっと勉強してっていうか、言葉にしてね

そう考えるとキャンプ部屋がなくなるって事は、いいですよね、否定性でいえば

思えるじゃないですか。「なんでわかんねーだ」って。

でもそれで、甘んじてそれに反抗するのか、じゃなくて、こんな価値で、自分たちで作ったし、って

そういう実践があるから、そういう風に考えると処方箋としてはすごいわかりやすいし。

実践できていくかなぁって思いますよね

だから宮台さんおっしゃるように、若者っていうのはもう無いけど

それをそのままスライドさせて私たち・俺たちっていうものに突き進んでいく

本当に価値の貫徹って難しいですよね

日本人っていうことでいいと思うけど


(宮台さん)

まず価値を貫徹する奴は変人扱いされるんです

僕もアカデミズムでは完全な変人扱い(笑)

坂田さんも、恐らくYMCAの中では変人扱いですね。

山本さんも似たりよったりだと思います。

周りから、ノーマルだ、普通で、平凡だ、と思われたい人は、その段階で資格を喪失しちゃってるんだよね

変人だと思われることを厭わない、それどころか日本ではね

最初に変人になってレッテルは貼られると楽なんですよ

「誰だそれやったのは!」、「坂田です」、「なんだ阪田かぁ~」みたいな。

それは僕の生き方の教えでもあるわけ。

「誰だ期限まで書類だしてないのは!」、「宮台です」、「また宮台先生か~」みたいな




~~~~~~~~~~~~~~~~~~戦争責任と日本の劣等性

(阪田さん)

もう一方というか、違う視点で宮台さんにお伺いしたかったのが1945年敗戦、

YMCAに関わっていた当時の青年っていうのは、戦争から帰ってきた人達ですよね

戦前、明治から戦間期っていうのは、キリスト教指導者がYMCAに集まってきて

この国を欧米列強に負けないような国にするんだっていうスローガンのもと

キリスト教っていうものを通して、若者を育てようとした

で、それが途中、社会主義とか共産主義に傾いた時もあるし、軍国主義に加担したっていうのもあるんですけど

それちょっと置いといて、多くの人間が死んだと思うんですね。戦争で。

生き残った人間がもう1回YMCAに再集結した時に、二つの軸があった

一つは戦争責任の告白ってことで、軍国教育を受けたにしろ、なぜ止めれなかったのか、結果的になぜ加担することに

なったのかっていう強いリグレットがあった。ってのが一つの側面。

でもその雰囲気っていうか気分みたいなものは朝鮮戦争が始まった時に変わったと。

そっから民主化の要請みたいなものが、社会からとにかく民主主義だ、フォークダンスだ、なんだっていうのは

結構日本で広めたんですね。GHQの依頼をYMCAを通して。いろいろたくさんやったので。

そこで一回戦争責任の告白ってのを、ひっこめて、時代の要請に応えることをしなければいけなかったんだって

そういう回想録があるんですけど。

それがちょうどして否定性の時代の話で、1960年代にもう1回、それがYMCAの存在意義みたいなところで

蒸し返されるんですけど、僕は読んだ限りでゃ、あんまりそこに蒸し返されなかったというか

その肯定性の時代だったからなって気もするんですけど。

戦後の日本ってことを考えたときに、戦争責任みたいな物ってのは、どんな感じだったんですかね。強く感じてたんですかね。


(宮台さん)

日本ではね、よく言われることだけれど、加害責任を十分に自覚するっていうことがないまま

広島長崎の原爆、東京大空襲、高松その他の大空襲は、民間人が80万人も殺されたんですね。

民間人の殺害は戦争犯罪なんでね、戦争犯罪の犠牲になった。

その被害体験こ、れをベースにして、そっから先が非常に日本的で興味深いんだけど

被害体験の理由は、アメリカが悪かったから・戦争犯罪を犯したから、ではなくて

私たちが悪かったからっていうふうな反省に結び付けたんですよね。

だから日本では加害体験ではなくて、被害体験に照準した上で、被害体験を、被害を与えた相手じゃなくて

どうして私たちはこの被害を受けるようなダメな統治を、軍事的な誤りを正せなかったのか

っていう風になっちゃったんですよね

そういうで今、阪田さんがおっしゃったYMCAの出発点、どうして私たちは戦争を止められなかったのかっていう時に

ポイントになってるのは、加害体験じゃなく被害体験なんですよ。

どんだけの加害をどれだけの場所で、どんだけ具体的にやってきたのかっていうことは

日本ではドイツと違って全く語り継がれていないんですね。

その意味で私たちは戦争を止められなかったっていう意識の大半は

自民族、あるいは時刻中心主義的なものだということができます


(阪田さん)

その話をよくされていた今井鎮雄さん(※)っていう方はアーネスト・ゴードンって人の

イギリスの戦争捕虜だった方の手記をよく、キャンプファイヤーでも話されていて、

その方はやっぱり加害体験ですよね。


※今井鎮雄:1920年に東京に生まれ、同志社大学を卒業、

  上海で敗戦を迎えました。その後1946年に灘購買組合(現在のコープこうべ)、

  1948年に神戸YMCAに転じ、余島キャンプを創設。


そのときに、人間が戦争の戦時下に置かれると敵兵の残飯も食い漁って食べるとか

死にそうになった兵隊の金品をあさって、闇市に売りに行くとか

日本軍のやったことに加えて、その野蛮な日本軍の行為に抗ってたはずのイギリス兵も同じような状態になる

っていうのを見た時に、人間の尊厳って何なんだろうかっていうことを強く思ったんですね

で、日本に帰ってきてどういう風に伝えて行ったらいいかってなった時に、キャンプだってことで、

キャンプ場を探して、余島を探したっていうのが、余島キャンプの歴史になるんですね。

これはちょっともうちょっと詳しく僕もインタビューしなきゃいけないですけど

印象では、何人かキャンプ100周年時にインタビューしたんですけど

敗戦には、成人だったかたっていうのが、加害体験というか、加害意識がすごい強いんですよね。

敗戦時に高校生だった世代っていうのは、巻き込まれた感っていうコメントも多くて

そこはやっぱ世代間のギャップですね。


(宮台さん)

加害体験のある人たちは、お互いに発言を封印しあった。

80年代に入るまでね、日本軍による加害体験について

日本人が情報として共有することは非常に難しい状態にあったんですね。

1952年にサンフランシスコ講和条約が発効して以降の話になるけど

YMCAだけではなくてね、日本社会全体が、分かりやすく言うと

当時の西側先進国と同じようになっていくと良いんだ、経済が豊かになり

なおかつ、ますます政治が民主化して、つまり

政治に人々が参加するものになっていくということによって、社会が良くなるんだっていう話になっちゃった訳です

なっちゃったっていうのはね

それはもう僕は当初から、当初からっていうのは、若い頃から否定的だったからです

で、それは三島由紀夫の影響を強く受けていた点があります

いいですか皆さん考えてほしいですね

私たちは被害加害を含めてあの戦争あるいは戦争に関わる統治を止められなかった

それは私たちが、ヒラメキョロメの劣等性があったからだ

そしたらねヒラメキョロメの劣等性をそのまま放置して

人々が政治に参加するようになれば社会良くなりますか?

普通オツム働けばそれが無理だってわかるよね

トンマが作る民主制社会はトンマな社会になっちゃうでしょ?

だからその問題があのー実は十分に考察されていないまま

なぜか日本は民主主義社会になった感に蔓延していく訳です

それがいわゆる1955年体制って言われるけど

もはや戦後が終わったっていうことは1956年ですけど。1955年以降の話なんですね

もう一度言うと1955年以降、さっき否定的な若者の時代っていうことだったけど

別の角度から言うと戦後が終わったのが50年代以降ですね

戦争が終わった後っていうのは民主主義社会になりさえすれば良くなるっていう風に

人々が思い始めた時代で、民主主義社会になれば良くなる?

何言ってんだよ。と。

前日まで天皇陛下万歳とかって強制してたやつが

「お前天皇に万歳しないのかー」って、ビンタしてたやつが、

「はい、皆さん今日から私たちは民主主義者で教科書のお墨付きをしましょう」

そんな奴等が民主主義を主張していい社会になるわけないじゃん

正しいですよ

だから皆さんも、民主主義の国になればいい社会になるとか思うのやめてください

トンマが溢れていたら民主主義によって社会は一挙に崩れていくんです

今の日本のように。

クエスチョンマーク浮かびますか?


(阪田さん)

民主主義ってね、言葉ではたくさん聞いたことあると思うんですけど

なかなか分かりづらいっていうか、実感しづらい、民主主義が当たり前だし

それが良くないんだっていうか、仕方なく民主主義やってるっていうことなんですよね

それがまず一つですね。それはちょっと置いといて

YMCAの話にも一回戻すと、YMCAも日韓併合してるし、日韓併合っていうのは1910年かな

1910年の時に、植民地的っていうか、侵略的に日本が国としてもやってた時にも

YMCAも同じようなことをやってるんですね、で、中国にも行ってるんです南京に行き

そこに日本のYMCAを置くみたいなことをやってるんです。戦時中ね

その歴史はあんまり聞かないじゃないですか。YMCAって。

それはあの教会キリスト教会としてもそういう問題はあって、で、歴史としてはそれはあるんですよ

で、僕が直接聞いて、これもインタビューで聞いて、なるほどなっていう風に思ったのは

もう宮台さんが今おっしゃる通りで、その本当に戦敗前までは、軍国主義的にやってたのに

敗戦になったとたんスーツを着て、「僕たちは元々民主的だったからね」って言って働いてるやつがいたってことですね

それに嫌悪感を抱いたっていう今九十歳超えてる方のそれはインタビューですけど

YMCAは、やっぱそれはあったんですよ

だからそこは何ていうんだろう、そういう風にちゃんと見たほうが良くて、解像度を上げるっていうか

単純になんかね、若者とかキリスト教青年会っていう風にしちゃわないで

やっぱり自分たちが何をやってきたのかっていうことに

僕はまず戦後に向き合うのがスタートだと思うんですね

そのあとやっぱ明治っていうか戦前だと思うんですけど

特に日本は戦後に向き合った方がいいと思う

で、ドイツはね、あの顔のない人たちって映画見れば分かりますけど

やっぱ徹底的にやってて、今もやってるじゃないですか


(宮台さん)

毎年何本もね、ヒトラー時代を反省する、ドイツ人を批判しまくる映画をドイツ人が作ってるんだよね

いい映画がたくさんあります。毎年ね。


(阪田さん)

いまだに戦争犯罪であの90歳だろうが95歳だろうが牢屋に入れて懲役10年とかやってるんですよね

日本の国としてとかはそれはできないとしても、やっぱりYMCAは戦前からあるという大きな1つの財産だから

自分たちはそのまま明治のことをちょっとお話しするとイメージしやすいですけど

別に間違うと思ったわけじゃないですね、やっぱり、一生懸命やってたんですよ。ある意味で。

若い人たちは若い人たちなりにやって、青年たちの力を使ってやってこうってなった結果として

いろんなことが起こってる訳ですけど、少なくとも、余島っていう場所でキャンプをやってる責任として

やっぱりなぜ余島が生まれたのかっていうと、戦争があったからだから

じゃあ戦争ってキリスト教青年会にとって何だったのかっていうのは

やっぱ振り返るべきだと思うんですね

だからそうそういう意味で宮台さんのお話が聞けるのもすごい嬉しいですし

だから凄い不思議な感じなんですね

戦後のその感じっていうのが。本当にもう戦後民主主義教育の一環としてのキャンプって

その言葉の自動機械的に僕らを浴びるですよ

ああじゃあキャンプは民主主義をまあ、成功させるためのものなんだっていうふうに

そこから思考を深めないんですよね。


(宮台さん)

特に若いみなさん多いので、あのちょっとそういう民主主義バンザイっていう風に日本がなったからくりをお話ししましょうか

戦時中、最も戦争翼賛していた新聞って朝日新聞なんですね

朝日新聞の伝統でポピュリズム新聞なのでみんなが軍国主義万歳って言ってたら軍国主義新聞になる

これが朝日新聞の体質です

朝日新聞がある時期は90年代、それは反省していた時期もあります。一応言っておくとね。

でもポイントは、朝日新聞が悪いってこと言いたいのではなくてね

僕たちは戦争を上に言われて仕方なくやったんじゃないんですよ

むしろ逆で、我々が人々は一般民衆が「

戦争しよう 大陸に進出しよう 欧米鬼畜米をたたきつぶそう」っていう風に言っていたわけ

その動きに迎合する新聞もあったけど、軍部も政治家も実はそういう民衆の動きを前提にして

軍国主義化していったっていう歴史がありますこれが第一段。

さて日本は戦争に負けました。

誰が悪かったの?どう考えても日本国民のほぼ全員が悪かったんですよ

でもそのような話にしてしまうと、日本の戦後復興を誰も助けてあげることができないから

さてそれがさっきの1952のサンフランシスコ講和体制とか二国間講和は、アメリカと日本の間の講和体制っていうんだけど悪かったは、天皇陛下ですか?違います。

悪い方は軍部です。

天皇陛下も悪くなかった日本の一般民衆も悪くなかった

そこで永久戦犯っていうですね。概念が捏造されて、多くが処刑されていくということになったんですね

もう一度言います。

日本みんな全員殆どの国民が悪かった。もしかすると天皇も悪かったのに

天皇も日本国民も悪くない。悪かったのは、軍部、軍部に迎合した政治指導者だ、

ということになった訳です

だから日本は戦後、アメリカ軍GHQが書いた日本国憲法に従って象徴天皇制やったわけ。

なぜ象徴天皇制になったの?

天皇が悪かったか悪くなかったからちょっと横に置くけど、日本人がね、民主主義者になるのは簡単

天皇陛下が日本人。

子々孫々のために皆で民主主義者になろうって言えば、日本人は速攻民主主義者になっちゃうんですよ

なったでしょ?

つまりこれはアメリカによるかなり早い段階、戦争が始まってすぐ、1941年までにですね

既に作られていた、天皇は処刑しない、日本占領したら天皇陛下に民主主義を呼び掛けてもらう

そうすると日本人はヒラメキョロメですから、一挙に民主主義者になるっていうね

こういう設計に基づいていたんです

だから天皇と日本一般民衆を免罪する必要があって、永久戦犯っていう概念を捏造して

そこに責任を押し付けるっていうことをやったんですね。

これはね残念だけどいいも悪いもないんだよ。

我々それによって戦後体制を作らせてもらえて、経済復興をさせてもらえて、

西側先駆性先進国の一員にさせてもらえてるわけ。

そのヘリテージっていうけど、相続財産の上に我々乗っかっちゃってるんで

もういいも悪いもお前もその盗んだ飯食っちゃってんだけど。。それに近い状態なんですよ

なのであの永久戦犯、確かに今言った政策的な理由で捏造された概念なんだけど

それを否定して、いや天皇も悪かったし日本国民も悪かったって言い出したら、収集つかないよ

ということなんですね歴史って難しいでしょう

そういうある種ねじれとかあるいはその矛盾の絡み合いの中に戦後体制があるんだっていうことを

ある程度わかるっていうことが必要なのね。

ちょっと難しい話かもしれないけど、そんな難しくないかもしれないね

あの僕は子供達、うちの子供達に実験的にこう話してるけど

大体小学校三年生ぐらいになれば今の話は分かります。

日本人は永久戦犯にそういった押し付けることによって、みんなに助けてもらって

西側先進国の仲間入りをさせてもらったということですね

だからそんなにクズが、本当にね戦争推進万歳とか言ってた日本人がね

はい、今日から民主主義者になりましたとかっていい社会営めるわけないじゃん

これが若い頃からの僕の認識です。ずっとしゃべってたんだけど

いや、日本はいい国にどんどん進んでるとかって言ってたのが、最近になって「いや~宮田さんのおっしゃるとおりでした」

遅せーよ!って感じです。



(阪田さん)

ポピュリズムって、言葉として多分聞いたことあると思うんですけど

人気取り合戦ということですそれはすごい注意しなきゃいけないです。

うちは、大学生が、リーダー会っていって任意組織組んでるんですよね

自分たちで会長を立てて、やっててで、人気とりは迎合だから、そっちに合わしていく、合わしていくっていう中で

予定調和してやっていくっていうことだから、すごい身近に感じてほしいですね

ポピュリズムっていうかね、そういうもの。


(宮台さん)

あと、十分ほどだから、質問とかの方がいいかもしれません

いろんなネジレの中にいたので、YMCAもその中にいて、YMCAの中もネジレていたと思う。

悪かったとかよかったとか言っても意味がないんですよ


(阪田さん)

そうそれはやっぱりちゃんと理解したほうがいいですよね

GHQの指導者が来て。。。書いてあるですよ

百年史には。で、レクリエーション教えに行ってくれとか、何とか委員会とかっていうのは

全部戦後のそのGHQなものによって作られたプラットホームっていうか図式だから

その上に乗って戦後復興確かに遂げたし、YMCAもでかくなったしキャンプ場も運営できるようになったけど

それによって失うっていうか、あの苦しくなってるものもあるって

今それを見る時時期から時代かなっていうような気がするので

今回こういうまお話を宮台さんとしたいなっていう風に思ったんですよね

だから単純に

我々は若者とか青少年のためのっていう風に歌ってるけど

それはもっと解像度を上げなきゃいけなくてもっとやっぱ厳密に考えて。

簡単に使うんですよ。。。我々も。

地域とか共同体とかアソシエーションとかっていう言葉を使ったりするんですけど

コミュニティとアソシエーションの問題ももっとやっぱり厳密に考えないといけないし

そういう意味で若者の時代っていう話と戦争のところの話ができたのは良かったな。


(宮台さん)

ちょっとね若い人が多いので。

あの戦争に加担した人たちの中にはね、あのーいわゆる単なる好戦的だった

差別的だったやつだけではなくて、えーある程度真っ当なやつもいたんですよ

それをアジア主義者っていうふうにいいます。

アジア主義の歴史は非常に古いです。

明治の初年からま、早い時期からあります。岡倉天心とか西郷隆盛ですからね

でね、ラストサムライっていう映画を見ていただくとわかるけれども

明治の最初の頃にはね、日本が近代化して富国強兵化するにしても二つの道があると。

一つは単なる富国強兵化か。つまりこれを単純欧化主義っていいます。

戦後で言えば欧米化に近いけど。。。ヨーロッパのようになればいいんだっていう考え方で。


もう一つは西郷隆盛とか岡倉天心のアジア主義の考え方で

単にヨーロッパのようになる、単純謳歌するのであれば確かに富国強兵化はするが

しかしそれは日本でなくなるんじゃないか。。。

意味がわかります?ヨーロッパと全く同じようになって富国強兵化するのであれば

それは、もはや日本じゃないんじゃないか

むしろ日本が日本であるということの本質をいかに保ちながら

富国強兵化するのかっていうことを考えるべきじゃないか

これがアジア主義者たちの考えだと思いますね

これが第一弾。


でね、その後ですね

欧米列強が中国をあの簒奪(さんだつ)し占領していくっていうことがある

その中でどのように生き残るべきなのかっていうことが問題になった

アジア主義者ってなぜアジア主義者っていうかって言うとね

欧米とアジアは違うと。欧米は文化なき最近のつまりあの軍事力だけ力だけでのし上がっ生きている文明であると。

それに対したアジアは古い歴史がある力よりも美しさ・ビュティですね、そうしたものを尊重する文明である

文明としてはヨーロッパよりもアジアの方がはるかに上である、

しかし最近の軍事化・富国強兵化に軒並み失敗したアジアは今、欧米列強の支配下にある

これがアジア主義者の考えなんですね。

で、その時にアジア全体を解放するために日本は動くべきだっていうアジア主義者の発想。

つまりまさにそれがアジア主義なんです。アジア主義っていう意味なんですけど

福沢諭吉がね、脱亜論という重要な文章で

「言うことはわかるとその通りだ。欧米列強に簒奪されず、アジアをそのひとまとめに救済し

存続させることが大事なのはわかるが、今それを言えば、むしろですね

日本の力が分散されて欧米列強にアジア丸ごと簒奪されてしまう

だから今ここではアジアどうのこうのっていうことは一旦横に置いて

とにかく欧米列強のように富国強兵化することだけを考えよう」

これを脱亜論っていうですね。

これが第二弾ね。


次、第三弾。戦争の時の話をします

アジア主義者たちはね、特に日本の帝国陸軍の中国拡張戦略に反対したんですよ

これアジアの解放どころかアジアの抑圧であり疎外であるとこんなものが認められないと。

ところが日本国内では、そういうアジア主義者は自由主義者と並んで次々捕まえられて

牢屋に入れられて拷問されて死んでいくいうことが起こったんですね

そこでアジア主義者たちはどうなったか。どういう風に考えたかっていうと

そう! 福沢諭吉のように言い出したんだよ

今ここでは戦争に勝つために、挙国一致国を挙げて一つになることが重要で

戦争に勝った暁に、その強くなった日本がアジアを解放すればいいんだっていう二段階で考えるようになったんですよね

で、これって微妙だよね

日本って日本人っていつもそういう風に考えてるんです

ここは一つなりすまして権力に服従するふりをして、時期が来たら一点自分たちの志を貫徹しようっていうね

で、そのすべての場合によって今日詳しく言わないから。

全ての場合においてミイラ取りがミイラになってるんですよ

わかります?あれ最初の志は貫徹することはどこ行ったのかっていう風になっちゃってるんですよね

で、そこが弱点。日本の民間右翼団体の歴史も全く同じなんです

右翼って、もともと反権力、反国家なんです

でもそのうち右翼っていうと、国家主義だってことになっちゃうんです

で、それも今、民権だとか、民の自由だとかそう民権って右翼だったんですよ

民権なんて主張していたら富国強兵こそが第一の目標たるべきこの時期に国力を弱めてしまうと。

民権ではなくてとりあえず国権こそが大事だというふりをしようと。

しかしその後、国権主義的な時代になる明治20年代以降ね

その後民権なるものの復活の兆しが見えたこともなくなっちゃった

まあまあ、枚挙にいとまがないんです

吉田茂、白洲次郎図式っていうんだけど、日本ってさ

ご存知のように憲法の9条でね、軽武装、あまり武装しないでアメリカに基地を返して

アメリカに守ってもらうっていう図式でしょ。

これも最初はこういう戦略だったんですよ。今、日本は国力が乏しい。乏しい国力を軍事力、軍事に振り向けてしまえば

経済の復興が遅れると、なのでここはもう仕方がないと。アメリカに基地を与える、貸しますと。

その代わり日本を守ってください。えーつまりある対米追従をすると。

アメリカの言う通りやりますと。で、その代わりつまり軍事的に日本を守ってもらう代わりに

日本は国力を経済に集中させます、っていうことは、えー日本が豊かになり、なおかつ冷戦体制が終わった暁には

対米追従を出して、基地を貸すこともなく、自ら軍事力を持ち、外交的な主権国家になる

っていう図式だったんですよ

でもそうなりましたか?

いつまでだっても対米ケツナメ国家であり続けてるよね。

それどころか対米ケツナメ国家に反対しようとするやつは、日本国内で足を引っ張りあって潰されるんですよね

だから日本は対米ケツナメ国家でしょ。

アメリカのケツをなめる、霞ヶ関官僚のケツをなめる、政治家のケツをなめる、マスコミのケツをなめる、評論家のケツをなめる、日本国民。はい。これを僕は、ケツ舐め連鎖のムカデ競争と呼んでます。

吉田茂、白洲次郎図式はどこに行ったんでしょうね

はい、これがミイラ取りがミイラになる図式がとっても得意な日本人の劣等性なんですね

長く続いて長く反復されているまさに劣等性なんです。


(阪田さん)

それやっぱり人が変わっちゃうからですね?


(宮台さん)

だから僕はなりすましを推奨してるけど、なりすましてるうちになり切っちゃうんだよね。本人が。

それは貫徹への思考、さっきの価値の貫徹に対する思考が弱いんですよ。

それが徹底的なやっぱり劣等性につながってるってことですね


(阪田さん)

劣等性ですからね


(宮台さん)

問題を反復してきている劣等性です


(阪田さん)

YMCAでやってるとアメリカとの関係って、日本のYMCAってやっぱアメリカ好きなんですよ

大好きだから僕もやっぱそうやって教わってきたし、アメリカいいなって思った時期も結構長かったけども

こういうの知っていくと、やっぱある程度距離をと思って。。


(宮台さん)

そこね。難しいから。僕はアメリカはいい国だったと思うよ

だって日本が。。。ま、ひどい国だと思うけど、それでもこういうインフラを整えるその基盤を与えてくれたのはアメリカ

あるいはG7って言われる国の一角になれたのもアメリカのおかげなんですよ

ね、でもねアメリカから見れば日本でどう見えるかっていうと

それこそマtカーサ元帥が言ったようにね、やっぱり十二歳の子どものままなんだよ

だから日本が、もし大人になる気概を見せいや

どうも大人になりそうだっていうことになったらね、アメリカも対日政策は当然変えたはずなんですよ

でもいつまでたって、対米ケツ舐めに始まるケツ舐め連鎖のムカデ競争をやっている

本当に幼稚園児の戯れのような日本なんですよ。

だったらアメリカから見ると日本どう見えますか?

トンマな国に見えるわけです。

アメリカから日本は一貫してトンマな国に見えてるわけ。

アメリカはね、百以上の国と同盟関係を結んでいますよ

日本の政治家なんです何かって言うと、アメリカは日本の唯一の同盟国です

百人の恋人がいるやつそれがアメリカですよ。で、日本にとって恋人はアメリカだけ?

この立場の非対称性ありえないでしょ。

日本にとっての唯一の同盟国はアメリカって言ってる時点で、即死系でしょ!

わかりますよね?言ってることはね。

だからアメリカはそういう即死系の日本を徹底してばかにしてる訳です

ばかにされるのはいいですか?

アメリカ悪いの?日本が悪いんですよ!

ばかにされるだけの劣等生を持っているからなんです。


(阪田さん)

そうですね、だからあのーちょっとまとめっていうか最後の方になってきますけど

YMCAは明治に起こってるんですよね。日本の中で。

それはやっぱり謳歌っていうか、その欧米列強が来て、それにこう、近代化を持ってなんとかしようという

さっき宮台さんのお話したようなところにYMCAもやっぱりあって。

で、キリスト教っていうのが中心にあり、じゃあ日本の青年たちは何をするのかっていうことで突き進んできた

で、その時にアメリカとの関係とか、まあ近代化を急がされたってのが一つの、外からの大きな圧力ですよね。

この「沖縄うりずんの雨」、これあの沖縄のドキュメンタリーですけど

これ見てこの年表で僕初めて知りましたけど、琉球処分(※)っていう、はじめっから沖縄も狙われてたっていうことですね

1879年の段階からアメリカにとってみたらやっぱり必要な国っていうかそこを統治するっていうか狙ってたっていうことですね

日本のことを。沖縄を含めて。


※琉球処分:「琉球処分」は,琉球から清国への朝貢関係などを断絶させ,

      一つの県として日本に統合するために明治政府が行なった,

      1872(明治5)年の琉球藩設置から1879(明治12)年の沖縄県

      設置までの一連の施策をいう。


そういうま大きな時代の流れ。中国ってやっぱでかいじゃないですか

三国志とか映画見ててもでかいし、中国の漢民族の方とかと話すると

朝鮮ってどう見えるんですかとかって僕なんかわざと聞いたりするんですけど

やっぱりそのなんていうか昔のその図式のまんまですね今もね中国っていうのが挑戦っていう半島があって

その先に日本っていうのがある程度のもんですよ。日本って。

その大きな流れの中にいて、日本は、明治近代化の波があって。戦争を経て今があるっていうふうに大局を見た時に

今、我々はそのある種の若者的な連帯を見せることができる立場として、何をすべきかっていう風に対局で考えるっていうのも

すごい大事かなっていう風に思ったので、今日はこんな話ができて良かったなっていう風に思うんですね

だからそうするだから色んな最最初の方の話に戻りますけど、

色んなものから距離が取れるじゃないですか

その中に入って、だから我々がYMCAって何かって考えてるのもアメリカの型にはまってるだけだったら

戦後のある種の型にはまってるだけだったら、そこから抜け出せない訳で、

だからそういう意味でいろんな視座っていうか、いろんな立場でちょっと引いて見れるんじゃないかなっていう風に思うので

YMCAはもちろんそうなんですけど、YWCAっていうのもそうだし、

広く戦後青少年育成団体っていう風に言われてるような、名乗ってるような歌ってるような私たちにとって

若者とは何なのか、

若者が可能にしてた連帯っていうのは今どうやって復活できるのか

社会は確実によくなってないけどじゃあ若い人たちをどう見るのか

っていうのは、やっぱこのコロナがあったからこそ、真剣に考えなきゃいけないし

是非色んな界隈でこの二年間っていうのを

ちょっと精密に振り返ってほしいなっていう風には思いますね


(宮台さん)

「沖縄うりずんの雨」でね、アメリカから見えた日本の話をされたのでね

中国から見た日本の話を本当に短くしますね

今皆さんが学校であるいは天気予報で見せられる日本地図って、日本にま中心が日本にあって

右側っていうかま東側に太平洋が大きくあり、西側つまり左側に朝鮮半島中国がある訳ですよね

でもあの中国にいくと、中国の学校や政府の機関には中国の地図がもちろん貼ってやるわけだよ

中央にはでっかい中華人民共和国があってで、その皆さんから見るとこっち側だけど東側というかですね

はじっこの上のほうに、いつでもひっこ抜ける盲腸のようにして、朝鮮半島と日本があるわけよ

で、あの僕よりも世代が65歳以上の人たちはかなり日本に対するリスペクトってまだ持ってますけど

僕よりもある程度世代が下になると、もうはっきり日本や朝鮮はいつでもひっこ抜ける盲腸だって言ってるんですね

これがもう今は中国で政治的な実権を持っている実務家たちの基本的な発想です

だから要は生かしておいてやってるだけだってくっくっくって感じ。

そういう風に思われてるって想像したこともないでしょう?

僕はっきり言われましたから。

うちらは今の中国のある程度若い世代から見るといつでもひっこ抜ける盲腸です


(阪田さん)

そうですよね、だからちょっと話変わりますけど

その僕一回、大学の非常勤でボランティア論っていうのを教えに行った時に

あの原発っていうか、原子力発電所の話をしたんですよね

100人から130人いる授業中で、そこは中国の留学生が多いので

もし今ま大阪そういう大阪だったんですけど

近辺で近辺でっていうかまあ新潟でもいいですけど

原発が爆発して被爆した人たちがいてでもそこに住む場所がないから一旦避難してきましたと。

大阪に避難してきたんでその避難してきた人たちを自宅に入れますか?っていう質問をしたんですよ

で、そのコメントペーパーで、どうしますかっていうのを聞いたんですけど

日本人の学生100パーセント入れないんですよ

で、なぜか謝るんですよ、僕に、先生すみませんって。

私は家族がいるのでとか、お金を渡しますとか、だけど、家には被爆してる人は入れませんと。

中国の留学生の方は、100パーセント自分は別に開けたくはないが

必ず弱い人がいたら助けなさいって教わってるので

僕はドアを開けます、100パーセントすごく答えたんですよね

だからやっぱその立派さっていうことを言うと、その中国がそう思うのは当然って言ったら変だけど

そういうことだと思うんですよね

そういうのをこう受け止められるかどうかっていうのがまず出発点になるかなと思います。

アメリカだけじゃなくて、まあ中国それは二大巨頭ですけど。世界の。

そういうのを正しく立ち位置を把握するというか。それが、ま、戦前に戻らないっていう意味でも

重要になんじゃないかなぁって思いますね





~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~おわりに

(宮台さん)

今日の話しで、皆さんますます元気が出てほしいですよ

こんな話して元気がなくなるぐらいになったら、相当ヘタレだよ。

こんなのは自明の前提なんですよ

で、今初めて気が付いてヒーとか思ってる時点で実は終わってるんですけど

まあいいやそれはそれとしてね

だから私達にはやるべきことがやれることがいっぱいあるなって思うのが普通の人です

言いながら力がみなぎり、にこにこ顔になってください


(阪田さん)

だからある意味はっきりしましたよね

色んなね。もうやることは決まってるっていうか。そんなに選択肢はないわけで。

実はこのキャンプフェアがこんなに深かった。


(宮台さん)

日本の偉い人を頼っていたら何とかなる?。。。なる訳ないってわかりましたよね

うちらがやるしかないです。


(山本さん)

始めの型の話から、若者の話、で、戦後、余島ね。

やっぱ僕は戦争というよりは、余島を中心に考えちゃうんだけど

それはだいたいつながったなという感じです

いやでも難しいというか。まだまだイバラの道だと。


(阪田さん)

結構いろんな方が見てくれてるという前提でお話しすると

そのさっき、森の幼稚園とかね、森の学校の実践もありましたけど

今我々も森の学校森の幼稚園やってるし、やっぱ余島っていうキャンプ場は

その組織キャンプ場としては、どう考えても素晴らしいい場所なんですね。

そこにはたくさん来てほしいと思うし、でもそれだけだとさっきの不登校の子みたいに

フォローアップがうまくいかない部分もあるから、いろんなやっぱ連帯をしたい。

それが、「これこういう感じでやったらいいんだ」って、ひとつは規模ですよね

何人ぐらいの、例えば、我々で言うとディレクターみたいな存在

何人ぐらいのその引っ張っていく人間がいて

そこに若者がどう関わり、親がどういう風に関わり

子どもがどれぐらいどんな感じでいて

そこに公共教育がこれぐらい噛んでとか、学問の界隈の人がいてとか

体験のキャンプの界隈の人がいてとか

まあいろんなパターンがあると思うんですけど、そういうのをあのま僕は連帯不得意なんですけど

価値観がやっぱ共有できるんであればそれをね示したい


(宮台さん)

それはね、あの連帯不得意でむしろ得意っていうかねあのいい部分があると思います

僕はあの小さなサイズで成功事例を作ってそうするとね

あの劣等な日本人の多くは、じゃあ規模を拡大していきましょうってなっちゃうわけよ。

それは無理でね、日本人の劣等性を前提にすると、規模は小さくしないと成功しない

だから規模を大きくするんじゃなくて、ミニサイズの成功例をたくさん作っていくっていうのが

あの日本にあったやり方なんですね。

あのー日本の色んな会社の歴史を見ると、でっかくなると終わるんですよ

でっかくなると今の日本国家と同じ、ヒラメキョロメの巣窟になるんです

そこには日本の劣等性が全面化するんですよ。でっかくなってくとね。

そうではなくて、ちっちゃなサイズだと社会という荒野を仲間と生きようと。

社会はこんなひどいけど、俺だけはそうはならないぞっていう風に言い続けられるんですね

で、それは製造業だろうが、新聞社だろうが、宗教だろうが、全部同じなんです。

だから、ちっちゃく成功例をつくて、そのあと、でかくするんじゃなくて、それをモデルにして

ちっちゃな成功例を日本中に作り出していくっていうやり方以外にはないですね

全くないです。それ以外のやり方。で


(阪田さん)

その時にやっぱり僕が一番注意したいのは、相対的になっちゃうことっていうか

うちはうちの文化でやってるからいいでしょ。とか、うちはうちのやり方で。っていうことが絶対起こるんですよ

で、キャンプもそれはもう起こりうるじゃないですか

で、やってることは同じようなことだけど、やっぱ価値観は全然違うことがあるんですよ

同じ命への向き合い方も仲間への捉え方も

で、その時に、それはやっぱ劣等性ってことになるんでしょうけど

やっぱ絶対的な価値観みたいなものに触れた時、みんな恐れるじゃないですか

そこでなんか自分を失ってしまうような恐怖にさいなまれて引いてしまうっていうか

相対化してしまうっていうことがあると思うので、今日お話ししたようなことって

ある種絶対的なことじゃないですか。

まあ事実だし、あのーそういう風な前提で進んできたのが我々だし

それをまそういう考え方もあるよね、で私たちはそう考えないっていうふうになっちゃうと

それはなんか違うものになってしまうから、宮台さんがよく紹介する

一つの世界をいろんな視座で見ているっていうこと

それが唯一絶対的な正しい価値観とか

いろんな文化があっていいよねっていうのは間違っていると

そういうようなあの構えっていうか



(宮台さん)

そうですよね、あとここに今日いらっしゃるリアルの観客の方々は全員女性でしょ

でね、とにかくね強く訴えたいんですよ

皆さん結婚の話をしましたけどそれは実は単なる入り口であってね

ほんとはね、僕が考えてる出口があるわけ。

皆さんはね、あのーここにいる間、阪田さんとか森本さんのような価値観に満ちた、そういう相手を選んで恋愛をし、えーそういう立派な人とやっぱ結婚し、立派な子供を育ててほしいんですよ。

分かります?


日本人ってクズだらけですよ

しかしそのクズだらけの日本人、特に男はクズだらけですけど

全員母親がいるんですね、死んだ人もいるけど、大体母親から大体母親から生まれてるっていうか

全員母親から生まれてるわけだ。

なんでこんな屑に育ってるんだよっていうことですよね

だから皆さんがそろそろ適齢期だから、いや適齢期どころか賞味期限切りが近づいてるってことで

適当に手を打って、まーいい人だから程度の理由で結婚し、そのちょっといい人は価値観なるものがなくてまあ適当に上手く生きようと思ってるだけでで、その程度の絆のない夫婦、別にDVとかなくたって価値観に満ちた立派な子供が育ちますか?

皆さんが立派な相手を見つけて結婚することは、立派な子供を育てるためのまず入り口なんです。

だから立派な人が見つかるまでは結婚しない。これが正しい選択です

いやそれだって寂しい?クズと一緒にいたほうが寂しいでしょう? よく考えてください。

クズと一緒にいて寂しい思いをするなら一人で生きて女友達と美味しいスイートを食べた方がいいじゃないですか。


(阪田さん)

本当にそういう意味では、社会が駄目になると人が輝くっていうね

小室先生のお言葉もありますし、皆さんの世代はね、絶対ラッキーですよ。

だって、宮台さんもこうやっているし、ぼくとか森本さん、五十嵐さんみたいのもいるし

すごいメンバーが若者の間に周りに集まってる世代なんで

でもやっぱ特別を嫌うから、皆さんの世代はだけどやっぱ特別な存在として

思いっきりその恩恵を受けて贈与は受け取ってほしいなっていう風に思うので

引き続きこんな感じでやっていきたいなと思うんですね。

一応そのキャンプ部屋トークををすごい少ない人数の人は毎月楽しみにしてくれてたと思うんで

一応この部屋では、ファイナルなんですけど、やるんですよね?

宮台さんはね、年一回ぐらいゲストには来てほしいなって思いますけど。

普段は僕と山本でえーネタが入ったらやるんで、いつもそのネタは大体、行政とか、

「そんなことありえるの?」っていう面白いネタが入ったら始めるんで

それはなんか楽しみにまた聞いてほしいなというふうに思います。

で、今月宮崎さんはあの全国YMCA指導者研修会っていう大学生の研修会があって

熊本に、また僕と一緒に行ってもらって、えーやるので、

それに参加する人は今日のやつは見てほしい今日の動画は聞いてほしいとやっぱ思うんですよね

で、宮台さんでやってるワークショップとか、また合宿とかっていうのは

あんま、ちょっと今日話できなかったですね

あの宗教の話もそうですね、宗教の話もそうですし、やっぱりワークショップとか合宿系が一筋縄で

はいかなくなってきてるというか、さっきの招待制・紹介制っていうのにも影響しますし

浅さと深さってことですよね

浅い中でいいキャンプもやっぱほとんどそうです

浅い中ですっと終わってしまうので、どこで深めるかっていうのはっちが気を付けなきゃいけないことに今なってきてるので

ある程度深い話にスーっと行けるっていう場合と、それにすごい時間がかかる場合とっていうのが

一緒くたに集まってこう時間が延びていってしまっているっていうようなことがあるので

そこはちょっと戦略を考えながら、なるべく歩留りがいいようないい状態で届けたいなっていう風に思います

宮台さん一言最後あればお願いします。


(宮台さん)

いや皆さん眠らないでよく聞いてくださいました

あっという間だね

結構みんなニコニコしながらうなずいてくれたっていうのは嬉しかった

っていうことは

皆さんは立派な次世代を育てるでしょうねということで

期待をいたしております

ということでハッピーエンドなんですが。





~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~神戸YMCAの紹介

(阪田さん)

最後にちょっとYMCAのことを紹介しておくと

やっぱり基準というのがあって

YMCAが1844年に最初イギリスで起こった時に10年間で世界中にばっと広がるんですよね

それが組織っていうよりは、ま青年たちとやっていこうって名乗った人が世界中に広がったっていうことなんですけど

その時にあるスタンダード基準を作るんですけど、それが僕はやっぱ素晴らしいなっていう風にいつも思って

当時ですから、まあの言葉はかなり宗教に偏りますけど、イエスキリストの名のもとに集まったんだから

えーそれぞれとして色んな重要なことはあるだろうけど

友好関係を損なうようなことだけはしてはいけないと、一緒になってやっていけよっていうパリ基準っていうのがあるので

それがやっぱりその若者的なっていうか、連帯っていう意味では俺らはそこはしないぞ

いろんな主義主張の違いはあるけども、敵対しつつっていうことでもありますけど

あの一緒にやっていくんだっていう、僕は、私はそこだけでいい気がするですけどね

そのなんか紐付いたいろんなものは、もうあのそれなりに受け止めておいてやっていくのがいいかなという風に思います

でこれ御覧になってるYMCAをあんまり知らない方。

えっと我々は一応素性を明かしておくと、神戸YMCAの職員で、YMCAってグローバルな名前だから

どこでもYMCA叩いたら、僕らみたいな人間がいると思われたら、

ちょっと迷惑がかかるんで、あの我々は神戸YMCAの職員で、余島余島って言ってるのは

香川県の小豆島にあるキャンプ場のことで、それは神戸YMCAが運営してるキャンプ場が

香川県にあるっていうことです

お近くのYMCAの門を叩いても我々みたいな存在はどっちかって言うといないと思うので

でも我々はこういう水準でっていうか、こういう解像度でキャンプに取り組みたいなっていう風に思ってるし

あのー今日お話したようないろんなレイヤーでのキャンプをま実践してるので

ブログ見てもらったり、ホームページ見てもらったりするとわかるかなっていう風に思います

はい。ということで


キャンプ部屋、第一期キャンプ部屋、ファイナル

長時間お付き合いいただきありがとうございました

皆さんありがとうございました





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