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DOMMUNE RADIOPEDIA 「武器としてのヒップホップ」前半編Wildstyle,Stylewars,8mile社会のハッキングとビートの導く先

更新日:2021年12月25日

DOMMUNE RADIOPEDIA amazonmusic独占podcastとして公開収録され火曜日にアーカイブ配信されるプログラム。DOMMUNE独自の批評軸でトークを繰り広げ文化全般を聴覚で網羅する百科事典を構築していくプロジェクト。


宮台真司(社会学者)x ダースレイダー(ラッパー兼評論家)


【要旨】

情報が氾濫して無限増殖していく地平を前になす術がないと思い込んでる人は多いだろう。しかし、実はそこら中に世界の深淵に繋がる扉があるのだ。POPカルチャーは増殖の象徴であり大衆をその色に染め上げていく現象だが、そのそこかしこには世界に開かれていく扉も出現している。社会学者・宮台真司とラッパー・ダースレイダーがその扉の在処を示し、扉を開ける鍵を提供する。パンデミックの最中に誕生した番組、『100分de宮台』で様々な角度から世界への扉を指し示してきた二人が舞台をAmazon x DOMMUNE 『RADIOPEDIA』に移し、思考を展開する。第6回では今や世界中の音楽シーンを総なめしているヒップホップを最新の思考形態と捉え、『WILD STYLE』『STYLE WARS』『8mile』といった作品を通して、いかにヒップホップが社会をハッキングしてきたかを語る。DJ、ラップ、ダンス、グラフィティー。ブレイクビーツの発明が我々をどこに導いてくれるのか?


この文字起こしは、本回の前半編のみ(開始から90分)を収録したもの。



=======================================================

■ダースレイダーさん

お待たせいたしました

DOMMUNE RADIOPEDIA

この番組はamazonmusic独占podcastとして今夜公開収録され

火曜日にアーカイブ配信されるプログラムです

DOMMUNE独自の批評軸でトークを繰り広げ文化全般を聴覚で網羅する百科事典を構築していく


プロジェクトになります

今夜のDOMMUNE RADIOPEDIA は

Week2

オルタナティヴカルチャー・ラボラトリーとして

ダースベイダーと社会学者:宮台真司でお送りします


本日のテーマは

武器としてのヒップホップ

Wildstyle、Style wars、8mile

社会のハッキングとビートの導く先です

よろしくお願いします



今回タイトルにも実は入れていただいたんですけども

僕の本がでまして武器としてのヒップホップ

幻冬舎から先週の水曜日に出たんですけど


この本が出るって言う情報が一番初め

最初に国内で出たのはこの番組のあの3回ぐらい前

の回で誰にも告知してなかったんだけど

宮台さんが告知してくれるっていう

先行公開みたいな感じでね(笑)

宮台さんの帯文を頂いてるんですけども

その中で社会のハッキングっていうキーワードがあって


これを軸にヒップホップとは何なのかっていうのを

僕が色々考えたら本に書いてるんですけども

それちょっと宮台さんに当ててもう1回パラフレーズして

あの社会とか世界を理解する言葉で今日は変換していくっていうのを

色々やってみたいなと思っています


事前に今日

Wildstyleとか

Style warsとかを

ワイルドスタイルとかしたい

さっと宮台さんに見ていただいていて。

どうですか、ヒップホップ映像をみて宮台さんの感想というか。


■宮台さん

元気になるよねとにかくね

元気になる理由は


あとでまた話題にすることだけど

やっぱり70年代後半80年代。。

80年代って言うとねのレイブで

secondsummer_OF_loveの時代だけど

この時代って町のハッキングでしょ

レイブそうだし

ヒップホップもそうだし

オーナーシップっていうか

基本、自分たちのものに取り返す感覚。

自分たちのものを取り返すことで同じ世界に入って

祭りができるようになっているっていう

非常にわかりやすい構造ですよね

ちょうどファーストサマーオブラブがね

これは分かりやすく言うと

国家に対抗する国家からの解放っていう運動だったよね

国家っていうのは統治権力、政治からの解放だけど

ファーストサマーオブラブっていうのは

あの行政管理からの解放ですよね

基本的にはね

国会よりも少し射程が

マイクロになって、この街、このブロックを我が物にしていくっていう動き。

その意味では結局、生きづらさからの解放なんです

簡単に言えば、メタバースってのは。

どんどんちっちゃくなって行く時の真ん中。

だから

お祭りになるんだなっていう感じですよね


■ダースレイダーさん

あのこの番組でも都度都度

あの祭りの準備の話とかでもそうなんですけども

そのビート感

グルーヴ感っていう言葉を

僕はキーワードとして出していて

宮台さんは同じ世界に入るって言い方をしていて

宮台さんはそれを究極的に、性愛って落としどころで

同じ世界っていう説明をされてると思うんですけど


僕は、ビート、同じリズムで身体的に反応していく

という行為がすごくその同じ場所にいるっていう

感覚を共有するのにすごく大事だと思っていて

リズム感があるないっていうのがその同じ世界に入れる

入れないの、ある種例えばその民族文化的な違いだったり

すぐにイケちゃう人とか一時間がかかる人だったり

でも日本はのリズム感がないから

乗れないよねって言うけどお祭りの準備とか見てまぁいいや

そんなことはなくて

ちゃんと祭り太鼓が鳴っていてそういった環境がつくれれば

日本人だってすぐに同じように入っていけるしね



■宮台さん

そうですね

加えて言うと、色街だったら作法があるよね。

作法ってのは

パターン化されたコールアンドレスポンスの世界なので

太鼓と同じでパターン化されたコールアンドレスポンスの反復の中で

同じゾーンに入るってことだから実は性愛においてもね

基本的にリズムとか、反復ってのは非常に重要なのに

今の男たちは僕をどう見せればいいのかな

本当にクソみたいなこと考えてるんで即死系ですね(笑)



■ダースレイダさん

即死系、1回目ですね(笑)今日ね。

性愛もリズムとグルーヴだと思うし

グルーヴを感じるといつのまにかそうなっていくというものを

そのマニュアル本とかを見てこうしなきゃいけないのか

ってのは本来はなくて

アイズレー・ブラザーズとか

マーヴィンゲイとかそうなんですけども

やっぱりグルーヴ感があると

同じグループにその場にいる二人が入ってる

2人に限らずですけどもそういう導入っていうのは

実はもう人類のゲノム的なところにリズム感を合わせることによって

一体感を感じるって言うのは埋め込まれてると思うんですよね

で、ヒップホップってのは

ある種それを再定義というか再構築していく

ツールとして、今、世界中のポップカルチャー

全部、ヒップホップなんですけども

役立っているなと僕は考えました

で、そのさっき言った踊らない問題ってのは


踊らないってのは社会化されると踊らなくなっていって

踊らなくてもいいわけじゃないじゃないですか?

リズムを感じなくても電車に乗ればどっか行けるしとか

社会のシステムを使えば別にリズム感を体感しなくても

何かやってくれるっていう

そうすることによって

リズムとかグルーヴを感じないのは

生活できるようになっていくってのは

社会化だとしてその社会をハッキングして

そこにリズムをもう1回打ち込む

という行為がある種その社会によって

失われた隙間にビートを流し込んでいくってのがヒップポップの役割

じゃないかと思います。


■宮台さん

おもしろいですね

ほら今鳥類と恐竜が同じだってことでね

恐竜とか鳥類ってやっぱりコールアンドレスポンス

とくに鳥を見ると分かると思うんだけど

オスとメスのやり取りであるとか

オスが鳴き声をワイフに使っているってのもそういうことだし

あともう一つ大事なのはね。縄張り。

例えばカラスとかそうですけど

50km圏内の仲間は何か僕らにはわからないけど

同じ形がトーンとかねなんか持ってるね

それで同じ世界に入れるでしょ

多分恐竜もそうだったと思うんだけれど。

結局同じ世界入れる仲間だってことは

確認するために

同じスタイルを反復できることで

仲間だっていう風に感じる

ように、ゲノム的になっているって事は間違いないよね


■ダースレイダーさん

はい

これって動物とか鳥って群れについて

その群れと他の群れを区別するものがあるわけですよね

群れからはぐれるっていう事もそのまま他の群れに入れるかっていうと

そんなことなくて


その群れにおいて、同じグルーヴ感・リズム感を感じる集団である

というのは、実は生物レベルでその軍隊群れを成す場合は

そう言ったゲノム的な説があると。

基本的にはやっぱり人間というのは部族でしかないと思います。


■宮台さん

まさにダンバーズナンバーですね。

(ダンバー数:人間が安定的な社会関係を維持できるとされる人数の認知的な上限)

( 英国の人類学者ロビン・ダンバーが提唱)

狩猟採集段階では50~150人で移動していた

これは実証されていることだけれども

更にはダンバーはいくつかレイヤーを分けていてね

例えばゼミのようなものであると

彼は30人くらいがMaxと言ってるけど

僕の経験では、もう少し小さいかなって気がするけどね

基本仲間のこのボンデージの強さによって

人数が強ければ強いほどちっちゃくなるね


■ダースレイダーさん

その狩猟採集の時はそれぐらいの単位で

同じリズム感を感じながらきていた訳ですよね

この時の間狩猟採集の時は社会以前の話だから

世界にそのまま入るわけですよね

その中で世界を生き抜く術として

リズムを共有する

同じリズム感の集団がそのリズムで

食べたり寝たりをやっていて

リズムの違う集団と会う場合はある

それはそのもう殺し合いをする殺し合いをして

でもそれをお互いのリズムをぶつけ合うっていうね

サウンドクラッシュみたいなイメージなんですけど

そういったことを繰り返してきたっていうの

が社会ができることによってそういったリズムに頼った

群れをリズムに頼っちゃうと15人とか30人とかでしか移動できないけど

リズムを消してリズムなくても

生きれるようにすることによって

大規模定時ができるようになったっていう。


■宮台さん

そうだね

もともとまネアンデルタールがね

スティーブンミズンが言うように

歌うネアンデルタールだったわけで

その頃は僕らも歌うサピエンスだった

分かってるわけですよね

それはFOXP2っていう共通の遺伝子に由来していて

デニソワ人も歌うデニソワ人だったんですよね

だからその歌っていうのは

ストリーミングでありリズムでありっていうことで

あの同じ世界に入っているって事を

たぶん確認するためのシグナルなんですよね


でもそれがまあ雑に言うと

定住以降って事になるけど

規模がでっかくなって

あのそもそも同じ世界に入れるはずもないやつと

殺しあわないことを決めて一緒

にやっていくってことになり

法ができて云々かんぬんでことになってくると

今度は今までの歌。

実は4万年前に歌と分離した言語ってできるんだけど

それでも言語って同じ世界にいることを確認するための言葉

だったんだよね

だかロマーン・ヤーコブソン、ジェイコブソン的に言えば

まさに詩的言語

ポエティックランゲージだったわけですし

て詩的言語ってうのは歌のような言語ってことだということで

同じ世界に入るための言葉

っていうことですよね

で、それに対して詩的言語に対する散文言語

これは同じ世界に入れない

定住の大規模集団の人たちが同じ世界に入れないから意思を疎通し

なければいけないということで生まれた事前の策と言うかね

仕方なく生まれたものとしての散文言語という用法だと思いますね。




■ダースレイダーさん

今出たその詩的言語っていうのは僕はやっぱりそのリズムと

バーバル(音)がセットになったものですので

ズームに合わせてこの音を出すのが詩的言語

でその勢いとかそのリズム感だったり

音の感じによっていろんなニュアンスがそこに入って

それが伝わっていくって

これが散文ができていわゆる文章の形なって

書き言葉になることによって中に何も入ってなくても

こういうことですよっていうのが伝わるようになっていることについて

ヒップホップ、僕ラッパーなので

ヒップホップにおけるラップっていうのは

もう一度そのリズムと言葉を再接続させて

ある種詩的言語的機能を復活させるって言う試みが

僕は結構ラッパーが果たしていることなんじゃないかと思います

構造としてはもう一度そのべたっとなった

死んでしまった言葉を詩的に蘇らせるっていう試みがヒップホップだと。

より明確にリズムと言葉をセットにして

相手に届けるっていう行為をやっていて

これが実は本来その歌っていた頃の人類の初期の言葉

っていうものをもう1回こうを再帰的に蘇らせる試みに

なるんじゃないかなっていうふうに考えてます



■宮台さん

ダースさんと僕は四年間ぐらい議論してきているので

完全にその辺が共有されていることだと思うけれど

そういうリズムとメロディーの関係を捉えてる人ってのは

あの音楽界隈とかあるいはヒップホップ界隈に

どのくらいいらっしゃるんですか


■ダースレイダーさん

僕のような喋り方で説明すると

あんまりないんですけども僕は日本の音楽に関しての非常に

これも前々回かな

この番組の話な気がするんですけども

日本には昼にメロディー変調で音楽を楽しむ傾向があると。

ビート・リズムに着目して音楽を利用するっていう

習慣がないという風には断言できないですけど

もちろんあるんですけどもでも良いメロディ、いい歌っていうのが

いいメロディーを指していいリズム感であったり、

いいビートって言葉であまり使われない。

ビートの形としては

その都度その都度の世界標準のハウスでもテクノでもヒップホップでも

使ってるんですけど

メロディになっちゃってね

僕はこの本の中で指摘しているのは

日本語ロック論争っていうのが

かつて70年代初期に、内田裕也さんのハッピーエンドとかであるん

ですけどもあの頃から言われてたのはロック


英語で歌われているロックを

日本語で歌えるかって話をしていて

でも、実はロックンロールも

元々リズムアンドブルースでリズムの話で

ロックのリズムにどう言葉を乗せるかっていうのが

ロックンロールのチャックベリーとかの試みで

ロックの話は、リズムと不可分なんですよね


でも日本語ロック論争になった時に

英語で打たれている旋律を日本語にかえられるかどうかという風に

議論がすり替わってしまって


言葉の意味の問題とメロディ

英語のメロディーのように歌えるかと。

メロディ再現の話にずれちゃったと。

本来はそのロックのリズムに言葉をどうなってるかっていう

議論であれば別に日本語でもできるって言う

最初からわかるはずなんですけど

できないって言っていたのは

聞こえが英語のメロディーを日本語で再現するかどうか

っていう話になってで

内田裕也さんとかは、「そりゃ英語でやんなきゃあの感じは出ないよ」ってなっちゃうし

その議論の時にリズムの話をしなかったから

日本にラップが入ってきた時に

日本語ラップ論争ってのがやっぱり同様に起こって

日本語でラップなんかできないと。

でも、言葉とリズムの関係性だけに

着用するんだったらできるはずなわけですよ

だってリズムに合わせて言葉だせばいいんだから。

だから、日本語だろうとフランス語だろうとどこの言語だろうと

リズムにどういう言葉はするかっていう構造は

できるはずなのに

あんなラップなんて日本語じゃできないよ

っていうのは英語のラップのメロディーを

日本語で再現するのは出来ないっていう話でしょ

それは違う言語で子音とか母音の関係が違うから

英語でラップしてるメロディー

聞こえが英語のラップって言うの

日本語でやるってのは非常に難しい

でも本当はこの新しく出てきたヒップホップ

のビートっていうのにどう言葉を載せる

かって議論をやっぱりそこでも

日本は大々的にはやってなくて

未だにヒップホップが流行ってる

ラップが流行ってる言っても

僕はメロディーの話をしているっていう

感じる瞬間を目ですね

ラップのメロディーいいラップだねー

とかっていうのも聞こえのメロディの話をしていて

ビートと言葉の関係性でではない

これちなみに他の国にいけばビートと言葉の話なんですよ

けど、日本だと、どーもメロディーの話になってて

メロディがいいラップを好まれるみたい

これはその前提として

リズムとビートっていうものが全ての最初だっていう前提を

すっ飛ばしちゃってて

もちろんミュージシャンとかはビートをちゃんと聞きますけども

リスナーもj含めた全体として、あるいはそのメディアの書き方とかも

こういう歌詞を歌ってますとか

なんかその話の前の所があるんじゃない

のっていうのを僕はずっと考えていて

この本でだから

改めて再提示したつもりなんですけども


■宮台さん

以前、ここで祭りの準備の話をした時にね

祭りにはお囃子が重要で特にねあの低音部のお祭り太鼓っての

とても大きな役割を果たしているって

言うね

それはあの沖縄のエイサーなどでも

全く同じことなんだけれども

僕らがそのリズムによって高まって

リズムによって高まっているから

無礼講があると話をしましたよね

今日のついさっきまで奄美大島にいたんですけれども

奄美大島の人の島唄の名人さんの話を聞いて

面白いなと思ったのはね

あの基本はの楽譜には意味がないんだって

何故かって言うとあの単純な事で


長唄とよく似てるんだけれど

人それぞれ歌い方が違う

プロでも違うし、基本、素人も歌う酒場とか

人が集まるとね

その人の歌い方に合わせて

結局リズムを取るって言うね

なのであのまあ例えば楽譜ってのは

お稽古事の時にはあるんだけれど


その楽譜の通りに弾くっていう風に訓練されてしまうと

奄美の島唄の本質を流してしまうっていうこと

なんですよね

それもあの決まって

メロディーを知らなければいけないのではなくて

その人、歌ってる人のボイスに合わせて

合いの手を入れていくっていう形。

長唄でも、口三味線。トンツクトンテンツクテン。。ってあるけども

それもあのリズムですよね

だから実際、長唄も踊りと一体出し

もちろん

奄美の島唄、琉球の島歌も踊りと一体ですよね


そういうのは本来、どこの人にもあるはずなんだよね


■ダースレイダーさん

なぜ日本がメロディ

変調になってしまったのかと気になっているんですけども

メロディにしても

いろんな音の音階とかコードををリズムに合わせてロングトーンだったり

どれぐらいサスペンするか

とかっての全部リズムの本来の話ですね

リズムで構築していくかっていうのは

例えばジャズの話をするときも

セロニアス・モンクのピアノっても

全部リズムの話でマイルス・デイヴィも全部リズムの話をしてる

と思うんですけども

日本に来ると旋律の話になっていくっていうのがなんか

この前提のところを離さないで

受容してんのかなと

順序が逆な気がしたんですよね


■宮台さん

CDとか昔だったら

「レコードのオリジナル音源とメロディーが違うじゃないか」ってことを

よく日本のロック者は言う。ってことに結構違和感あるけどね

レコード通りのメロディーじゃないと困ると

かいう風に言ってる人が多いよね


■ダースレイダーさん

日本の音楽ってのガラパゴス化っていうのはよく主張されていて

これは別にガラパゴス化っては

別に悪いことはないんですが

単体で言えば別に。

だけど

そのリズムで音楽を受容する

っていう前提がないまま

謎の進化をとげちゃっているっていう気はしてますね


■宮台さん

そうですね

ただねそこでね一つヒントになるのはね

ギリシャだよね

初期ギリシャって

プラトン読めばわかるけど

プラトンっていうのは詩人ですよね

ポエムを歌う人達をとても尊重していて

それはミメーシスって言って

もともとギリシアでは教育をするときも、娯楽を芝居で示すときも

全て韻、まライムとダンスですよね

これで伝えていたのでなり古くから文字使ってるんだけど

ギリシャって紀元前ご世紀の半ばになるまで

多くの市民は文字は使えなかったんだけど

それでも、いろんなものを伝承できたのは

ライムとリズムで記憶、要するに

体と心に刻めるからっていう風なことですよね

ギリシャ、特にペロポネソス戦争で負けるあたりからね

ポリスは急速に衰退していって外国人がめちゃくちゃ増えて

奴隷の質貸しなども出てきてね

逆に、市民=重装歩兵は金がなくなって

武器を売り払って生きていたりとかっていう風にしてね

貨幣経済も広がって

つまり共通感覚がなくなっちゃったっていう時に

あのさっきの話でいうと、詩的言語的なものによって

ひとつひとつの世界に入られたら困る

ということでプラトンの後期を代表する

国家っていうものではね、

これからのリズムとかダンスによる感染を

徹底して否定するっていう風になるんだよね

つまり同じ世界に入られると

困るっていうのはもういろんな人たちがごちゃごちゃになってて

同じ世界に入るということによっては

統治できなくなってくるから

明治維新以降ね

お祭りがエロいっていうことで

不平等条約の改正にネガティブに機能するから

だから色んなお祭りを健全なものにして行ったり

とか精神崇拝などそういう明治維新以降の政府の在り方は

同じ世界に入ってもらっちゃ困ると。

だから型的にはね

自然村。元々あった村を徹底して潰して

行政村に置き換えていこうと。

これ小学校の学校を中心にやるんだけど

だからま今の政治家と違ってね

あの維新政府の岩倉使節団の経営本を読んでるような政治家たちは

非常に頭が良くて基本、国民化するためには

地域地域で共同体自治的に同じ世界に入ってもらっちゃ困る

ということでその流れの中で僕なんか

やっぱりリズム的なものがだんだん失われてメロディー主体になったのか

なーっていう風に思いますね


■ダースレイダーさん

要は後期プラトンだったりその岩倉使節団的な試みって逆に言うと

ノリが悪くてもやっていけるようにするということですね

詩的言語っていうものをやってる場合

ノリのいいやつがやっぱり目立つわけですよね

ノリが良くていいリズム感で

いい音をだせるる人っていうのが

ある種人気者になっていくけども

そういったものを消していくことによって

フラットに誰でも乗れる

プラットフォームっていうものを作り直すのが

国家、プラットフォーム、行政

そうにいったものだと思うんですけども

ノリが悪くてもやっていけるようにした結果

まあみんなが乗れる平板なプラットフォームに

すり替わっていくっていうのがあるのに

対してまあその限界いうのが今が

そのノリの悪い奴でも

みんなやってますよっていう到達点が

多分、今の感じだと思うんですよね


■宮台さん

結論的なこと最初に言っちゃうとね

もうあの大規模な国家レベルの統治がね

中国のような強烈な権威主義は別とすると

我々、旧西側、旧民主主義圏で

大規模な国家を営むのははっきり言って

以前のようには無理でしょうね

明らかに共同体自治に向かうしかなくて

再び同じ世界に入る連中で仲間になって

自分たちで自分のことをやっていくっていうね

自治を決めていくっていう事しかないんじゃないでしょうか


■ダースレイダーさん

宮台さんもいろんなとこで指摘されている

中間層が没落してスーパーフラット化してっていう

様々な要因によってその共同体、共通感覚が破壊されて

みんなが行政に直接ぶら下がっている

個々の個人が行政に直接ぶら下がっている状態っていうものでは

共同体がつくれないじゃないかと。

それがもうくるところまできてしまっている

ってことをもう20年前ぐらい前から宮台さんが言っていますよね



■宮台さんさん

最初は性愛の劣化でね

気が付いたことだけどこんな連中じゃ家族作れないし

まして家族も作れないやつが共同体で作れるわけ

じゃないしとかっていうような

いろんなことをモヤモヤモヤモヤ

考えていたんですけれどもね

特に今は2005年

小泉総選挙で自民党大勝ちしてから

選挙のあり方、もう浮動票をね

あてにするようになったあたりから

結局感情が劣化したクズ男ね

まぁ神経症患者と言えるような存在を

いかに釣り堀で釣るか

フィッシングするか釣り上げるかっていうね

そういう政治になった時点で

やぁこれは終わったなと。

まあ15年くらい同じことを言っていますが

その根本的な僕も気づきは

96年以降の性愛の劣化とか

まぁ性愛だけじゃなくてね

お祭り的身体がどんどん劣化していくので

クラブもどんどんダメになっていく

っていうのがあったし

あるいはお祭りって過剰でしょ?

その過剰なものは全部剥ぎ取ってキャラを演じる

でKYを避けるとかっていうね

ちょっとありえないような展開になっていったってことですね


■ダースレイダーさん

社会的なものさしを使って

共同体ってものを再構築るのが

すごく難しいいっていうのが前提としてね

僕はそれができる処方箋の一つがビート。

リズムを鳴らしてその場が同じリズムを共有する

集団のいう感覚を持つもう1回持つことで

このリズムをみんな聞いてるよねこのリズムの中で

みんな色んなことやってるよね

ってゆう、リズムを軸にした共同体っていうものを作り直すっていう試みは

ヒップホップが役割として話せるんじゃないか

ってはことは、僕はすごくそこポジティブに言ってます

このリズムでやってけばいけるんじゃない

かっていう、そういったエネルギーがヒッツプホップに

あるんじゃないかなっていうのがこの本を書く

動機一つなんです


■宮台さん

そうだね

80年代のsecondsummer_OF_love=町を自分たちのものにするとか

電車とかバスも何でもいいんだけど

自分たちのものにしていくあるいはドイツだったらね

不法占拠ってのどんどんやっていって

まあこれスクウォッチングって言ったけども

自分のものにしていくっていう

自分のものにしていく動き

ムーブメントにおいてレイブもそうだし

リズムで踊るヒップホップもそう

リズムで踊る事が重要になっていったことがポイントだよね

「メタバースにはリズムで踊って一つの世界に入る」

これはどうもなさそうだね


■ダースレイダーさん

secondsummer_OF_loveもロックのリズムがあって

それをみんなで一服しながらリズムに合わせてずっと会話して

なんか「あっそういうことだったんだ」

みたいな構造があったとおもうんですね

ちょっと今日ね

そういう話をいろいろしていこうと思うんですけど

ヒップポップのエネルギーがね

ボーンと出てきた瞬間の今回もあえてわかりやすい

テーマ映画をいくつか挙げたんですが

ワイルドスタイルのなんかトレーラーってありますか

じゃあちょっとね、まずは有名どころの

ワイルドスタイルのトレーラーを見ていただきましょう

はいこれがね

ワイルドスタイルのトレーラーなんですけども

まああのこれがヒップホップのねその初期のブロンクス


■宮台さん

これ82年の映画ですね

フィクションですね


■ダースレイダーさん

はいフィクションなんですけども

登場人物が当時のラッパー、ブレイク、ダンサー、DJ、グラフィティライターが

そのままなのでてくるっていうのと

フィクションなんですけど

物語はどうでもよくて描かれている世界・界隈のそこで

渦巻いている何かしらのエネルギーっていうものを

感じるための映画だと思います



■宮台さん

僕はね

この映画はあのダースさんが紹介してくれた中では

いつでも一番気に入ったんだと思います

っていうのはね

あのその界隈のグルーヴ感が分かるのと同時にね

この主人公はあの謎のグラフィティ作家、ゾロってことで

出てくるんだけどノリの悪そうな男なんだよね

トラップの動きがね

あのsecondsummer_OF_love的

にそのいろんなものをわがものにするっていう流れで出てくるときに

だから、出てくる時に乗りの悪いやつどうすんのかなー

という風に思ったんだけど

MCがいて、DJがいて、ブレイクダンスがいて

ラッパーがいて、グラフィティーが作家がいるんだよね

それぞれ身体的な得意不得意に基づいて

分担できるようになってたんだなってことが

分かってて僕は感動しましたね


■ダースレイダーさん

全部ヒップホップのリズムが最初に鳴ってて

それに対してどう反応するか言葉で反応するのがラッパーで

身体で反応するのがダンサーでDJはまさにその音を出す人で

ライターはその音に触発されたイメージを書くっていう。


僕はねあのこの本の中ではwild_styleっていう章で

グラフィティのことを書いてるんでも

グラフィティって基本的に公共物破壊ってのとセットで

壁に絵を描くわけでそこの意味ってのが

僕はその社会ってものが出来上がってシステムができた時に

そこにグラフィティが出現することによって

これは実は壁なんですってことを

教えてくれるグラフィティが逆にそこに壁があることを教えてくれる

っていう。

グラフィティが出現することによって

なんだこれ壁じゃん

壁に囲まれてんじゃん

とかそうに壁があるじゃない

ていう風に逆に教えてくれるってことで

世界を元の姿に戻す入り口を書いてくれてる

っていう感覚はあります。


■宮台さん

実際にまさにグラフィティが書かれることによって

そこがその同じ世界に入るための引き金になることも

すごく面白いなーっていう風に思ったし

相互の得意不得意による分担の具合が

こんなに祝祭的にあるいはそのオーケストレーションみたい

噛み合ってるってことがね

これはあの初期の奇跡なのかもしれないけど

本当にミラクルだなーっていう風に思ってみてました。


■ダースレイダーさん

これ初期の奇跡なのは

間違いなくてヒップホップの4大要素って言われているんですけども

それぞれが特にラップの部分は商業的に

すごくこう大きくなっている意味では

四つが一緒の場所にいるって言うのは

この初期のだけなんだね

相互に影響して同じそのDJが出す

例えばその公園とかでDJが出しているリズムに

その場にいる人たちが全員がそのフィードバックを受けて

それぞれのアクションに繋がっていくってことが

初期におこっていたことなんですけども

僕は初期に起こっていたエネルギーの本質ってものが

どんだけ継続されているかってことが

どれだけ注目する必要があるかって

思っていて最初にそれがそういう形でおこっていたっていうのは

すごく大事ですね


■宮台さん

しかもこのね

ワールドスタイルの中で

主人公のレイつもりゾロは

結局自分の素のグラフィティーライター仲間が

プロモーターみたいになって

あのお金持ちになって

いろんなイベントやお金を動かせる立場になって

そこに最初入っていくことを

すごく躊躇するんですよね

何故かって言うと

俺は自由になるために書いてるのに

そういう界隈、今的に言えば

資本主義のシステムに取り込まれていくことが

不自由だと感じられて抵抗感を示してるんだけれど

これも被写的なんだけど

この映画ではね

ラストの怒濤のようなですね

祝祭感の中で

彼もそこに参加して行くっていうね。

でもあのそういう風にして

ヒップホップが

あるいは四つの要素を含めた界隈がね

いわゆるシステムに取り込まれていく

入口が描かれていたっていうのが

面白かったですね。



■ダースレイダーさん

その後は皆さんご存知の通りみたいな

そういう風になるんだけど。

ちなみに彼らね。

来日してて

このワイルドスタイルクルーってのは。

笑っていいともに出たりとか⇒(https://youtu.be/h3jymPfuCwE)

原宿とか行ったりしてて

あのその辺もあの当時の80年代初期の日本っていうのが

ある種そういうパカッとなんかいろんなものが入っちゃう隙間が

バブルの直前の日本とかって

そういう隙がいっぱいあって

色んなものが入り込んでたなっていうのが

結構のワイルドスタイルがテレビ出てる

ってとこもすごい面白いことだと思うんですけど

今だとたぶんそういう隙間が用意されてなくて

ただ、グラフィティの

この壁に絵を描くライターで基本的に身体能力でいうと

実は逃げ足速くなくちゃいけなくて

書いてる時に、要するに

瞬時に書いて瞬時にいなくなる

その紛れて書くっていう主張があって

もう一個のStyleWarsって映画が

いうかまぁそのグラフィティにすごくなの

注目したドキュメンタリーなので

ウォーズのトレーラーもありますか

じゃあちょっと続けてなんですけど

スタイルウォーズがもお願いします


はいこれ実はね

今年の初めに

劇場日本劇場公開されている時の予告編なんですけども

これで割と見覚えのある人もいると思うけど

実際ニューヨークの地下鉄が

グラフィティだらけになって

夜のうちに書かれちゃうから

朝結局書いた状態のまま街を走っていて

そうするとそこに

自分の名前グラフィティネーム、ライターネームを

タギングっていうんでですが、書くことで

自分の名前が街を走るって言う

これがもう社会のハッキングそのものをやっていて

これは俺の街だとか、町を取り返す

公共物に自分のグラフィティを書くことに

よってこの町は誰のものだ、俺たちのものだっていう風に

書き替えるっていうことが

特に初期のニューヨークの中心とした

ライターたちがやっていて

スタイルウォーズは

そういったいろんなライターが出てきて

自分たちのその哲学とかを話す映画になってるんですけども。

同時にニューヨーク市の方は

それをどうやってやめさせるかっていうね

ワンダリズムっては

公共物破壊なんですけども

ニューヨーク市のバンダルスクワット

っていうそのグラフィティを取り締まる

特別班を作って

市長とかが

あんなのアートじゃないって言って

消してしまえって言う

いたちごっこも行われているんです。

これもその頃です

こういうものですよっていうものに対してのいやそうじゃないよ

っていうカウンターを食らわしている

っていうところに僕は意味があるなって思うのと

今年ぐらいまで

世界中でロックダウンされて

ロックダウンっていうのは、壁の中に閉じこもる

でもその壁の中に閉じこもっていくっていう状態

これはハラリとかがすごく危惧しているわけですよね

社会がまた壁の中に入っていくっていうこと

の後遺症っていうものが何なのかを考えた方がいい

ってことに言ってるんですけどど

グラフィティはまさに

その閉じこもった壁にグラフィティをかくことで

お前ら壁の中に入ってるぞって

教えてくれる役割になると思うんですよね

グラフティが出現することによって

自分たちが中に入っちゃってる、閉ざされてるっていう事を

教えてくれるっていう意味での

外に行く入り口。


■宮台さん

そうだね。

ちょっと皆さんに分かりやすくパラフレーズするとね

そこに壁があることを気付かせるっていうのは我々がシステムの中に

閉ざされていることを気付かせるって

言う事だよね

日本でハッキングクラッキングが区別がつかない人がね

たくさんいるけど

ハッキングってのはオーナーシップを取り戻す

つまり

システムからしたら

間違った使い方をしているわけだけど

我々の側からすると

間違った使い方によって

システムをハックするつもり

若者化してわが世界を取り戻す取り戻すことができるって

いうところに

ハッキングって概念のポイントがあるということを改めて

確認したほうがいいと思います



■ダースレイダーさん

要は、電車だろうと

公共物壁とかって言うのも

何も書いてなかったら

僕らはほぼ意識せずに通り過ぎてしまうんですよね

交通機関とか公共物っていう

システムになっちゃった場合は

利用する際に

システムの特徴ってのは

ほぼ利用してることを意識させなくすればするほど

うまく回ってるってなるから

何も考えずに電車に乗るし

何も考えずに施設とかを利用して

そこにグラフティーが出現した瞬間に

目をあそこに入っちゃうわけですよね

その瞬間に

「あっこれ電車だとか壁があった」とか

「あれここの場所って何だっけ」っていう気づきってものを

教えてくれるって言うのが

すごくその

つまらなくなっていく、システム化されていく

スーパーフラット化されていく街を塗り替えて

で、自分たちの場所でしょ、ココっていう

その本来自分達は

社会の中にいるんじゃなくて

世界の中にいるんだよ

っていうの教えてくれる存在って

いうのがグラフティだなと思います。



■宮台さん

あのちょっと日本になぞらえるとね

鉄オタ。

鉄オタってね

ハッキングしてるんだよね

あのー僕も実は

鉄オタだった時期があってね

クモハ101とクモハ103の音を聞いて

気をわけるとかね

あるいはあのもっとすごい奴になると

「宮台さんあと15秒で特急なんとかとすれ違います」とか

いうようや奴がいてね

システムをある種の角度から若者化している人たちがいたし

むかし初期のね

80年代半ばぐらいまではさ

まだパソコンって言葉よりもマイコンって言葉のほうがね

主流でマイコンマニアックってのが

僕の周辺にはいっぱいいて

80年代前半で

第一次企業アントレプレナーの起業ブームだったんだけど

これも実は自分たちで

あのIBM的ばメインフレームではない

まさにハッキングして

自分たちのコンピューターを作ろう

これはアメリカだと

ガレージコンピューティングって

コンピューター、マップルとか

東海岸と違う西海岸

のカルチャーを作っていくってことで

これも実はあのコンピューターテクノロジーのハッキング

なんですよね

そっから実はアップルも

生まれてきているって言うことが重要で

そのオタクとかね

ナーズって言われる存在って

元々の出発点には

ハッカー的な可能性があったってことね


■ダースレイダーさん

まあでもその

本来のシステムとしての不都合なことを

あえてやっていったり、

何時何分にここ通りますとか

その内側の部分を晒す事によって

あるいは

そこに注目することによって

そこにシステムがあるって言うことを名指しできる

って言うのが役割としてありますよね

でこうした

ハッキング行為をすることによって

都度都度、再帰的に

自分らがシステムに取り込まれているってこと築けると。

この役割ってのは

やっぱりすごくその外側を指し示すという意味では

壁にグラフティが出現することによって

壁の外側が見えてくるっていう構造があって

グラフィティを探すと見つけると

すごく嬉しくなるのは

ちょっとした

その世界の入り口があるなと。



■宮台さん

歴史を今からね

30,40年振り返ってみると

資本主義はしただかだなって思いません?

資本主義は、言葉は元々12世紀の言葉だけ

僕が使っている資本主義というのは

マルクスの資本論以降なんだよね

資本、キャピタルってのは元手の意味なんですけれども

元手から上がった利益をすべて

元手を増やすために

使っていく元手の自己増殖のシステムが

資本主義。


元手の自己増殖においては

主体は資本であって

資本家も労働者も区別なく資本の道具

これはマルクスが言ったことなんだけれど

もう一つ、この自己増殖ってことの

すごさ

例えばグラフィティが出てくる

ヒップホップが出てくる

これ、

システムの外なんですよ簡単に言うとね

しかしそれを商業化していくっていうのは

つまり資本主義の自己増殖のシステムは

外を取り込んでいくんですね ドンドン。

日本だったらオタクもそうでしょ

だからヒップホップ界隈

四つの要素の全てが収益のシステムを通じて

資本主義に取り込まれていくし

オタクの界隈もね

全く同じように

収益のシステムという形で

資本主義のメカニズムに取り込まれていってね

いつのまにか資本主義の外

僕らから見ればね

「そこにシステムがあったかー

 じゃぁそれを若者化しようかー」

っていう出発点だったものがね

どうやれば売れますかね

みたいな話に

変換されていってしまった。

初期の楽観性がね

もはや実は今や全く許されない状況にある

ということも確認しないといけませんね



■ダースレイダーさん

あの実際にワイルドスタイルでも

資本主義の入り口が

映画の中で描かれていて

この先、君らは

ビッグなアーティストになるよみたいな話になって

いくらもらえますよみたいな

これって

アートかどうかって話が出てくるんですけど

スタイルウォーズでもこんなの後じゃない

落書きだけどっ話なんですけど

このアートって

言葉は非常にトリッキーで

トラックっぽいものがあって

それ実は資本主義のアートっていう冠をもらうことによって

資本主義社会の仲間入りができてしまうって

いうのはあって

アートっていう冠をつけることって

システムの外側のものをラベリングすると

みんなお金を払っていいものなる

アートにお金払うでしょうみたいになって

だってこれは落書きじゃなくて

アートなんだから

これはちゃんとしたあの価値があるものなんだから

価値ってものはお金をもらっていいもんなんだから

っていうこれあの現代アート論にも

通じることで

看板が作ることによって

入場料いくらとか

いくらで売りますっていうことによって

資本主義っていうものに取り込まれていく

っていうこれは

資本主義のある巧みな。。名前をつけて

売り物にしてくっていうこと


■宮台さん

現代アートって僕にいわせると

1930年頃終わっちゃったんだけど

結局、制度の外に出ようとして

街頭で絵を書いて

絵もだんだん猿の絵みたいになってきて

でもの猿の絵なんだけど

ジャクソンポロックが書いたんだよ

っていう風にして

美術館に置かれることで収益システムになるんだよね

それがザ・スクエアって

映画で描かれたことで

もともとシステムの外から

システムに巻き込まれてるやつを

傷つける役割をする

アートが実際にはシステムの内部の

収益システムの一部になっていて

本当のアートは

パーティー会場で

女を犯そうとするにキチガイだったみたいなね

それこそが本当のシステムの外だった

みたいなことが描かれたわけだよね



■ダースレイダーさん

これでいいんですかみたいな

ちょっと困るって言うね

あの実はだから

グラフィティが壁に書くっていうことが。。

バンダリズムってのは公共物破壊なんですけども

破壊っては娯楽ではできないでしょ?

壊れちゃうから

要は再生可能なキャンバスとかは何も壊さないから

そのグラフィティというアートフォーム

だけを何度でも鑑賞可能なものとして提示する

っていう方向に行くんですけども

壁に書いてるうちはそれはある種

やっぱりシステムにひび割れを作っていう

効果がギリギリあって

それはアートだっていう場合は

宮台さんがそもそも

アートの定義ってのは二度と治らない傷をつけるのが

アートなんだっていう定義上のアートってのは破壊するものだと

その常識が破壊してたり

システムを破壊してたり

こうだと思っているものに亀裂を与えるっていう

あきらかにそれをやっていたから

それを壊されちゃったらたまらない側が

取り込んでいくっていう方策をとっていて

でもも今でも

やはり壁に書いてる人たちっていて

それがやっぱりギリギリの。

後は有名どころでいうと

バンクシーってアーテイストがいるんですけど

バンクシーも壁とかに書くんですけど

これはある種その資本主義

的なものに取り込まれることを

メタ的にはからかってるところはあるんですけど

そうするとね

東京都の小池都知事が

バンクシーがありましたって言って

東京都で展示しますってことね

これはね本当に

その自分達の営みの滑稽さを

全世界に教えてるようや感じがして

バンクシーの思うつぼだった

思うんですけど

ただそこへの抵抗ってのは

結構、腹決めないと難しいですよね



■宮台さん

難しさのポイントは

コモンセンスの問題だと思うんだよね

コンテンポラリーアートがね

もう20世紀の半ばまで完全に終わってしまった

理由は社会には外にあるじゃないから

外でこういうもんなんじゃないかっていうことに

ついてのね

それこそエドマンド・バークが言うように

コモンセンスがもう消えてるので何だこれ猿の絵と同じじゃん

また同じなんです

実際問題としてコモンセンスの引き金にならない限りはね

そういうシステムの外にあるかもしれない

コモンセンスっていうね

そういうある種の重要な

ある種のフィーリングだと思うんだけど

それを失ってしまうってこと

やっぱり問題でね

それは例えば初期のヒップホップの界隈であればね

その四つの要素が

渾然一体となることができたぐらいに

common_sense、共通感覚って意味です

共通感覚がね

共有されていたわけでしょ

でもその後、システムに取り込まれると

残念だけど

全部がバラバラになっていくだけじゃなくて

実はこれはコモンセンスの消滅っていうか

コモンセンスの使い尽くしと

ほとんど同義のことですよね

それは僕がその初期のマイコン、あるいは

初期のオタク前夜的な

共通感覚が崩れていっているよね

いまオタクって言葉にもほとんど意味がないんだけれどもね

オタクってもともと

性愛的なデートカルチャーからはじかれたって意味でね

実はシステムの外に弾かれてしまうんですよ

デートカルチャーってのは

デートカルチャーの出発点ってのはマニュアルデート

つまりポパイとかホットドックプレスとのブームと

表裏一体で初期ナンパ第いち世代である

僕らから見るとマニュアルを見てナンパしてるやつはやっぱ即死刑なんですよね


■ダースレイダーさん

でも僕

中学ときやっぱそういうマニュアルを見て

女の子とはこういうとこ行かなきゃいけないのかとか

原宿歩く時はここは歩かなきゃいけないのかとか

でもその律儀に行った結果が面白くわけですよね


■宮台さん

その界隈から弾かれた

オタクたちのほうが

実はあのいわゆる頽落したナンパ界隈よりもね

あのシステムの外にいたことは

間違いないと思うんですよね

その辺に僕たち日本のことを考える

いろんなヒントあると思うんですよね

結局オタク達も

外にいることが劣等感になっていたから

システムの中に入りたい

デートカルチャー中に入りたいので

みんなおしゃれをして

結局、1990年代半ばには

見ただけでオタクと思われるやつ

見られちゃうやつってな

ちょっと頭おかしのやつで、

普通のやつは、みんなおしゃれに

なっているっていう状況になっていた。

システムの中って、わ魅力的なんだろうね



■ダースレイダーさん

あのちょっとねこうなんで

またそのシステムの中と外っていうのについて

あの架け橋になるじゃないかなって話なので

あとでまたしたいんですけども

もう一個ね

今のワイルドスタイルが話をしたんです

けどもう一個、ブレイクダンス

っていうのが登場していて

今ねヒップホップってことは

ほぼrap_musicの話になっちゃってるんですけど

最初の頃は渾然一体とした

色々なあの反応、リズムに対してどう反応するかと

いろんな形があって僕はダンスっていうものは

一番根本的なリズムが鳴った瞬間の反応として

最もそのリズムに忠実な反応と言うか

ダイレクトな反応であり

ヒップホップのブレイクダンスっていうものの

初期にやっていることっていうのは

この本の前提として言ってるのは

その世界は流れているって言う

僕はフローって表現しているのですが

世界をフローしている

全部流れているというのと

もう一つは世界はもともとカオスである

カオスが前提としてあって混乱している

困難っていうのはいろんな流れがもう入り組んで

わけわかんなくなってるってのと

流れって物自体がわかんないものですよね

川の流れってそのどうなってるかって

細かく分かんなくて

しかもその一つ一つの水の粒っていうのは

全然関係なくあるのに

全体としてはなんかこっちに入ってたりするっていうのが

流れなので混乱がベースにあって

世界って大混乱の訳わかんないものになってて

しかもそれはずっと流れている

二つの前提のもとに

ヒップホップを考えるようにしているんですけど

ブレイクダンスっていうのは

その世界のあり様を流れているっていうものを体で表す

っていうことにチャレンジしてるんじゃないかなってのが

僕の見立ててで

それをすごく象徴するブレイクダンスサーっていうのが

いるのでちょっと映像で

ミスターwaveっての映像っていうのがあると思うんですが

僕はこの人がすごく好きで

この人なんかこの世界の流れを感じてるんだろう

なっていうふうに見て思っちゃうんですけども

なんかその初期のブレイクダンスで

捉えていたもの見てほしいと思います


今見ていただいたのが

ニューヨークシティブレイカーズ(※)って言う

ブレイクダンスの集団のグラフィティロックっていう

テレビ番組のパイロット版のオープニング映像

なんですけどまぁ色々出てくるんですけど

ミスターwaveっていう、こうくねくね動きながら

体を折りたたんで、もとに戻っていくとか


あの人の動きって

僕はなんかこの世界がそもそもの世界っていうのに

体で反応しているっていうふうに

最初見た時に持って衝撃を受けたんですよね

何だろうって。

いわゆるダンスのまま


ブレイクダンスっては

それまでのダンスの型ってものとは違うもの

外側を示すような動きで動き回ってやってるんですけども

特にこのミスターウェーブ っていう人は

みんな同じリズムで踊る中で

そういう風にこのリズムっていうのを感じてるんだって

これはなんか

もしかしたら

世界の流れて

そういう風になってるのかもしれないって

一瞬感じさせるっていう動きをしてると思います



■宮台さん

僕はねあのちょっとした違和感があってね

もともとブレイクダンスって

ダンボール敷いて

ストリートで始まったものだよね

もちろん彼らもそうだけれども

ミスターwaveも含めて

みんな即興で場に反応して

自分の身体に反応してやってるわけだけども

これ見たその多くの人達はね

自分もやってみたいなーっていう風に思い

その時に注目するのは

新身体能力、運動神経的な身体性に注目する

ことになると思うんだよね。

田中泯(ミン)っていう舞踊家がいて、

10年以上クラシックのバレーをやった後

モダンバレエ・モダンダンスを10年くらいぐらい行った後

自分のやってきたダンスの履歴に

違和感を感じて、舞踏っていうのをね

土方巽の影響で始めるって言うことで

僕も最近見てきたばかりなんだけれど

彼によるとね

もともとダンスっていうのは、場踊りで

場踊りって意味でね

主体は自分じゃなくて場が踊ってるんだ

僕にしたら、場で踊るから場踊りだって理解するけど

「場が踊ってる」なんですね

自分は場に反応して

その場が身体的表出として身体を通路として

場が現れている

っていう風に理解していて

もともとのダンスはそういうものであった

にも関わらず

ある種のプロフェッショナルティーの確立とともにね

ダンスが主体の訓練によって

獲得する

選択的な能力のようなものになってしまっているって

言う事なんだよね


このことに違和感を感じたんだってことで

彼はもともと20年間蓄積したダンスの身体性を

もちろんを使ってるんだけど

あの元々の意味では使っていない

うまくいいいようながい、規定不可能な。

ミスターwaveもそうですよね

規定不可能なダンスなんだけど

こうやってショーアップされているの

パッケージの中で出てくるともともともね

やっぱりブレイクダンスって

場踊りだって気がする。


■ダースレイダーさん

実はブレイクダンスで

今もねブレイクダンサーって

世界中にたくさんいて

大会とかやってるんですけど

この頃この番組で

見せられたような技の型を

やっぱり、みんなやるんですよね

型になってて、

こうやってやればいいんだって言う

んで特に初期のブレイクダンサーは

そういった様々なその反応として

何かこういう風に動きたい

みたいなことをやってるわけですけど

それが見てる人たちは

そういう風にやればいいんだって

いう風になってって

今、ブレイクダンスは

すごくダンスビジネスとしても大きくて

世界中で

ブレイクダンスーってのがいて

身体性トレーニングによって

こういうことができるようになりますって

方向に間違いなくいっている。


■宮台さん

ダースさんから

見せていただいたフリースタイルアートオブライムって言うね

これも古いドキュメンタリーだけれども

この初期のダンボールの中で

踊っているね

場踊り的なる物ってのがあって

ここが出発点だったのかーて思って

ダースさんからこれも

紹介していただいて、見て、随分洗練されたなーっていうところで

田中泯が言ってたことはこれだなーって。

田中泯はね

あの踊りは、システムの外にあるべきものだって

言ってるんですよね。簡単にいえば。

もともとシステムに改修しきれない身体の痙攣が

場の痙攣みたいにしてて現れているっていうね

基本、システムの中に何もかも改修しよう

という動きには無理もあって、場も悲鳴を上げるし

体も悲鳴を上げているので

場の痙攣に体の痙攣が共鳴するようにして

場踊りが思わず始まってしまうっていうね

そういう感覚が出発点にあったってことを

やっぱり僕たちは忘れてはいけない


■ダースレイダーさん

今回ミスターwaveって


名前だけをあげたのに


不思議メーカーでみんなうまいんですが


それぞれのは形の形のマスターで


型っていうのは

僕は本来はそこにある種のエネルギーが宿っていたものが

エネルギーが抜けても残っているものが型だと思うんです

ただし、型を続けるっていうことの先には

田中泯さんがずっと

元々のバレエの素養があるって

何と完璧に身に着けてる

で、そのその後、型を破るってことに至る訳ですけど

型ってのは、元々はそこにエネルギーが宿っていた以上

それはエネルギーの器としてはまだ存在し続ける可能性があって

型の反復に全くの意味がないっていうふうに僕が言わないのは

ずっと反復してる時に

またそこに何か訪れるっていうのを待つ

これは

キングクリムゾンのロバートフリップが言っていた

ディシプリンって言うのと一緒で

ディシプリンって、型の反復ですよね

かつて何も考えず

できていたものが出来なくなってしまった以上

それをひたすら繰り返すことで

あの時宿っていた何かがまた訪れるんじゃないか


■宮台さん

訪れるのをまつための型の反復、型自体にはね、

彼に言わせると価値はなくて、

いずれ恩寵の扉が開いてね

奇跡の光が降り注いだ時に

訓練していた者たちが初めてそこで、ある種、何かを宿らせる


■ダースレイダーさん

ブレイクダンスの多くはもうその型で

中身に本来宿っていた

世界のこうあるはずだっていう気づきは

もう枯渇してしまって

もう子供から大人まで

誰でもこれをやれば

ブレイクダンスですよいう。

これはラップでもDJでも全部そうなんですけど

型っていうふうになっていくんですけど。

ただミスターwaveはある種

そこのもう一個前。


■宮台さん

あの動き、田中泯に一番近いの。


■ダースレイダーさん

なんかこう こういう風に

実は世界って流れてるんじゃないかなっていう

身体能力的にも型として修復ができないっていう

ことをやってるかなと思うんですけども

僕はだから本の中で

ミスターwaveっていうのを

一応一人取り上げているのはそういう理由でもあるんです


■宮台さん

実際、彼はすべての型ができると思いますね

あともう一つね

ダースさんと共通の関心の対象で

JAGATARAと江戸アケミっていうね

あの90年代に亡くなったヴォーカリストがいるけど


南 流石 がね

ものすごい天才的なダンサーなんだけど

最初にJAGATARAなんだよ


「なんだよお前のは営業踊りじゃねえか」って言ったって。


それともすごいシンクロするよね

つまり踊りが上手いっていうところには

江戸アケミは反応できないんだよね

で、基本、商業的な価値しかなくて

それこそ場踊り、場の痙攣、身体の痙攣のよう

なものがないっていうことを

江戸アケミは一発で見抜いた

そういう意味で言うとね

システムの外に開かれた感受性を持つか持たないかって

いうことが凄い大事で

そういう感じで持つ人がね、型を習得することに意味があると思う。

社会学もね実は

社会科だけじゃなくて

文系学問って全て型なんですけれども

そういう感受性を持たない奴が

型を反復すると

ゼミとか学会とかでも

すごく痛々しい存在に見えるんだよね

本当には本を読むやつほど神経症的に

ちょっとやばい感じがするってのがね

例えばあのデヴィッドグレーバーが

彼自身フーコーを評価していない

わけじゃなくって

やっぱりシステムの外に開かれた感受性を持つんだけど

あのフーコー主義者ってのがまたいてさ

これがね本当にぬるいこと言っていて

あの権力の外とか言ってるやつがね

発禁処分とかさ

逮捕・拘束みたいになった時に

フーコーが何の役に立つんだよ おまえって

デヴィッドグレーバーが繰り返し揶揄してますけどね

僕がその意味でいうと

社会学者としてこの話題はね痛いんですよ


■ダースレイダーさん

前提部分のね

エネルギーの正体、型が生まれた瞬間の

そこのエネルギーの正体を見極める

っていうのがね、僕はこの本のね

自分なりの視点としては

何で困ったのかっていうところの

なんでのところにエネルギーの謎がうまってて

それぐらいでもグラフィティも多くは語るなって

こういう風に書くとグラフィティぽく

なりますよね

みたいなものが

サンプルがもう溢れているから

それをやればまあこういうもんでしょ

みたいなものになっちゃってるし

ラップもこういう風にやると

ラップですみたいなことになってるから

これも全部そうなんですけど

でもそうなる最初のところ

そのリズムに反応して

何か生まれたっていう

最初のエネルギーの本質にこそ

着目する必要がある。

で、それは何なんだってことを考えないと

今例えばヒップホップってどこにでもあるじゃん

ヒップホップとか言って売れてるよね

とかで終わっちゃうのは

エネルギーが枯渇してしまっているから。

だから、もう1回ちょっと

何でこうなったかっていう

ある種のビッグバンを探るとか

スタートの起源

ジェネシスのエネルギーの理由っていうのが

なんかここにエネルギーが生じた理由があるはずだよね

ってこと考えるってのは

僕、その宮台さんのゼミでいろんな話を伺っても

僕はその固有名詞とかね

そのハーバーマスとか僕は全然わかんないまま言ったし

この人が言ってる事っていうのは

本質はこういう事言ってるはずだ

っていうのはあの考えるようにしていて

宮台さんが喋ってる時は

それは実はこういう本で

こう言ってることなんですよって言ったら

僕はそれで十分なんです。

ありがたいとかでもなく

その本質にこういうこと言ってるんだってことは

分かればいいんだけども

なんかちゃんと本を読んだんですかとか

あのそれは学者の名前が違いますとかね

そういうこと言われると

それは確かに申し訳ないんですけど

ってことになるってのが

ヒップにおいても

やっぱりそういった傾向はまあ

あのこれだけ誕生してから歴史がたつと。


■宮台さん

社会学は19世紀の末から20世紀にかけて

ウェーバー、デュルケーム、ジンメル

みたいな人たちによってね

基本的な枠組みが作られて

それをマートンっていう人が整えるっいうね

この4・50年ぐらいの動きの中にも全ての良さが始まって

実は終わってるんですよね

で、そのことはすごいやっぱり大事なことで

あの出発点においてね

渦巻いていたエネルギーとかね

あるいは違和感とかに。。

違和感っては、さっき言ったようにシステムに同化できない

自分を感じることが違和感なんだけど

そこにやっぱりポイントがあると思うんですね

でも例えばさ、ヒップホップで

パーティーラップ化か、社会批判か、みたいなるでしょ

馬鹿げてるなーって、社会批判ってさー

あの社会肯定と社会批判

あの保守と革新みたいに

完全にシステムの中じゃん

で、どうしてフーコーがね

最初は考古学を始め、のちに系譜学に移行していったのか

これゼミの話題でもあるけど

つまりそれに違和感があるんですよ

言説の配置に。

何かを肯定する

いやそうじゃないでしょーって否定するダンサー

出発点にあったシステムに寄ってる人と

システムに馴染めない人みたいな

出発点が忘れられて、

システムの完全に内側になった賛成派と反対派、保守と革新みたいな

ほんとさー社会学とか社会哲学とかって

そうなってると思わない

何なのクズぶりはさ。


■ダースレイダーさん

僕は、あまり本の中でラップのテーマはこういうのがありますって

話をそんなにしないんですけど

リズムに言葉が乗っかっていて

その言葉っていうのは、僕は、言葉ってのは箱だって言ってるんですけど

言葉はただの箱で

本来そこに意味が入っているとされているものが

とっくに意味なんかなくなっちゃっているけど

でも逆に箱だったら

箱として利用してやるって言うのが

その同じ形の箱を並べるってのが

ライムってのはそういうことなんですよね

言葉が箱ですって言った時に

この箱と同じ形の箱ってのが

韻を踏んでいるもの

その同じ形の箱を並べていく

っていう作業やってるのがラップで

中身は何でもいい

でも場合によっては

そこにストーリー的なものが宿るば場合もあれば

社会へのメッセージが宿る場合もあれば

単純にパーティーやろうぜって言ってる場合もあるけど

大事なのは

リズムに箱を乗っけている

っていう作業をやってるっていう事が僕は

大事だと言っていて

後から意味だったりイメージはその箱の中にやってくる

やってくる理由は

それがリズムで運ばれるからだ。

リズムに箱を乗っけて箱を運んでってもらうと

そこにいろんなものがやってくるってのが

僕はラップの本来の構造で

それをたまたまと社会批判の箱が流れてきたら

これこそラップだ、とかなんかパーティーチューンが流れてきて

金だーとか女だーとか。。

いやそうじゃなくて

リズムに箱が乗って、やっきていろんなものが

イメージが降りて来たり来なかったり

ナンセンスに見えたり

たまたま意味が通っちゃったりとか

あるいは人によっては意味がとおるような箱の並べ方をしたいって

いうことができるって全体が面白いっていう話をしてるのに

なんか。。

これはラップじゃないとか

これはラップだとかっていう話になると

それはどーでもいいですよっていう


■宮台さん

わかります、

ちょっとフーコーの確認をしますね

フーコーて

68年にサルトルと論争してて

実存主義者:サルトルのことですよ

フーコーは、全ての言説はシステムの産物である

って言った

で、サルトルがなるほどそうすると

あなたの言説もシステムの産物ですね

って聞いた

で、フーコーは当たり前である

で、そっから先は

影踏みのロジックなんですよね

影を踏もうと思うと

影は前に進む。影は踏めないけどさらにその影を踏もうとして前に進む

っていうね。

そういう営みにこだわることしかできないっていうのが

フーコーのね若い頃の回答なんです。

彼はこの営みを死ぬまで永久に続けて

一回システムの外に出たと思った瞬間に入っちゃう

それをシステムが取り込んでしまうっていう動きに

めちゃくちゃ敏感だった人なんですよね

だからねヒップホップこそが、社会批判こそが

外であるとかっていう風に言ってる時点でも頭腐ってるんですよね



■ダースレイダーさん

影踏みの理論と僕一緒で

ビートが大事なのは

ビートは前に駆動させてくれるから

その瞬間だけ、あっと思うけどいっちゃう。

いっちゃうことによって

もしかしたら次は、

もしかしたら次は、

っていうことを繰り返し意識できるのかが

breakbeats的な

ずっと続くリズムっていうものの

役割だと思っていて

ヒップホップっていうのは外側ですとかの話じゃなくて

常に内側に

さっきのグラフィティも

ダンスも全部すぐに内側になっちゃうけど

ビートに乗っかってれば

外側に向かって矢印が出てるっていう

その外に向かう矢印に

自分の足をのっけているっていうことを続けることが

ヒップホップ的な営みだと思っていて、

それを止めてこれやってるので大丈夫です

よってなった瞬間

それはもう完全に

そのさっきのフーコー的に当たり前に社会の内側である

ところに落ち着いちゃうんですね



■宮台さん

そこでねやっぱりフーコーって、前期から中期に移る時に

だからやっぱその話せざるを得ないんだけども

よく考古学から系譜学にうつる時にね

あの少しスタンスが

ダイナミックになったんですね

それまではstatic

つまりそれぞれの時代に

ちょうどカミがあったとするとね

磁石が下から近づくと

鉄粉が磁力線を描くでしょ

それぞれの時代に

言説が磁力線を描いているっていうね

それエピステーメー(epistēmē:ギリシャ)っていうんですよ

その磁力線の型が時代によって違っている

ということなんだけど

中期のフーコーは

それでは足りないって感じでね

で、それは戦略なんですよ

具体的に言うとね

あの、何である時代の鉄粉の並び方はこうなるのか

ということについての

非常に細いダイナミックな作用があるに違いない

で、そのダイナミックな作用が

時代で変わっていくに違いない

で、なぜこれを言うかって言うと

そうしないと抵抗ができないからなんですよ。

epistemeの理論だけではね抵抗ができないんですよ

今我々はこのepistemeにいるとして

中期のフーコーはね

やっぱ抵抗しなきゃいけないと考えてる

その前の時代の抵抗の戦略は

通用しないんですよ

なぜかというと、システムは賢くなってるからね

で、今のこのシステムの水準というか

この紙の位置に合わせて

音とか言葉とか体とか

権力って言葉を使う時の使い方とかって

色んな所に実は

僕ら誰もが意識していないけれど

具体的に僕たちの働きかけられてしまっている

その具体的な力があるから

それを意識して抵抗して行こうっていうふうに

変わるんですけれども

だから本当はあのさっき

話してきたようなシステムは

どんどんいろんな外部を内部化していきます

っていう動きを言ってるだけでは足りなくてね

今の内部下の動きがどういう風になってるのか

っていうのを敏感に観察しながらね

もちろん外には出れないんだよ一瞬でたような感じ

でもそれでもね

あの一生外に出た感じになりやすい所

それはそれぞれの時代にあるので

それを観察してやっていくことが重要だ

ということですよね


■ダースレイダーさん

外に出れないってのは、僕はすごい大事だなと思っていて

えてしてね

言語的に外があるからっいうと

外に出るのが大事だとか

外に出れるとかで

簡単に言ってしまう人がいるけど

僕は

実はたまたま出るしかないと思ってて

たまたまさっきあのあれこれってもしかしてあれ

いつのまにか外にいるな。。っていうことでしか

僕は外に出ることができないと思っていて

意識してそのシステム、壁の向こう側にいくってことは

人間のショボさからいって出来ないと思ってるんですね

で、システムはそれだけ強いし。

でも

ビートに乗って踊ってたり

反応してると気付いたら、アレっていうのが

僕は唯一の可能性かなっていうのが

それがそのフーコーが言う抵抗でもあるんですけど

抵抗するためにはビートに身を任せて

そしてある種のビートの上で

自分っていう自我が無くなるような

変性意識トランス状態になって

グニャっとなった瞬間に一瞬外に。

でも「外か」と思った瞬間に

またクシャってなってると思うんですけど

でもその体験しかわかり得ないと思っていて

だから、そのloopmusicっていうものが連れてってくれる先

ビートが導いてくれる先っていうのが

すごく大事だっていうそういうイメージがありますね。


■宮台さん

だからダースさんがね、教えてくれた

さっきのフリースタイル。

これあのすごかったのは人名忘れたけど

ある人が

人はどんなにギターとベースとリズムギターみたいなものでは乗れなくて

アップルブレイクビーツの反復が一番人が乗れるんだってことを

彼はダンスフロアで観察して学んだ

ってんだよね

これはすごい大事だよね

あのね柄谷行人のことだしたから言うとね

あの柄谷的な言説って

フーコーはある種学んだんだよ

内部と外部って言うけど

内部と外部あるいは意味と無意味でもいい

内部と外部の外に本当の外部があると。

で、

意味と無意味の外に

本当の非意味があると。


これはフーコのepistemeのある種、簡略版なんだけど

フーコーは、柄谷とは違って

それを言う営みは自堕落って考えてるの。途中で。

それぞれの時代に具体的に一瞬だけどね

その意味と無意味に対する非意味的なものに

あるいは

内部と外部に対する外部的なものに

一瞬接触できるような具体的な戦略がある

んで、それは時代によって変わるので

絶えず観察して実践によって示さなきゃいけないっていうのが

フーコーの考えなので、

日本のフーコ学者の自堕落ぶりがわかるでしょ

この人たちの日常のふるまいを見てるとね

つまんねー抗議してるに決まってんだよ


■ダースレイダーさん

ズバっといきましたね(笑)

これいま、フリースタイル:アート・オブ・ライム

のジャケット。。

トレーラー的なもんあったりしますかね?

僕はすごく大事な映画なと思ってるんですけど

マニアックな映画なんですけども

この映画の監督のケビンってのが

来日した時は僕が通訳して

あの日本のあちこち連れて行ってた時も

あのなんかブレイクビーツって

僕はヒップホップの最大の初めてのリズムだってことで

ブレイクビーツが何で生まれた勝手

細かい話はもういろんなのが出てるんですよ

要は、みんなが盛り上がるのが

このドラムの場所で一番盛り上がると。

だったら、曲を一曲かけるんじゃなくて

この盛り上がるドラムの部分だけでいいじゃねえかと

言ってそのクルーハークって人が

どうやってこの同じ

このドラムの部分だけをかけれるかなと思ったら

そっか同じレコードに2枚用意して

交互にその部分だけをかければ

いいんじゃないかっていうで

同じレコード2枚掛けて

これ最初はメリーゴーラウンドって言って

ぐるぐる回るから。メリーゴーランドって言い方してるんですけど

みんなが大好きなドラムパートだけを延々繰り返し

プレイするっていう発明をクルーハークがするんですよね

それによって

あのブレイクビーツっていうものが生まれて

ブレイクってのは

どのブロンクスのスラング的なもので

ぶち抜けるみたいなすごいテンションがあがるみたいな

皆がもう狂喜乱舞するビート

そのドラムを延々とプレイするっていうものが

ヒップホップDJの営みになっていくんです。

それをミキサーとかを使ってやるようになって

最初はもあのDJって曲紹介とか自分でマイクもちながら

俺が今度曲かけるから聞いてくれよっていうことやってたのが

ブレイクビーツって作業やることによって

手が結構忙しくなるわけ。

レコードを準備してで終わったらこっちのレコードに

もう1回かける。

そうすると、喋ってらんないから

しゃべれる奴を代わりに呼んでくるんですね

クルーハークの場合は、コーク・ラ・ロックっていう売人みたいな人なんですけど

この人が、代わりに喋ってやるよって

分業制が生まれて

レコードをでブレイクビーツを出す人と

その上でこいつの今かけてるドラム最高だろう

みんな盛り上がってくれよ

みたいなこと言う人が出てくる

これはMCで

これがラッパーになっていくっていう構図なんですけども

このクールハークのDJをやっていた

コーク・ラ・ロックはマイクを仰ぎながら

様々な薬物を販売することで

副収入を得ていたっていうのはそういう人なんですけど

なかなかいいかなと。




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